哲学から演歌まで  

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2012年 06月 16日

やはり世界を支配するものはシャクティ(パワー)であったか

 1990年代、アメリカは日本の国力をそぎ落とすために、ありとあらゆる手段を使った。日本人がもつ伝統的な価値観を崩壊させ「欧米流」に切り替えさせ、日本国民が稼いだカネを海外に振り向けさせる。そして、ふらついた日本が中国やロシアと結びつかないように、手をうった。

 日本以外では、ピーター・ドラッカーはそれほど有名ではなく、評価も高くない(一介のユダヤ人コンサルタントに過ぎない)。だが、いつのまにか、本来のリヴィジニストとしての色彩は薄れ、日本社会の中で「マネジメントの父=教祖として崇め奉られる存在となってしまった。その理由の一つは、エズラ・ヴォーゲルとともに日本的経営を成功例として揚げたからだ。お人好しの日本人は、褒められると脇が甘くなる。彼が唱えた「コア・コンピタンス」経営とアウトソーシングの奨めは、あっというまに広がった。その結果、多様な「ものづくり」が日本から完全に消失した。多角化経営で次世代製品のシーズを生むサイクルが消え去り、長期の信頼関係を前提とする系列取引が瓦解化したからだ。本来有機体として強みをもっていた日本企業がモジュール化され、バラバラに解体されたからだ。大企業は、シナージーが起きない凡庸な企業の無機的集積物になってしまった。アウト・ソーシングは有効な場合もある。しかし、柔構造のジョイントをはずし「他人任せ」にしてしまっては高品質は保てない。リコールが増えるはずである。しかも、その任せた「他人」がライバル会社の傘下にいるかも知れない。あるいは、システムを破られ、機密情報が漏洩してしまうかも知れない。NDA(機密保持契約)などは絵に描いた餅である。そもそも、ウインドウズというパソコンのOSには、ズブズブの穴があいている。ハッカーやウイルスの開発者たちの出身がOSの開発者ではないかと見紛うほど、簡単に侵入されているという。ウイルスに侵入されてもその痕跡すら残さず、機密情報を抜き取るケースもある。ウインドウズの開発者たち自身が、脆弱性を一番理解しているだろう。彼らが同時にウイルス制作者でないという保障はない。スタックスミットというウイルスの存在は、それを推進させる十分な証拠だろう。アメリカのペンタゴンとイスラエルが開発したウイルスのプログラムであり、イランのウラン濃縮施設を破壊させる威力をもつものという。ソニーのシステムを破壊したアノマスというグループが、どのような組織に操られているか興味深い。(中略)

 野田政権誕生後、100兆円以上、急激に膨れ上がった国債残高はあっという間に、1千兆円を超えてしまった。一方で、財政再建のための増税といいながら、米国債を購入しつづけ、韓国へ5兆円融資し、1MFへの数兆円の拠出を計画している。すべてわれわれ国民の借金となる。(中略)

 野田政権は日本国民の何%を餓死させるつもりなのだろうか。日本人の高齢層を自殺や餓死によって減少させ、年金給付額を減らそうという魂胆か。(以下略)

 上記文は、2012.04.03付のブログNinja Meda Kafish より部分引用したもの。

 また、同様の主旨のものとして第58回日本エッセイスト・クラブ賞受賞・秋尾沙戸子著『ワシントンハイツ』──GHQが東京に刻んだ戦後帯に──焦土のまっただ中に立ち現れた「日本の中のアメリカ」──そこに現代日本の原点があった── もある。


 古代から現代まで、左(左翼とか左派という意味ではない)の極限から、右(右翼とか右派という意味ではない)の極限にまで連なる諸々の見解が、民話とか、伝説とか、史実とか、小説とか、戯曲とか、また学説とかで述べられ、語られてきた。
 その左から右への間にはさまざまなアイテムが何億もの見解として存在してきた。「哲学から演歌まで」としたのもそんな意味もある。また直線の上に列ぶ点のようなものではなく、クラウドのようなアナログ的存在として3次元に存在している。

 発信者には、それぞれに存在上の立場があり、真実もあれば、騙しもある。いずれにせよ、それらの知であり、情であり、意である情報は、時代時代の覇者の支配力のありようを反映したものであろう。世界の覇者とならん闘い。支配者と支配される者ののっぴきならない情報戦と実質支配。そこには、いつも偽りと隠蔽はつきまとう。権力を手にした者は、やかで欲望がオーバーシュートし自滅する。

 いま世界は、パワーバランスの失調障害期にある。その渦のなかに巻き込まれている日本があり、日本人がいる。
 パワーパランス調整能力の乏しい政権下にいる国民は不幸である。不幸どころか生存さえ危ない。

 左から右へ無数に存在する質も異なる力関係のなかで、あるときは、左に、あるときは右にと人々もバランスを取ろうと必至でいる。恐ろしいのは人々が内的均衡を失うと死に至ることだ。社会的存在としても生きられなくなる。

by kuritaro5431 | 2012-06-16 08:17


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