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2012年 06月 21日

冲方丁氏がコラムに書いたノマド

 2012年6月19日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」に、冲方丁(うぶかたとう)氏が書いた「ノマド」という小文が載っていた。
 
「本来は遊牧民を意味する言葉だが、転じて会社組織から自由になる働き方、ひいてはライフスタイルを獲得した人々を指すという」上記コラムの一文。

 冲方氏は1977年生まれ35歳。ライトノベル、サイエンス・フイクション、フアンタジーを書く小説家兼、漫画の原作、コンピューターゲーム製作まで手がける多彩なクリエーターである。ペンネームの由来も、ライトノベルの読者をゾクッとさせる感性を発散させている。「丁」は、火が爆ぜるという意味。それに対し「冲」は、氷が割れるという意味。「方」は、職業の意。2009年話題になった代表作「天地明察」が映画化され、9月に公開される。その冲方氏が書いたコラムだから興味深く読んだ。

 今話題のノマド族は20代後半が主流で、バブル景気も、バブル崩壊後の激変も知らず、今の政治・経済・生活・職が日常として生まれ、生きてきた世代である。それに比べ冲方氏は14~5歳でバブル崩壊期を体験している勘定になる。15歳の差があれば、父親からの影響も違っているだろう。台頭しはじめていた価値観の多様化の影響も受けているだろう。世代は多少違うにせよ、ノマドに近い、フリーター的存在でもあるから──

 私と氏との差は44。私に息子がいたらそれより若い。私は団塊の世代の前の、戦後第一世代である。そのことが3.11以降気がかりでいた。最近接した若者とのやっかいそうなギャップに憂いを感じていたせいもある。
 コラムを読むと、私とは反対に社会にでたときから自由業で、組織社会(会社)のもつ恩恵を受けずに今日にいたったことの不利を、効率の悪かったスキル磨きと振り返っているところが妙な驚きと好感をもった。それは話題のノマド族とはどこか違っているようだから。

 氏に比べ私は、戦後第一世代としてヒエラルキーのはっきりしていた会社組織のなかで確かにサラリーマンとしての仕事の仕方、ある意味での生き方を教わった。経済成長が加速しはじめてから氏のいう各種の経営ノウハウを主にアメリカから学び、中間管理職を中心に若手社員も乾いた砂に水が滲みるようにみんなで吸収していった。現場で試し、日本的風土に馴染むよう各社なりにトランスフアした。その革新と思えた経営管理・創造性開発・労務管理・生産性向上技法・品質管理・販売管理からマーケテイング、コンピュータシステム開発、等諸々の輸入知識を意欲的に学習し、日本的に変換し、総合的経営ノウハウとしていった。その集団的エネルギーがジャパン・アズ・ナンバーワンという工業立国日本をつくりあげたことは確かであった。

 高度経済成長が加速してゆくにしたがってものが豊かになり、日本的高度経済成長を支えた画一大量生産に最適な社会システムとしての日本的経営(年功序列・終身雇用・労使協調)が最適でなくなった。
 画一的大量生産方式においては、個性的社員は必要なく、もしろ弊害とみなされていた。社員は色の染まっていない新卒を一括採用して、集合教育し、OJTで職場の集団主義に馴染ませる。「社員一丸となって」という当時よく使われたスローガンが示すように、金太郎飴のようにどの社員も、思考・行動・スーツ・ユニホームまで統一できる会社がよいとされた。会社はその従順さと引き替えに、転職すると不利になる「終身雇用」を暗黙の約束としていた。
 
 やがて消費者は、選択肢の少ない画一大量供給から多様な商品アイテムから、好みのものを求めたいニーズに変わっていった。商品アイテムは多様化し、生産は小ロット化せざるを得なくなった。
 このころ工業化社会から3次産業・情報化社会への移行時代到来と叫ばれてはいたものの、依然として日本のGNPの柱は大手製造業を基幹として仕組まれようとされ、もっぱら商品アイテムの多様化と、品質と嗜好性の重視で大手製造業への依存はつづき、バブル景気は1987年から3年続いた。
 
 そして1990年バブル景気は崩壊した。
 それを機に、集団主義による日本的経営の生産性の悪さが問題視されるようになった。会社だより、組織だよりのサラリーマン根性が社員一人当たりの生産性の悪さの原因とささやかれた。
 経済成長が著しく低下した製造業他、各企業は経費削減にやっきになったが変動費のコストダウンだけでは追いつかず、日本的経営では聖域とされていた総人件費の削減に手をつけた。それだけでは追いつかず、出向・転籍・果てはリストラまでやらざるを得なくなった。
 他方、残った社員に対しては、成果主義人事制度を導入し、総人件費の削減を実行した。
 人員調整の対象になったサラリーマンたちは、若いころは会社貢献より低い賃金で我慢し、その積み立てに見合う額を、子供が成長し学資がいるころ給料を上げてもらう、いわゆる年功序列の賃金制度に安心して働いていた。その暗黙の雇用契約が突如ほごにされたのだ。
 当時リストラになったサラリーマン夫婦が、長年家庭を犠牲にし、身を粉にして会社に奉公してきたのに、と涙した話が多く聞かされた。

 私は別の理由で、大学卒業後1回目の会社を14年勤めて人材銀行経由で転職し、2回目の会社も14年勤め、同じ理由で退職し、3回目の会社は1985年、53歳のとき新聞広告を見て応募し、やっと組織拘束のいたってゆるい経営コンサルテングファームに入った。自由であるかわり、入社2年後の生存率4人に1人というリスク。大抵の仲間は、企業のような組織で拘束されたくないというはみ出し者ばかりだった。
 私の転職理由は、1回目の会社も2回目の会社もある時期自分の成長につながる仕事をやらせてもらって、望んだわけでもなかったが社長の側近スタッフになった。そこでどちらの会社の社長も社長の便利屋スタッフとして私を使おうとした。私は頼まれたことはこなしたが、社長の欲望(社内外の権威の拡大と維持、己の達成目標実現のための利己的手段の強行など)がみえる仕事は冷ややかに遂行し、空き時間には極力汎用性の効くスキル磨きに励んだ。2回目の会社では経営コンサルタントが何人も出入りしていて、主に私が対応していた。あるとき、その1人のコンサルタントが「社長がもっと懐に飛び込んで欲しいといってるよ」といったこがあったが、態度は変えなかった。そして不満が極限に達し、転職した。

 学生時代ゼミの教授が「10年はその会社で働いてみないと、よいことも悪いことも分からん。まして体験を世間に通用するスキルとかノウハウにトランスファしなければ、家族が安定して生活できる収入を得ることはできないぞ」といわれ、そのことは守った。

 はじめの2社在籍中、30歳過ぎてからは年に2~3度、今の自分のスキルなら自由労働市場でいくらの買い手が付くか検証していた。

 組織内で経営ノウハウを一番獲得できたのは、なんといってもコンサルティングファームであった。リストラ組の人たちが一時「コンサルタントでもやるか」という言葉がはやったが相談を受けた人には「いきなり個人コンサルやるのは無理だ。せめて3年ほどどこかのファームで修行してからにしたら」といったが、かなりキャリアのある人でも他社を知らない人が、コンサルティングで高額のフイをもらうということはどんなことかを理解している人は非常に少なかった。

 そこで、前述の「最近接触した若者とのやっかいそうなギャップ」にいつてであるが、とくに、文系の最高学歴(大学院研究科)の人などは、実学とか、稼ぐとかいう言葉に敏感な嫌悪の反応を示す人がいる。最近よく目に付く「哲学カフェ」系に集まる人たちには私のような戦後第一世代には寄りつきがたい距離を感じるが、それでも彼らを分かっていないんじゃないかとこちらから接近してみている。なかには、よりアカデミックなものが尊いと、その研究に必要な費用は寄付で賄うべきという意見まで持っている人もいた。社会への役立ちについても、そんな小さな価値創造のための研究ではないと。それでいてどこかしらっとしていた人もいた。

 どうやら過去の物の豊かさと利益の大きさを求め過ぎた社会システムや経済学、経営ノウハウはチャラにして、物や金はそうなくてもみんながこころ豊かに暮らしてゆける社会システムのありようや働き方をやってみたい。その手段の1つとしてのノマド。それは私も賛成である。3.11を機に「思考モードの変換を」と叫ばれてもいる現在、決してその方向を否定するものではない。むしろ支援したいのが私のスタンスである。そうであるから、冲方氏のいう体験しておきたかった過去の経営ノウハウとか、特に私は創造性開発技法などいくつかノマドの働き方に役立つものも多々あるように思えてならない。
 それと、実学とハウツウをイコールに解釈している若者感覚も気になる。ハウツウは限定的効用しかなく、私は汎用性のないものとして極力嫌ってきた。さらに気になることは、稼ぐことを嫌う感覚にはどこか不健全な人だより、親だよりの能動性のなさを感じてならない。一人の人間として家族も含め、子供の教育費、社会的縁者とも過不足ない付き合い、祖先も祀るためにはほどほどの稼ぎは必須と思う。社会や他者に役立ってきれいに稼ぎ、きれいに使う。そんな感覚はクサイ戦後第一世代の時代錯誤、なのだろうか。

by kuritaro5431 | 2012-06-21 08:13


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