哲学から演歌まで  

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2012年 10月 21日

平野啓一郎氏のアイデンティテイ論としての「分人」

 平野啓一郎著───私とは何か「個人」から「分人(ぶんじん)」へ───『〈本当の自分〉はひとつじゃない』の読後感想を後日このブログで、と2012.9.28の『「族」と「縁」を考える周辺』に書いていたので、もうこの本を読まれた方も多いことてしょう。。
 ところが思わぬほどあれから日が過ぎた。

 その理由は、この本にあったのではなく、その時一緒に紹介しておいたもう一方の神学者・加藤隆著「武器としての社会類型論」──世界を五つのタイプで見る『「個人の自由」が何よりたいせつなのは、西洋社会だけ⁉』を読むにつけ、古代ギリシャ社会から一神教がいかに今日につながる西欧思想に色濃く影響していたかの知識不足を思い知らされたこと。もうひとつは、今日的政治問題とも根深い、五つのタイプの一つとしての中国の伝統的社会モデルのこと。さらに、世界を五つの社会類型にした典型のとらえ方は神学からのアプローチとして新鮮に感じられるものの、私の知力では畑も違いでもあり納得しずらかった。

 もともとこの2冊の本に関心を寄せたのは、9.28のブログの記事[族]と[縁]に関連していたからである。

 そういう意味で2冊目に読んだ平野啓一郎氏の「分人論」は、いたってスムーズに快く読めた。100%共感、同調できたわけではなかったものの、問題意識は70 % ぐらいは重なって「そうそう」とか「ここは100%共感」とかの箇所がかなりあった。
 日頃はほとんどやらないが、その本の余白にここに書かれていたことへの感想を赤ペンでどんどん書き込んだ。その時間は私にとってとても楽しい時間だった。

 2004.4.12からはじめた私のこのブログですでに感じてもらっているように、──哲学から演歌まで──という無限ともいえる多次元世界に関心をもつ人がこの世に大勢いて、幾多のインタレストにエキサイトする人ほど面白いと考える私のような人間もそこそこいるはずと思ってきた。
 昔の人は、本職以外に本職を越えるような趣味をもっていて、どちらが本職かわからない人もいた。それらの人は大抵、私のいう「ペンデング・タグ」を一杯もっていて、そのタグがタグを呼び関心事は広がってゆく。そのタグは、その時点における自分としての「あるべき姿」探しとなって広がってゆくという発想の人たちであると私は思ってきた。だから、その人の人間としての幅(平野氏のいう「分人」としての数)も増え、多様な人とも[縁]のもてる「社会的適応力のある人格が形成される」と平野氏はいっている。そういう平野氏の考えの特徴は、根底に一つの「私」などなく、ときどきに異なったタイプの人間と対面するいくつかの自分があり、それは多重人格でも何でもなく、みな本当の自分なんだというところである。その考えには掛け替えのない「個人」としての「私」などない。あると思うから苦しむので、人間はもっと柔軟に社会的適応ができる生き物なのだ。といっているように思え、私も賛同できた。
 神仏習合、多神教のなかで絶対者信仰をもたない相対的価値観のなかで生きた日本人。と思うところの私として共感した。

 ところが「私」および「個」としてのアイデンティテイを考えるとき、どうしても厄介な概念としての「自我」を考えぬわけには行かない。2009.5.2の「自主自立してゆくしかない時代」にしても、2009.5.6の「阿頼耶識(あらやしき)」にしても、この考えの私の着眼点は、本来日本人の心の深層にある無意識世界は、西洋的自我を越えるところにあった。といういたって日本人にとっては当たり前の常識的な観点に立った。
 昔の日本人が「自我」という認識があったとは思えないにしても、669年創建された法相宗「興福寺」には、3.4世紀ごろインドで興った唯識佛教の「心の構造」を佛教の基礎学問として、日本の佛教の各宗派を問わず学んできた見識があった。。その唯識の心の構造と、1856~1939 にウイーンで活躍した精神分析学者フロイトの「こころの構造」とがよく似ているといわれることは有名である。
 
 唯識も、フロイトも「無意識」の深層のこころを対象にしているといわれているからであろう。私は、心理学にしても、精神分析学にしても、また臨床哲学、臨床心理学についても学識があるわけでもないので比較できる見識はない。
 しかし、このブログでも取り上げた姜尚中先生の「自我」ついても、福田恒在の「自我」についても、はたまたこのたびの平野啓一郎氏の「自我」についても、すべて西洋的「自我」をベースに語られている。日本のすべてといえる佛教家が「日本の佛教の心は西洋的自我を越えるところにある」といわれながら、唯識のこころの構造ともし比較するなら、八識の内「自我」はどれに当たるのか。六識の意識としての[知覚][感情][思考][意思]に当たるのか、それとも深層の心に当たる「末那識」の[自己執着心]に当たるのか知りたい。「末那識」が「自我」に近い概念とすれば、それを越えた深層の心に「人間の根本心」としての「自己根源体」としての八識「阿羅耶識」があると私は考えた。

 西洋的自我は、主に福田恒在のいった「社会的自我」と符合し、ときときの対人関係を良好に連携維持する「外側の自我」。処世術的・世俗的自我。それは「内的自我」に比べて低俗などと決して思わない。処世術にしても、世俗性にしても、懐の深い人間形成に役立っだったり、佛教の世俗化として「大乗仏教があり」「プロテスタントの分業化」により資本主義社会の基盤がつくられた。
 そのことと、日本人のこころの形成に大きく影響を与えたと思える「私の魂の住み処としての阿頼耶識こそ、私としての自己根源体として扱えないか」。これが私が仮説し、試みた日本的自己アイデンティティであった。

 「社会的自我」においては、平野氏の唱える「分人論」はすばらしい。私の中に幾つもの分人がいて、そのウェイトとというか、構成比によつてその人の個性が決まる。人格も決まる。八方美人ではない。その人の個性に惹かれ人は群れ、私のいう[族]が生まれ[縁]によって人と人とのネットワークが形成される。それは人間関係においても、経済活動においても良好な社会共同体の小単位となる。

 もう一方、私の考える「個人的自我」は、日本人においては、西洋的概念の自我を越える、例えば唯識の八識の「他人に代行できない自己としての自分」を根にもって、その根と神経細胞のように八方につらなった有機体の「分人」と、生態的にも、合理的にも、形而上的にも、つながりうる自己アイデンティティがあるのがいいと考えた。その意味では、福田恒在論に近い二元論である。


 そう唱えたい私なりの理由は、バブル景気崩壊後どれだけ多くの人が血の滲む思いで自己改造を模索したか、過去の幸せだった思考スタイルを変えることがどれほど苦しいことだったか。一部の階層と、恵まれた[族]の人たちと、リスクを張って時代の流れを読み、必至で「二つの自我形成にエネルギーのベクトルを合わせたか。合理的にモチベーションを継続した者だけがまともに生き延びた」その当時その現場にいた私は、痛いほどそのことを知っているからである。

 当時でも階層を問わず、問題意識=ペデングタグを貼る必要もなく、過ごした今の若者世代の親たちは、中堅企業の内定を取り付けた息子に、大企業でなくてはダメだと止めさせ、子の気も知らず、息子をフリーターに追い込んだあげくパラサイトシングルで、40歳近い者もいるとか。
 さすがに今日の新聞では、親の意識の変化も見えてきたと報道していた。


 今、10月24日の朝5時26分、ふとなにかに気づいたように思え目が覚めた。
 古代から日本人には西欧人が意識したような「自我」という認識はなかったのではないか、持たなければならない必要がなかったのではないか。だから日本には哲学という学問は育たなかったと、私の一番尊敬する哲学者がいったのだ。
 3.11直後、日本の名もない民衆がとった冷静沈着な態度。渡航してきていた外国人に当たり前のように救いの手をさしのべた名もない日本人。昔から伝えられる話の中にも多々あった。車も通らない赤信号の交差点で、全員信号が青になるまで待っている。時の為政者の民衆操作がなかったとはいえないのに、民衆はいかにも内発的動機で動いているかのように一様に「為す事を為している」。
 古代でも、中世でも、近代でも、現代でも民を統治する為政者は、「一番厄介な〈個の欲求〉〈異民族の欲求〉にてこずった」。支配する階層としての[族]は、支配される[族]の絶対服従の掟がどうしても必要となる。その統治思想は、欧州から中国、韓国を経由して変化しながら日本に入っき、日本でさらに変化し、定着した。ところが西欧においてはそれ以後も一神教としての「絶対神」は必要だったのだ。その流れは、近代から現代にいたる人間の幸せのために「自然も征服の対象とし物質文明を謳歌する」資本主義社会を成立させた。

 その流れの中で日本は欧米思想をモデルに、一時期アメリカ・モデルの民主主義とセットの資本主義社会を成功させた。ところが、3.11の事件で日本人の底流にあった「無意識のこころにあった内発的な、何か? が表出」した。論理的にも、科学的にも、説明しがたい なにか である。
 日本も古代から大和朝廷による全国統一までにおいては、他国でも見られたように熾烈な統治のための征服と、土着豪族および不定住の民との命と魂を賭した闘いは、消えた・消された伝説のなかの記憶にある。

 私が早朝ふと気づいたような気がしたことは、弥生期の前一万二千年ともいわれる縄文時代に、遠くはユダヤから、近くは南方アジアから、北ルートとしてロシアや蒙古から、主ルートとしては中国・韓国から渡来人がきたとい伝説。日本人は弥生期を起源とする単一農耕定住民族といわれるが、そうではなく、多民族が混じったDNA。それが奇跡的な人種をつくったのではないかと思ったことだった。
 「ひとつの日本からいくつもの日本へ」という宝来博士の説によれば、本州日本人のミトコンドリアDNAタイプは、4.8 %しかないとしている。そのことも一つのヒントとなっている。

 もう一つの日本人の特徴として、時の権力者・為政者も座を降りた後は、貴族出身であっても、、市井の民の中に溶けたというところであったのでは。そして市井の中で「無常とか」「ものの哀れ」とか「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とか「おごれる人久しからず」とかの厭世的とも思える心の向に、命を繋いでゆくしたたかさがあったのではと。

 これは早朝の、科学的根拠も、歴史的実証もないただの幻想であったのかも知れません。


 付録

 宝来博士の近隣国のミトコンドリアDNAタイプ

 [本州日本人]

 日本人固有のタイプ────── 4.1%
 韓国に多いタイプ────────24.2
 中国に多いタイプ────────25.8
 アイヌの人々に多いタイプ─── 8.1
 沖縄に多いタイブ────────16.1
 上記5集団以外のタイプ──── 2.1

 [韓国人]

 韓国人固有のタイプ──────40.6%
 中国人に多いタイプ──────21.9
 アイヌの人に多いタイプ──── 1.6
 沖縄に多いタイプ─────── 17.4
 上記集団以外のタイプ──── 18.5

[中国人] 

 中国固有のタイプ───────60.6%
 本州日本人に多いタイプ─── 1.5
 韓国に多いタイプ───────10.6
 アイヌの人に多いタイプ──── 1.5
 沖縄に多いタイプ───────10.6
 上記以外のタイプ───────15.2

 日本人は、原日本人系(縄文人)と渡来系の二重構造の中の混血であって、その混血が今でもまだ続いているという。アイヌと沖縄の人々が、人類学的にもDNA分析でも、縄文人に近くて近縁関係にあると証明されてはいるが、文字系列の違いから少なくとも一万二千年前には、別の集団として存在していたという。

 縄文人に近いとされているアイヌの人々と沖縄の人々に多いタイプの割合が、24.4%、韓国では19%、中国では12.1%である。そこに何か日本人の国民性の違いの秘密を感じたりします。

 アイヌや琉球の人々の価値観は、自然との共生にあるといいます。そういった人たちが日本人の原点であり、一部であるということを認識する時代がきたように思います。日本の中には渡来した文化だけでなく、アイヌや琉球といった多様な文化、価値観があったのです。過去に本土の日本人の多くが、自分たちの価値観でアイヌや琉球の人たちを差別してきたけれども、今、そのことを反省し、自分たちが大切にしているものだけでなく、他の人たちが大切にしている価値観を認めあうことが必要だと思います。

 縄文時代のベースがあり、弥生時代から続く武家社会を経験した上で、西欧の列強とまで戦った国ですから、こうした経験や歴史こそが、実は日本という国における最大の財産かも知れません。

(この文章は、「日本人の起源を探る」インターネットのシリーズから、宝来博士の資料を引用したものです)








 
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by kuritaro5431 | 2012-10-21 09:17


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