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2012年 07月 18日

漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた (3)

7月6日のBSプライムニュースの「日本人の幸福の基準」という番組の放映中に雷が鳴りなんども画面が乱れた。

 もう一つの山場である姜先生の夏目漱石の話、島田先生の話のところはとぎれとぎれの受信となり、DVD再生でも聞き取れなかった。従ってここでは、途切れ途切れに感じたことを書くことにする。


 「日本人の幸福の基準」が大きく変わった節目は、戦後3回あったと私は思っている。
 一回目は「日本が第二次大戦に負けたとき」
 二回目は「バブル景気が崩壊したとき」
 三回目は「3.11の人災と震災」

 一の目の節目はこれまで多く語られてきたので割愛する。
 二つ目の節目が、私は一番大きかったと思う。
 三つ目の節目は、現在進行中。


 ということで「バブル景気が崩壊したとき」を軸に、その前の繁栄と、崩壊後の20余年について価値観が変化した要因を探ってみることにした。今の若者にその体験はない。生まれ、ものごころがついたときは、今の社会・経済環境だったからデフレ経済も、勤労者の賃金が低いのも当たり前と、なにも不思議に思わない世代である。
 そして今、当時を知らない若者の心のなかに、バブル崩壊後の負の残照が無意識の底で他動的に発酵し、「物と金と安穏」に取り憑かれていた旧世代を否定しながらパラサイトで生きている。でも高等遊民といわれる族は、SNSやクラウド・サービスを使いこなし、シェア概念を行動化しようとして旗を掲げ、新しいコミニティ社会を目指そうしている人もいる。でも年収・暮らしは下等遊民。それで「命も、モチベーションも保てるの」というのが、新自由主義系の言い分。私にも1/3ぐらいはその気がないとはいえない。

 とはいえ、自民党の綱領と政局対処のスタンスには賛成できず、民主党の政治的能力のなさと、官僚(ことに財務省)と古い財界族に引っ張られ、踊らされ、国民に平気で嘘をつき、隠蔽する仁のない政治にも怒り、大阪維新の会のゆくへもまだ見定まらず、現在は無党派でいる。


 そこで、話を戻して、二つ目の節目が「日本人の幸福の基準」を一番変えた時期と思っているいくつかのことをピックアップしてみることにする。

◯暗黙の日本的雇用契約(年功序列・終身雇用・労使協調)が反故になった。
◯社員が最後のよりどころとしていた会社が、共同体機能を失った。
◯聖域(人財育成の投資)といわれてきた人件費が、製造原価と同じ変動費扱いになった。
◯ホワイトカラーの生産性尺度がテーラー主義的能力主義に変わった。
◯能力主義・成果主義人事制度へのシフトの本当の目的は、中高年社員の人件費を若手社員が背負いきれなくなり総人件費を減らすためだった。
◯賃金に見合う働きをしないという理由付け(本当にそうだったが)で、中高年社員を非効率の域に追いやり、追放を企んだ。
◯戦後第一世代は、ぎりぎり旧人事制度で退職したが、戦後第二世代(団塊の世代)はもろに雇用調整の狙い撃ちをくらった。今の若者の父親たちだった。
◯当時いわれたことは、団塊の世代は、ハングリーな戦後で歯を食いしばり頑張った第一世代の基盤の上で、好景気をカジュアルなライフスタイルを満喫した。そして会社、組織を頼りにしていた甘えの世代だと。
◯ところが高度消費社会をつくるオビニオン消費者として新しいラフスタイルを築き好景気をもたらした。
◯社員の個性を嫌い、画一的人格をよしとして「組織力と団結」をガバナンスの柱としてアメリカ式合理主義にキャッチアップしてきた。それは皮肉にも今自民党のスローガンにもなっている「絆」と裏腹の関係にある。そして会社は、この労働観を180度転換し「個力で働き自力で稼ぐ」になった。すべて自己責任という流れが進んだ。


 ここで話題がそれるが、3.11でしきりに叫ばれた「絆」と「連帯」と、バブル景気崩壊以前にあった「団結と絆」は全然意味の違うもの。「なでしこジヤパン」の団結力にせよ「AKB48」の結束にせよ、金太郎飴のような画一的な匂いはどこにもない。個としての存在を感覚的・肉体的に練習を通して筒一杯認識しての団結なのだ。オーケストラのパートが個々人の領域で個性的なプロであるように、彼女らは個として存在論的・現象学的に存在しているのだ。
 それは、アメリカ戦での栄光の勝利の前のドイツ戦の前夜、国内組のメンバーと海外チーム所属のメンバーとの間で、個人プレー型でいこうという海外組と、チームプレーでいこうという国内組とで意見が分かれたという。彼女たちは、深夜まで意見交換した。真剣に屈託なく。そこには佐々木則夫監督はいなかった。彼女たち自身で闘いに最も重要な戦略方針を決めていたのだ。そこには、昔どこの組織でもあったヒエラルキーの影すらなかった。


◯ここで話を戻して、そんななか、団塊の世代の管理者の多くは「出向」「転籍」「転職」を余儀なくされた。行く先は中堅企業を目指すも年収の大幅ダウン。汎用性のない元会社でのスキルは役立たず、何かにつけて会社組織としての規範がないとこぼし、転職先で嫌われ、元会社でのカバーエリアと桁外れに広い領域担当を要求されギブアップしていった人たちも多かった。


そんなに状況は変わったにもかかわらず、各社ともに人件費の圧縮ははかどらず経営者のいらだちは日々高まるばかりだった。当時J・コンサルファームにいた私は、2009年05月02日に書いた「自主自立してゆくしかない時代」のように、会社や当時の制度に頼り切っている自分を根本から見直さなければ、本当の自立は得られない。ここまでくればその道しかないとおもっていたからだ。



◯また話を戻して、そんななか、居残り組は、大きく変わりつつあった経営の流れのなかで、経営計画、経営目標、遂行のための新しいガバナンスのあり方、またマネジメントのあり方が問われ、職制組織での仕事より、重要課題についてはタスクホース型プロジエクトが主流になりプロジエクト・マネジメント力は必須となった。

◯事務系にせよ、工場労働系にしても、定型業務・作業は標準化されコンピューターによるシステム化、省人化わ目指す工場作業の自動化、特別のスキルを要さない職種としては職務給(性別・年齢関係なし一律賃金)が適用されるようになる。

◯その定着により、定型業務労働者をフリー契約できる規制緩和が施行され、非正社員が巷にあふれた。これにより継続したスキル向上の機会を多くの国民は失い、それがやがて負のサイクルとなって失業者を増やし、また働き盛りの30代40代の多くのワーキングプアを生んだ。

◯厚生労働省は、バブル崩壊以前より雇用促進事業として、失業保険加入者を対象に職業訓練を実施していたが、ほとんどが技能訓練からなる資格取得中心のもので、ホワイトカラーの管理職系・専門職系の能力開発プログムおよび講座は用意されていなかった。この分野は民間のコンサルタント会社などからの公募制で、これの審査するのは官僚天下りの雇用促進事業団であった。採用されたカリキュラムは、いかにも官僚が採用したものらしく魅力に乏しいものだつた。このカリキュラムを修了したからとて、到底再就職に有利になれる代物ではなかった。

◯転職失敗者の事務系管理者歴の人のなかには「経営コンサルタントでもやるか」と言う人たちもいて、通産大臣認定の「中小企業診断士」資格が話題になり、人材紹介業や、各種資格取得専門学校などが名乗りをあげ一時は賑やかな広告合戦が展開された時期もあった。
 しかし、その名の通り経営診断業務が目的で、診断結果に基付く改善指導は領域ではなかった。資格取得者のほとんどは企業内での経営改善活動に生かしたい人たちだった。その後診断士の取得者も増え、活動足跡に対して不満がではじめ、通産省は法令を改正し、「改善指導もできること」が付け加えられた。それに伴い試験も難しくなり、診断士に纏わる広告も、新聞記事もいつしか消えた。

◯その後「社会保険労務士」の活躍がめだった時期もあったが、企業の人件費削減の助っ人として完全に企業側の利益擁護に立つ人が多くなった。他に「税理士」を目指す人もいたが、競争条件が緩和され、どちらも契約企業からの事務代行=アウトソーシングの受け皿となっていった。

◯新卒を一括採用して自前で企業が教育するシステムは、画一的人間教育が有効であった時代の遺物である。バブル崩壊を境に、企業の教育費負担が重荷になったこと、学生・生徒の個々人の個性や長所を生かす教育からも、また採用即、即戦力としたい企業ニーズからも、大学・高校ともに産業界からの実学教育の強化要請が強くなっていった。文科省教育行政も同調した。
 産学協力に積極的な理系に対し、文系の学生は総じて、実学の強要ともとれる文科省方針に嫌悪の感情さえみせるようになった。その反面、実学にもいろいろあり、売上や目標達成のためのハウツウばかりではなく、これからの生き方とも大いに関連するものもあったが、彼らはまとめて儲けるためのハウツウと見て拒絶し、今日にもつながっているようだ。


 2009.5.2の「自立してゆくしかない時代」と2009.5.6の「阿羅耶識・あらやしき」の項に掲載したチャート類は、その頃考えたものだった。

 そこに挙げた4枚のチャートは、当時私なりに苦悶しなから「個」と「集団」のこれからを模索した。概念イメージである。コンサルティング企画のこの領域における基本概念にできないかかとかんがえたものである。あくまで私のイメージをビジュアル化した試案であった。心ある大手企業の人事部長なとど話し込むときこのチャートをみせ話題にした。

 もう1つは、自主自立という考えを自己の内部にも植え付け、内発的にも自立を担保する意図から唯識佛教の「阿頼耶識」(あらやしき)という概念が有効と思え、取り込もうと模索した時期があった。2枚目3枚目のチャートは、ごじゃごじゃしていた想念をなにかのワールドにならないものかと考えたものでした。(これを機に参照いただければ……)

by kuritaro5431 | 2012-07-18 20:45


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