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2013年 09月 25日

「半フリー契約」の働き②

 毎月5日、関西以西(関西支社・神戸支店・岡山支店・広島支店・九州支店)のコンサルタントと営業全員が集う「全体会合」が、関西支社の大会議室で行われる。

 名古屋以東の「全体会合」は、毎月1日、都内のホテルで行われる。そこでは、社長から「日本企業を取り巻く環境、それに対応しようとしている企業の経営課題、コンサルティング・ニーズの動向。わが社の今月の行動目標・これから先3ケ月の営業部隊と、コンサルティング部隊への活動方針などが話がされ、録画したテープが全拠点に配られる。各拠点のテレビの前には、拠点全員の名簿が置かれ、見た者はサインすることになっている。後日その名簿は本社の総務に送付される。社長方針は社長自らの原稿による上意下達。月1回の役員会での施策との齟齬がないよう社長自らが厳しくコントロールしている。その嘘のなさが社長と、管理されることをことのほか嫌うコンサルとの信頼の絆。営業社員も、同じ。

 「全体会合」は、10時開催。5分前には全員が着席している。日頃は、コーヒーもお茶も女子の手間を取らせないため、使い捨ての紙コップだが、その日だけは、喫茶店のウエートレスにコーヒーを頼む習わし。

 司会は、支社の総務マネージヤー。最初に新人紹介。(新入社員とはいわない)、今回は2人。
 私の前に1人紹介された。出身大学も、出身の会社名もいわず、「新卒後、◯◯系の大手製造業で、20年間設計の仕事を経験され、この度◯◯本部に所属されることになった◯◯先生をご紹介します」というような紹介。そのあと、自己紹介。
 私の番になり、「学卒後、流通業界で、経営戦略、商流・物流の改革に延べ30年のキャリアの◯◯先生です。マネジメント本部に所属されます」との紹介をうけた。
 私は、社長以下、40人近くいる会場で、緊張していた。みなしゃべることが本職の人たち。
「ご紹介いただきましたような、年数経験はあるものの、ほとんどは、個別企業の例外処理に精通したような経験です。その経験が汎用性のあるものに変換できるかが勝負と覚悟しております。諸先生方のご指導を切にお願いいたします」と挨拶した。
 あとで、上司にあたる本部長が、あれでよかったですよ。といってくれた。

 会合は、社長訓示からはじまる。「西日本では、小売業以外の中堅企業をターゲットとする、新設のマネジメント本部に期待している。これは、わが社のコンサルティング領域の総合化のへの挑戦である。国内系の経営コンサルタント会社がこれまでターゲットとしてきた領域で、わが社特有の外科的手法による経営改善には馴染みにくい企業体質の会社の多い階層である。ところが日本における株式会社の社数比率では、中堅・中小企業で80%を占める。この好景気で、株式上場を目指す中堅企業も増えている。一般の中小企業までは無理としても、中堅企業のなかには、将来有望な資質のある企業も多くある。企業の将来性は企業規模ではないが、その評価力は、今のわが社にはない。従って、わが社は、中堅企業をターゲットとしたわが社流のコンサルティング・ノウハウを探索し、確立したい」との話しが中心であった。

 社長訓示の後は、大阪と広島にある15.6のコンサルティング本部(コンサルタント7~10名の専門職集団)の本部長が、最近開発した「コンサルティンク・プログラム」=(商品企画)の「良さ」「売りやすさ」や、商品のメリットなどを、営業の皆さんに、けなげなほど必死で市内セールスしていた。また、手持ちの「プログラム」のうち、クライアントの評価が高く、リピートも多い「商品」の紹介も営業職一人ひとりのモチベーションに訴えようと、苦心のプレゼンテーションをしていた。

 私はその様子を見て、いくらよい企画でも、クライアントから見て魅力のないものは、営業も見込み客に紹介もしない。という厳しい現実を目の当たりにした。コンサルタント一人ひとりもそうだが、本部を束ねる本部長は、本部員一人ひとりのノルマ達成の責任を背負っている。それでいて、一般企業の管理者のような権限はもっていない。人事評価にしても、「ノルマ達成率」と「失点の有無」のみで本部長の出る幕はない。なのに各本部長は、社内でも、クライアントに対しても「成果」「OUTPUT」「役立ち」を出して、して、「いくら」の働き、とこころえているようだ。

 いつも12時かっきりに会合は終了する。
 関西支社のミーティングルームは4部屋しかない。コンサルルームの机も、30卓しかない。ミンティングルームを予約していない本部のコンサルたちは、その場で解散。遠方の参加者たちも皆、12時をもって解散した。

 マネジメント本部のコンサルたちも、なかなか全員揃わないので、昼食後2時から、本部研修ミーティングをした。
 研究テーマは、社長特命の中堅企業を対象とする「顧問型コンサルタルティング」の企画化・商品化であった。
 Jファームのコンサルティングは、「プロジェクト型・テーマ・コンサルティング」で、5人から8人もの理系のコンサルが役割を組んで、チームで契約する。高額な案件は、3年通しで3億円にものぼるものもあった。成果は、「フィの3倍だす」が、売りのトークだった。これを外科的コンサルテイングと呼んでいた。企業内に発生しているさまざまなムダなコストを外科的手法で切り捨てる、とい手法。それはクライアント側に、Jファームの専門技術者の誘導・指導に呼応できる技術者がいてできる仕事であった。
 それに対し、中小零細企業を対象とする国内系のコンサルタント会社は、概ね、「多問題・他課題経営相談型」の「顧問契約コンサルティング」であったといえる。なかには、相談だけで実践指導のない「精神論だけ」といわれたり、どことなく胡散臭さを漂わせる人種とみられたりしていた。カリスマ的先生といわれるコンサルタントが教祖的態度で「経営原理の格言のようなことをいい実践させる」。改善が進まなければ、「なぜいうた通りにしない!」と叱る。元々はそんな関係だったのだ。

 政府は、これでは日本の経営の近代化はむつかしいと、通産大臣登録の「中小企業診断員」(中小企業診断士の前身)の資格取得の促進を図った。この制度の創設は1952年(昭和27年)であったが、それぼとのインパクトもなく、休眠状態だった。1963年(昭和38年)中小企業指導法の制定と連動して、この資格が見直された。1969年(昭和44年)「中小企業診断員」を「中小企業診断士」に改称。これを機に、経営コンサルタントの唯一の国家資格(そこまでのものではなかったが)と、当時ホワイトカラーの管理職の間で大層話題になった。(この辺の経緯はYAHOO!「中小企業診断士」に詳しく掲載されている)
 その話題は拡大し、民間の資格取得カルチャーセンターが「中小企業診断士受験講座」をあちこちに開き、大繁盛した。資格ビジネスのはしりとなった。資格取得者の大半は、企業内の管理者としての自己啓発としてスキル磨きをしていたのだった。
 経営コンサルタントになった中小企業診断士の働きの場は、中小企業の経営者相手の「経営診断」と、通産省所轄の各地の「商工会議所」だった。商工会議所では、国家資格保持の経営コンサルタントとして、会員(地域の商工業者=主に中小零細の)からも信頼を得、国の中小企業支援施策の一貫としてのさまざまな活躍をした。
 その「中小企業診断士の基礎スキルは、財務診断におかれていた」。あやふやな基軸のない市井のコンサルタントより、経営成果が数字で現れる財務諸表。不確定要素はあるとしても胡散臭さはない。としたのだろう。
 国内系の老舗のマネジメント系コンサルタント会社も、わたしが昔受験した「日本マネジメント協会」にしても、コンサルタントの基礎スキルは「財務診断スキル」であった。その後日本経済は高度成長期に入り、成長戦略の柱になる「マーケティング戦略」重視に日本経済はシフトしていった。中小零細といえども。財務は、広義のマーケティング戦略の1パートと位置づけられる経営学も現れはじめていた。

 財務診断は、伝統的な会計システムによって正当な企業評価ができることは、いまも疑いはない。ただし、企業会計原則という厳しいルールを守っての話である。それと同じ業種でも、商品構成や、販売ルートが変わば、財務データーは変わる。税務会計一本でやっている中小零細企業では、その実態は、判定できない。
 当時からあった中小企業庁が毎年発行する「中小企業経営指標」にしても、比較的企業会計が整備されている中小企業からのサンプルデーターで、恐らく税務会計データーと思われる。「中小企業の財務指標」も同庁から発行している。調査方法は違うものの、個別企業の企業診断にもちい、その指標との差を、経営改善の指導基準に用いるのは無理がある。政府が使うマクロ的な指標には十分としても。

 そのことが理解できるのは、中堅企業以上だろうということである。大企業では税務会計(税務申告用)全社1本。実質的な経営管理に使う会計は、部門別、事業部別、またはさらに分化した組織単位の管理会計。
 当時から中堅企業が興味を持っていた「TKCの業種別の中小企業の経営指標」という分厚い資料があった。確か3万円だった。TKC会員の税理士が、顧問先の税務会計事務を請け負い、そこで蓄積した税務会計データーを全国集計して上・中・下の数字をだしていた。最近TKC全国会の税理士よるコンサルティングのCMが流れている。先だって、当時製造業のコンサルで、中堅企業のある事業部の「限界利益」「損益分岐点」を掴んで、事業部の収益改善をもくろんだが、直接原価の「労務費」が「一般管理費」とどんふりになっていて分解できず困ったことを思い出した。「限界利益分析」を使っての収益改善は有効な手段だが、変動費と固定費の仕分けがしっかりできてないと改善ボイントが絞れない。200億の年商の製造業でもできていなかった当時が思い出された。

 そこで、Jファームのマネジメント本部は、来年の「新春Jファーム・コンサルティング技術発表会」に本部を挙げて「J方式・顧問型コンサルテーション」のコンサル企画を発表することにしていた。
 新春の技術発表会は、恒例となり10年つづいていると聞いた。当時全国に40もあったコンサルティング本部が代表選手をたてて、コンテストに挑む。一位「社長賞・賞金100万円」二位「優秀賞・50万円」三位「商品化技術賞・50万円」他「アイデア・ロジック賞・20万円」「ユニーク・アイデア賞・20万円」などなど、その年年によってつけられた賞もあった。賞金は発表者に渡されるものの、本部全員で散財する習わしのもよう。
 来賓には、日本を代表する製造業の社長や、総合商社の社長ら10人がいつも選ばれ出席していた。
 いつも都心より少し離れたゆったりの高級ホテルを二日間貸し切りでホテルのバーも、施設のすべてをみんなに解放。そうしたこともやるJファームだった。
 後にいわれるバブル景気に向かってみなひた走ったいた時期だった。

 夏は本部単位であちこちにおったファームの保養所兼合宿研修所に、だいたい1週間泊まり込み、新春の技術発表会に備えた。
 保養所には、近くに住まう賄いさんがいて、食事の用意はすべてやってくれた。
 私がはじめて参加した合宿は「八ケ岳の別荘」だった。遠くに夏の富士山が見え、リビングには望遠鏡が据え付けられ、代わる代わる富士を望んだ。冬には薪ストーブを炊くらしく脇には太い白樺の割り木が積まれていた。

 食卓兼ワーキング・テーブルは、分厚い赤松の無垢の集成材。どっしりした同材の足。畳一畳半はゆうにある天板。だれの配慮か、その上に厚い透明のビニールシートが掛けられていた、(それにはちょっと不満だったが黙っていた)。
 そのテーブルの前に大型の白板を二枚立て、ディスカッションの要点を書き殴ってゆく。いつものやりかただ。こと改まった議事録はとらない。本社に提出する義務もない。参加のコンサルが思い思いノートしている。
 デイスカッションテーマは「J方式・顧問型コンサルテーションの確立」だった。
 そのキーポイントは、その企業の改革ポンイントをなるべく早い時間で見つけ・絞り込み「改革のストーリーを意外性と共感性、さらにはその経営者に感動を呼ぶ、初期アプローチをいかにやるか」であった。

 老舗の国内系のコンサルタント会社は、「経営診断=①財務診断からの経営分析〔生産性分析〕〔安全性(流動性)分析〕〔損益分岐点分析〕〔収益力の分析〕がベース。②に、経営トップの舵取り判断力。③に、人・物・金の管理力。④に、組織力など。①以外は、アンケート分析、階層別、部署別、ヒアリングが中心。それらを総して経営診断といっていた」。その経営診断で、その会社固有の経営課題見つけ、これぞという優先課題を経営者に提示し、共感を得た経営者とコンサルティング契約(主に継続的顧問契約)をし、最初に発見したその企業の弱点といえる「経営上の問題解決の相談相手・アドバイサー」となる。そのコンサルティグのコンサルタント側のメリットは、エンドレスに発生する問題に対し、長期の顧問契約が可能になる。その会社固有の問題把握者となり、リピート契約安泰の取引関係が築けたことにあった。

 ご覧のように、当時政府も重要視した、中小企業向けの財務診断は、個別業の経営指導には実利性の意味で問題があった。指標とする基準の取り方。それと①の分析を個別にするためにコンサルタントに多大の労力を要した。ある老舗のコンサルタント会社では、「経営診断」をやがて主たる稼ぎ領域として、有料化した。個別企業の弱点絞り込みでブレゼンをし、顧客開発するにはあまりにもコストが掛かりすぎたからである。
 そしてやがて経営診断で学習したコンサルティング・ノウハウを「経営診断」と名付けず、当時流行っていた〔中期経営計画〕にも適用したりしていた。中身はY社時代にT社に発注した〔中期経営計画〕でそのことが判明した。

 私もいくつかの小企業経営者に、営業と同行して面談した。
 最初に会った経営者は「わが社の問題点は分かっている。なのに忙しいさなか、コンサルタントは「経営診断」をまずやってからという。診断してくれなくても分かっている。「問題解決の妙手が分からずいるんだ」「それをやって見せてくれるがコンサルタントではないのか」といった。
 他の零細企業経営者は「私とギャランティ契約をやらんか」「半年で売上か何%伸ばせたか。その率のギランティ契約を」ともいった。

 Jファームの社長が、中小零細の企業のポテンシャリティを判定する能力は今のわが社にはない、といった意味が分かった。

 話を戻して、「八ケ岳の別荘」では、深夜12時過ぎまでディスカッションが進み、Tファームから今年転職してきてコンサル歴20年のK は「コンサル業は天職だ。自分も、クライアントもそういう関係であることを認識しあい成立する職業だ」といった。Kは、j社長が「コンサルタントはサービス業である」といっていることを承知の上でいっていることは、参加のコンサル全員が知っていた。そして、今夜のテーマとも深い関係のある言葉だと、みんなピンときていた。そんな議論もでき、議事録も提出不要という社風がそこにあったことは事実。

 Tファームは、零細企業の時代から経営者の悩みごとの相談にのり、年商100億を超えるとTファームのカリスマ教祖から卒業するとみなはいう。Y社も小規模のとき教わった経営者の守るべき「掟」を教わった。「会社の金と社長個人の金は混同するな」これが一番だった。Y社長が私にいったことがある。
 ところが、年商400億を超えたある時期においての「掟」は、カリスマ教祖から教わらず他界し、継承した子息の今、年商150億。時代は流れてのことか。それとも何かの必然か。
 Jファームも、先の見えない必然のなかにいたのかも知れない。
 振り返っても正解は見えない。

 でも当時、そしてバブル景気が崩壊する時期まで、そしてその後も模索した。

 話は前後したが、命題の「J方式・顧問型コンサルテーション」における狙うクライアントへの手軽で有効な初期アプローチ法。その切り口、とっかかりをみんなで探索した。Jファームは、VEに限らず定量的分析から企業活動のさまざまなムダを見つけ、例えば、2:8の法則の上位2つを狙い撃ちし、8割のムダをなくす、というロジックで経験と勘によるアプローチより確かな効果を出していた。その定量的帰納アブローチは、理系人材の揃った大規模製造業では、科学的アブローチの基本として評価もされ、大量生産方式でアメリカにキャッチアップしていたその時期、歓迎されていた。
 ところが、同じ製造業でも、大規模製造業の組み立て用部品を人海戦術で作ってきた小規模製造業では、このアプローチはムリ。「J方式・顧問型コンサルテーション」が狙うクライアント層は、必ずしも製造業中心でなく、専門商社といわれはじめていた昔の問屋。また生産手段をもたないブランドメーカー(この業態は、婦人服からはじまり、紳士服など衣料へ、さらにデザイン性、ファツシヨン性を差別化の武器とする各種の企業、作り方や品質をはじめブランド・ロイアリティを重視するものなど多様化した)などが、業態のあり方、売り方の変革をもたらした。
 そういう時期を迎えていた日本経済は、消費財については、製造業より消費者、生活者に近い卸売り業や小売業が消費者ニーズやウォンツ(この頃から流行った言葉)をキャッチしやすい立場にあると、スーパーやGMSによる流通革命が起こる。そんな社会・経済現象の変化のなかで、流通業(百貨店・GMS・スーバー・ブランド専門店・各種専門店)が台頭し、それぞれ専門のコンサルティング・ファームも誕生していた。

 そういう意味も含めて、以前から述べている。財務重視の経営から、財務計画も内包した「マーケティングの経営へとシフト」してきていた。特に、Jファームが狙うクライアント層は、他業種他業態の階層で、経営上の課題は多様であった。

 そこで、八ゲ岳の合宿での議論は、
①「経営診断の基本とする財部分析のワーク負荷軽減の方法研究と、ヒアリングのブログラミンク化」
②「そのクライアントの所属する主な業種・業態の「官民の調査資料から、優先課題を事前にピックアップして、おいて、そのなかからいくつかの課題をトップヒアリング。一番関心を示した事項の改善アプローチ策を次回コンサルが、提出する約束」
③「カードINDEX法による拡散している問題を洗い出しと「問題の課題化」により経営者が優先する経営課題を選択する」
 この3つの案にに絞られた。いずれも、契約前の営業活動の一環として無料でやる契約促進活動としてであった。

 案③は私のものだった。
「問題課題の領域に拘らず、ランダムに、経営者に困りごとを打診。その結果、その経営者は「理念派」が「制度とかルール派」かを判別する。前者を「王道派」、後者を「覇道派」と仮定する。
 その上で「社長。半日1時から5時まで社長のこれぞ思われる課長以上の社員を10人集めてもらえませんか。彼らが日頃から思っている御社の、本音の問題点。これを順番に一言づつ発言してもらいます。その発言は私が板書します。発言のなかには、給料が安いとか、遅刻が多いのは自宅から遠いとか、問題にならない問題まででできます。それを私がポジティプ変換し、あなたのいっていることはこういうことですねと、リライトし、発言者の了承を取る。そうして白板に書かれた(私が書いた)俳句より短い1行1問題のことば60件ぐらいを、みんなで名刺大のカードに転記。そして真因のにたもの同士のカードを集め、模造紙の上に〔群〕して貼りマジックで囲む。その塊に、共通している真因を書き、その上に「課題」を書く。課題とは「~しなければならない事柄」を重層的に収束してゆく。「この活動は、わが社のやり方のほんの一例です。御社がよろしければ休日でも対応しております」と、申し出る。無料のプレゼンであることは、事前に知らせておく。

(注)この「カード技法」は、Y社のころ実践でよく使っていた。出入りのコンサルも使っていた。そんなことで使い慣れていたので、よい効果を出していたと自負している。定量でなく、ここで使ったのは全くの定性アプローチ。Jファームでは、内科的アブローチの一種といわれていた。「書くことが好き」「聞いた話を要約するのが得意」「書くのが早い」「いつも相手が言いたい核心に耳をそばだてて聞く」これは、私のパーソナリティで、これしか長所のない癖のようなものだった。好きだったから訓練も人一倍やった。己のコンブレックスが原動力となって。
 ここら辺の実務は、バブル景気崩壊後の1999年.5.10からスタートした「経営コンサルタント志望の皆さんへ」のメールマガジンのバックナンバー3号~9号に詳しく書いている。メールマガシンは、jファーム退職後作った[福島マネジメントコンサルタント](検索)のホームページの〔メールマガジン〕のなかにある。この原稿は、のち出版社・同友館より、「経営コンサルティング実務入門──プロコンへの道」として、2002年出版した。
 興味のおありの方、覗いてみてください。当時はこれくらいでもコンサル・スキルとして通用した。そうおもってみてください。

 この技法の原点は自然観察に開発されて有名な川喜多二郎博士のKJ法であった。名著『発想法』として重版されている。コンサルファーム各社はKJ法としてではなく、各社なりに方法と名称をアレンジして使っていたものである。

 そしてその後も、この研究は進めたが、マネジメント本部としてまとまったプログラムにはなり得ず、各コンサルごとに試考錯誤して成果を確かめることになった。とはいえ、翌年の「新春Jファーム・コンサルティング技術発表会」では、キリア一番の部長コンサルが代表で発表したが、選外で終わった。。

 その後私は私なりに、契約前の「J方式・顧問型コンサルテイング」の無料アブローチとして、他社のやる「経営診断」の代わりに「INDEX法」を手軽にやった。その目的は、クライアントの社長も一番気にしている経営上の問題を、幹部社員自ら気づき、問題点を「わが社の重要課題として絞り込んでくれた」「社長の命令でやらせたのではない。彼らがやってくれたのだ」そして、5~7つに絞り込んだ経営課題を社長が1つ選ぶ。
 その社長が選んだ1つの経営課題について、私はその場で、「課題遂行のストーリーを全員にプレゼンテーションする」。ここが成否の分かれ目、意外性のある改善視点と切り口。。そして彼らのモチペーションを高める。隠し味の情動的トーク。。そこで社長以下の共感が得られれば、次回放社時に、「コンサルティング計画書」と、営業からの見積書提出。経営課題=コンサルティング・テーマであり、コンサルティング内容は、[福島マネジメントコンサルタント](検索)のホームページの〔コンサルティング領域〕に記載のコンサルティング・テーマとなる。よくクレームの対象になるコンサルティング領域も、歯止めがきく。リピートのテーマももうでている。
 私は概ねこのやり方で、スキルにブラッシングを掛け、なんとかノルマの達成をしていった。






                    

by kuritaro5431 | 2013-09-25 09:39


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