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2014年 09月 14日

2014年の「仲秋の名月」

 あえてこの記事は、前回の記事後にした。

 中秋とは、秋の真ん中、旧暦の7月から9月の真ん中の日。旧暦の月と日と時間が緩やかに流れていたころの日本。

◯NHKラジオが「月にちなんだ歌謡曲」を、東山に月が昇りはじめた頃はじまり、頭上近くに登ったとき、4曲は終わった。今年は晴れ間の夜空に「中秋の月」が浮かぶ。

 最初の曲が、東京児童合唱団による 文部省唱歌 童謡「うさぎ」 

  うさぎ うさぎ
  なにみてはねる
  じゅうごやおつきさん
  みてはねる

  (繰り返す、一番のみ)

 昇ってきた月は、輪郭が際立ってハッキリしている。流れながら形も変える雲をクラウドいい、それに対比して月をデジタルといった人がいた。
 なのに月の紋様はあまりにも曖昧であるがゆえに美しい。国によってたとえが違うという。
 なぜ日本人にはうさぎに見えるのか。作詞者も作曲者も不詳。だからいつ頃から唄われたものかも分からない。


 うさぎ うさぎ
 なにみてはねる

 は、幼い妹が姉に問うフレーズで

 じゅうごやおつきさん
 みてはねる

 は、姉が妹に答えるフレーズだともとれる。 


 二番目の曲は、田端義夫の唄った「大利根月夜」
 作詞 藤田まさと 作曲永津義正 昭和14年発売。大東亜戦争勃発四年前、私七歳。

  
  あれをご覧と 指さす方(かた)に
  利根の流を ながれ月
  昔笑うて ながめた月も
  今日は 今日は涙の顔でみる

  愚痴じゃなけれど よがよであれば
  殿のまねきの 月見酒
  男平手ともてはやされて
  今じゃ 今じゃ浮き世の三度笠

  もとを断たせば侍育ち
  腕は自慢の千葉仕込み
  なにが不足で大利根ぐらし
  故郷(くに)じゃ 故郷じゃ妹が待つものを

 平手造酒(ひらてみき)は、親分笹川繁蔵と知り合い、天保5年(1844年)8月6日、飯岡助五郎との大利根河原の決闘に笹川方の助っ人として参加し闘死した。享年30歳、争闘は笹川方優位に決し、笹川方で死んだのは平手造酒一人と伝わる。
 天保のアウトサイダーといえよう。


 この2曲唄われたころの日本人は、人生50年といわれ、嬰児・幼児が疫病で多く亡くなり、多産な家は子を間引き、人は老いると姥捨て山に自ら入った。

 
 現代人は昔に比べて30歳以上も長生きするようになった。昔の日本人になかった認知症、糖尿病、癌、難治性疾患(神経変性疾患・難治性眼疾患・貧血性疾患)。さらに、神経変性疾患のうち認知症・失調症・運動障害としてのアルツハイマー病・パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症・ポリクルタミン病、プリオン病等における脳の記憶装置海馬、運動機能を司る小脳の萎縮などなど体内臓器がだすホルモン(悪さをするタンパク質)の死細胞の蓄積。それによる脳細胞の破壊で早かれ遅かれ死ぬとはいえ、それらの病が途方もなく増えた。その間の本人の苦痛、家族、医療機関にかける負担。高齢化人口増加による福祉および医療費国家予算の増加。どこの国も先進国からそうなって行く運命。

 ほとんどが、50歳を越えて現れる老化からくるものといっていいそうだ。医師は本人が、また親族が延命治療を望むのに尊厳死を選べば殺人罪で告訴される。
 財務省は在宅での介護と看取りをと、厚労省は高齢者医療・より高度な医療への促進・混合診療・薬事法の改正、特定指定大学病院等での生命科学・難病治療研究促進、市町村・地域医療センター・中型病院・開業医(医師会)は、とそれそれが権益を守っているかに見える。


 同じくこのラジオ番組で唄われた曲は、いずれも日本敗戦後の曲で、一つは、1955年(昭和30年)菅原津津子の唄った 「月がとっても青いから」 作詞 清水みのる 作曲 陸奥明 だった。

   月がとっても青いから
   遠まわりして帰ろう
   あの鈴懸(すずかけ)の並木路(なみきじ)は
   想い出の小径(こみち)よ
   腕をやさしく組み合って
   二人っきりで サ帰ろう

   月の雫(しずく)に濡れながら
   遠まわりして帰ろう
   ふと行きずりに知り合った
   想い出のこの径(みち)
   夢をいとしく抱きしめて
   二人っきりで サ帰ろう

   月もあんなにうるむから
   遠まわりして帰ろう
   もう今日かぎり逢えぬとも
   想い出は捨てずに
   君と誓った並木みち
   二人っきりで サ帰ろう

 昭和30年といえば、私は3回生。戦後の影をまだ引きづっていた。神武景気がはじまる前とはいえ、まだ就職難だった。でも国民誰もが明るい未来を期待し、疑わなかった。そんな明るい歌だった。それからというものは、急斜面をアクセルいっぱいで登るような高度経済成長期に入り、衣も、食も、どんどん洋風化し、これに比例して国民の寿命はどんどん伸びた。そしてそれを祝った。


 二つ目の曲は、1948年生まれ(昭和23年生まれ=丸っきりの団塊の世代)のフォークソング・ニューミュージックの井上陽水が「月の沙漠」を唄う。「月の沙漠」は、大正から昭和初期に叙情的挿絵画家加藤まさをが「少女倶楽部」に1923年(大正12年)発表した詩と挿絵からなる作品。だから人生50年とした世代から、当時の若者までみんな知っている歌詞だった。

  1 月の沙漠を はるばると 旅の駱駝(らくだ)が 行(ゆ)きました
    金と銀との 鞍(くら)置(お)いて 二つならんで 行きました

  2 金の鞍には 銀の甕(かめ) 銀の鞍には 金の甕
    二つの甕は それぞれに 紐(ひも)で結(むす)んで ありました

  3 先の鞍には 王子(おうじ)さま 後の鞍には お姫(ひめ)さま
    乗った二人(ふたり)は おそろいの 白い上着(うわぎ)を 着(き)てました

  4 広(ひろ)い沙漠を ひとすじに 二人はどこへ 行くのでしょう
    朧(おぼろ)にけぶる 月の夜(よ)を 対(つい)の駱駝は とぼとぼと

  
    砂丘(さきゅう)を 越(こ)えて 行きました

    黙(だま)って 越えて 行きました

  
  この誰もが知ってる歌詞とメロディを、世代の記憶を越えて日本の高度成長を支えた団塊の世代の井上陽水が唄う。井上陽水の世界で唄う。湿っぽい日本人の好む叙情を反省したり、これから来る物質文明に危惧を感じたりする感性が、ちよっとアナーキーであったりニヒリックであったりする。


◯どこのテレビチャンネルだったか忘れたが「今年の中国で[中秋の名月]に送る習慣の、〘月餅〙に異変が起きているとの報道。

☆中国共産党幹部に[中秋の名月]に〘月餅〙を贈るのがいつしか習慣化した。テレビには二重底になった下の段に札束がぎっしりの映像。中国共産党幹部への汚職を根絶する習近平の強い意志の現れと。各流通の店舗から今年は〘月餅〙の姿が消えた。それに変わる代替の商品が異様に並ぶ。

◯もうひとつ、これもどこのテレビチャンネルだったか忘れたが「中国残留孤児が日本国内で集まって、日本人でありなから日本語が話せない。念願かなって日本に帰ってきたものの、日本語の話せない日本人を雇ってくれるところはどこにもない、と。ほとんどは4歳ぐらいな時に満州(今の中国東北部)で帰国途中に親とはぐれ、親切な中国人に助けられそれ以後中国語習慣のなかで育てられた」

☆その孤児たちが、まずまず日本語をマスターした他の帰国孤児から日本語を習っている。そんな教室で集まるもう高齢の中国残留孤児たちは、中国語で話せる仲間との出会いにストレスから解放され、中国での幾年を懐かしく偲ぶ。日本語をマスターした帰国孤児の人数は少ない。日本人でありながら今の中国にまた帰って行った人たちも多くいると、話す。

☆その人たちにとって〘月餅〙は、中国語生活において切っても切れない思い出だと語る。

 人間は生まれDNAか、育ちか。
 



















                 
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by kuritaro5431 | 2014-09-14 19:23


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