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2013年 09月 01日

関東大震災の「記憶」と「忘却」

 私にとって「記憶」と「忘却」という2つの単語は、私のアイデンティティに深く関わっていたことを、2009.4.19のこのブログに書いた。

 その源流は、私が5歳のとき白壁の土蔵のあった藁屋根の生家から、500メートルばかり南の新しい家に引っ越したときにあったかも知れない。土蔵にあった夥しい古新聞の山。それは関東大震災のその日からの生々しい報道の載った新聞だった。父の配慮だったのか、生家でもあった祖母の仕業だったのか、今は分からない。

 当時美作の地(岡山県東北部)といえば、東京から遠く離れた僻地であったに違いない。何日おいての記事だったかも分からない。リアルタイムでなかったことは確かだろう。
 その新聞を私が見たのは、新しい家の納屋だった。
 組版で活版印刷されていた新聞は、今ときにに紹介されるレトロの匂いの当時の新聞そのものだった。との記憶も、5歳当時のものか覚束ない。

 なのに、今日9月1日の関東大震災の記念日に、90年前の記録がテレビで報道された。そのなかに、5歳の私の目に焼き付いた記憶そのものがあったことに驚いた。
 活版特有の大見出しや大写しの報道写真。その写真は乾板ネガで撮ったものかも知れない妙に白黒が明瞭な写真。だから90年前の報道記事や写真がリアルに伝わったくる。
 埃ぽい、ところどころのじゅうの食ったあとのある新聞。
 大量の死者の山。5歳にして生まれてはじめて大勢の死者の写真を見た自分。震災記事の悲惨さは、元より、広告記事がとても印象に残っていたぼんやりの記憶。


 そんなこともあって、私は3.11以降の新聞の切り抜きをできるだけ残そうと、取っている日経新聞だけだが今も続けている。直近の記録とその時に呼応した自分の感情なり理性の記憶。その知覚反応を呼び覚まし、再利用しようと思ってのことだった。他のものとダブらせたり、ドッキングしたりしての再利用である。100に1つもないかも知れないが。そのときのリアルな自分の知覚反応は、ブロー扱いしたくない。ストックしていなければ再利用できないと私は思っているから。

 それと、次世代を生きる孫たちが、M9という平成の東日本大震災。並行しての福島原発の人災といわれる事故。今日という歴史的環境のを示す、記事の数々。新聞広告も時代を反映している。シンボリックに。それらの情報(記録)が、日本人の記憶として残っているものが必ず何かに役立ててくれそうと思って。

by kuritaro5431 | 2013-09-01 21:12


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