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2012年 10月 25日

世界を五つの社会類型で観る

 前号で触れたもう一冊の本についてである。

 神学者・加藤隆著───武器としての社会類型論───世界を五つのタイプで見る 『「個人の自由」が何より大切なのは、西欧型社会だけ⁉』 

 この本の裏見返しに、───本文よりとして

 西洋人は「西洋的」以外の文明を理解できない
「ルカ文書」において提案されている「キリスト教世界」は、二重構造になっている。ここまでは、フランスの西洋人の先生方にも、すんなりと理解していただける。しかし、そうした「支配の二重構造」が「西洋的」で特殊なことである、と主張しても、西洋人の先生方にはどうもわかっていただけない。(中略)文明に、「西洋的」である以外の可能性があるなどということは思いもよらない。「西洋的」なことをうまく実行できない「非西洋」は、こんな簡単なことが分からない哀れな者たちだ、といった雰囲気である。トロクメ先生も、「西洋的」であることの相対性を直観的に理解してくださるが、それがどのように相対的なものかを有効に示すための指針は持ち合わせていらっしらない。そこで、それまでの知識に加えて、日本語・中国語の本などを含めて勉強して、諸文化の類型論を作成した。

 とあった。私はこの本の表紙の最上部に印刷されていた「武器としての社会類型論」。「武器としての~」に魅せられてこの本を出会い頭に買った。
 中国との「尖閣問題」。韓国との「竹島問題」。他国の民族意識を読み切れない民主党野田首相の胡錦濤への発言、その外交力。そこまで怒るとは想定外だった。「西洋的」合理主義に基づく科学とは、を知るアメリカからリスクもろくに理解せず、丸ごと買い入れた原発設備。3.11の福島原発事故を想定外だったといった。
「根」は同じだ。当時福島原発を開発したアメリカの技術者は、その原発の持つリスク・危うさを気にかけていた。技術立国日本と誇っていた日本。日本の科学者・技術者の中にも、科学技術の限界を知った人たちもいた。原発の安全神話は、肝心なところを傲慢にも無視した日本の為政者たちの「西洋的ものまね」だった。

 この本は、日本の政治家たちに発したこの著者の警告であった。世界の民族を甘く見るな。西洋的歴史は強い上位者が下位者を支配した歴史そのものなのだ。よく日本でも組織論で使われるガバナンスとは、下位者、民衆統治の思想である。価値観が違おうと国家は異民族も力で服従さす力こそ、ガバナンスとい意味であろう。
 力とは、武力のみではない。哲学も、思想やイデオロギー、学問も、学者も、社会システムも、情報操作はもちろん、法による禁止と容認。最も有効に機能したのが経済と金融の機構とそのシステム。社会システムと心の支配に、宗教は威力を発した。ことに一神教は。

 
 この関心事のきっかけになったのは、[族]という概念からだった。3.11以降の人間不信が起因していたことは間違いない。人間とは、[族]という群れ単位で生き、人類普遍の絆とか連帯、共感、感動など果たしてあるものなのかと。

 この本では、社会システム別の[族]の典型が示された。典型とは抽象化された本質を内包する姿で、必ずしも、その姿がそのまま現実に存在するものではない。

 この本に関して、私はこれ以上の感想を述べる見識も資格もない。
 そこで、まあわかりやすいと思える「五つの社会類型」が裏表紙に記載されているので、まだ読んで折られない方のために、著者の警告の肝の部分を紹介す。
 
①「上個人下共同体」(うえこじんしたきょうどうたい)型(古代西洋社会がモデル)
 上層の人間が下層の人間を支配。階級社会。
 上層メンバーは、自由な個人として独立している。
 下層のメンバーは、共同体的な要請によって全面的に拘束されている。

②「上共同体下個人」(うえきょうどうたいしたこじん)型(中国の伝統的社会がモデル)
 上層は臣の呂生き、下層は民の領域。
 基本はすべて民。民の中から臣になる者を選抜。つまりかいそうはあるが階級はない。
 臣の仕事は社会全体の管理。したがって彼らに自由はない。
 一方、民に対する共同体的拘束はきわめて弱い。
 支配はされているが、それなりに自由がある。

③「全体共同体」(ぜんたいきょうどうたい)型(日本の伝統的社会モデル)
 「場」のなかにいれば、すべての者は自動的にその社会集団のメンバーになる。
 団結することが重視され、メンバーに個人的自由はない。
 メンバー間は機能的関係で結びつき、本質的に上下関係は成立しない。

④「資格共同体」(しかくきょうどうたい)型(インドの伝統的社会モデル)
 「資格」とは生来そなわっていたり、社会から強制的に付与されるもの。
 自由な選択はできない。
 メンバーであるために必要なのは、その資格をもっいるどうかである。
 それぞれの資格のあり方を自分の人生によって体現。
 さまざまな職能的機能が組み合わさって、社会を構成。

⑤「掟共同体」(おきてきょうどうたい)型(古代ユダヤ教社会がモデル)
 変わらない「掟」が社会を規定。
 「掟」を厳密に守ることにより、守ろう視する姿勢を重視。
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by kuritaro5431 | 2012-10-25 06:35


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