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2012年 06月 13日

大飯原発再稼働へ

 このブログに大飯原発再稼働問題をいつ取り上げようかとタイミングを見計らっているうちに日が経ってしまった。いやが上にも盛り上がる再稼働阻止の国民的うねり。その動きは関西より東北、関東の方の動きが活発になった。東京では集会やデモの阻止行動が激しさを増し、野田政見はどう出るか。「再稼働ありき」としているとしても、国民(この言葉にはみんな胡散臭さをもっている)に納得のゆく説明がされるか。東京での稼働阻止運動の映像などNHKをはじめどのチャンネルにも流されない。
 
 そんななかで6月8 日福井県知事の「国が稼働の必要性を説明すべき」との要請に応える形で、野田総理は記者会見した。結果の感想を先にいうなら、今までの政治不信の上塗りをし、一層野田政見の政治不信を深めることをやった。ということである。

 昨日の国会で、石破議員がいったように、「再稼働したときのメリットとリスク」と「稼働しなかったときのメリットとリスク」両方を検討するのにどれほど悩んだか。悩んだプロセスに国民が納得する苦悩がどれほどあったか。そのリアリティなしに国民は納得するはずもない。「国民の生活のため」という言葉が、記者会見の時も、今回の国会答弁にも何回もでてきたが、「国民の命の保証」についてはいちども触れず、経済的側面のデメリットのみ強調された。誰かがブログに書いていたが、自民党時代から、政治主導などなく、政治家は舞台で演じる役者であつて、演出、制作は陰の黒幕である官僚であったり、陰の実力者であることが、特に今回の3.11で国民は知ってしまった。そんな国民の意識変化も知らない野田総理の政治感覚というか、政治的知性というかそんなセンスがますます露呈した近日であった。
 口先だけで「国民のため」と繰り返しておけば国民は納得するものと、高をくくっている知性のなさが、国民不信の原因だということをなんにも分かっていない。松下塾でなにを学んできたのだろうか。「国民に対する仁」など関係ない覇道の政治のみ学んだのだろうか。

 私は大飯町大島半島の先端にある宮留とう漁村で、遊漁船兼民宿をやっていた若夫婦の世話になり、大飯原発の見える沖で、20年も鯛釣りをした。若夫婦の両親の話を聞くと「昔は半島とはいえ孤島だった」「島の集落に渡るには、人も荷物も舟だよりだった」と。
 1979年(今から33年前)関西電力大飯原発の 1号機2号機の運転開始を目指して大々的な建設工事が始まった。
 私がはじめて大島へ渡る青戸大橋を車で渡ったのは、大飯原発の3号機が建設されていたころと思われる。
 国道27号線を小浜から西へ向かい、鯉川の海水浴場を過ぎるころから一気に視界が広がって、近代的な建造物としての青戸大橋が遠くから見えた。半島山脈の上を巨大な送電鉄塔が山波の高低に沿って連なっていた。青戸大橋を渡ると、高速道路並みの道路が赤土の山肌を削って整備されていた。多少の曲がりはあったものの、宮留までのいくつかのトンネルもでき、それはそれは立派な近代事業であった。投資も惜しまない国策事業と見えた。

 27号線を左の県道に入ると、水上勉の生家や、記念館があると聞いた。水上勉の自伝によると、貧しかった昔、その地方では子を間引き、断崖から捨てた。水上勉の実父は、村の墓地の入り口に構える棺桶大工だったと。

 そんな貧しい村落を狙い撃ちにし、原子力発電所の誘致をやったのが国策であった。日本初の美浜原発も、高浜も、福島も貧しさと引き替えに多額のの保証金、町への助成金を表からと裏から出した。大飯町においても住民に、国と関西電力は甘い夢と偽りの情報を吹き込んだ。住民はただ貧しさから解放されたい一念で、その政策に乗った。
 私が見た大島の住民の家は、みな新築だった。各戸に2台は車を持ち、原発で働く人も多かった。民宿や釣り宿の経営、3000万円もする遊漁船も新調していた。大型回遊魚の釣り堀、小さいながら家族客誘致につくられた海水浴場や海釣り公園。50台以上ゆうに停めるられる立派な駐車場などなど、貧しい昔とは比べものにならないほど豊かな生活を得た。
 ところが近年は、海流の関係か船での沖釣りが不漁になり、釣り客が減った。遊漁船を廃業する家もでている。頼みは、釣り客相手の民宿を、原発で働く職員や下請けや孫請けの人たち、の定宿となっていること。とはいってもそれは大飯原発に近い一部の民宿だけである。

 貧しかった昔を忘れ、今の生活に慣れきった豊かさを放棄できるはずはない。
 表向きの町への補助金、つらつらと不信の臭いがつきまとう裏金は、利権者や関電との癒着が噂されている企業に流れているらしい。。

 そんな状況を滋賀県の住民も、京都府の住民もみな知っている。地元の住民への説明会でも反対発言者がいた。補助金の恩恵を受けてなく、被害が出れば直撃される小浜市民など。その人たちを力で排除し、賛成者だけの別部屋で東北並みの大津波・大地震がきても安全と、推進派の役人や御用学者が説明した。その映像はテレビにも流された。
 テレビ局各社も、お笑い番組と、制作費のかからない韓流ドラマなどで政府や電力村の提灯ばかりもっていれば視聴率が下がることもわかってきた。なかには真実を露出しはじめた局もある。
 
 他方東京電力では、一般企業では考えられない再建計画。国からの多額の支援を(国民の税金)を受けながら「値上げできる権利がある」とまでいった会社が、3.11以降も変わらぬ体質。社員のボーナスは払い、責任とって辞めた前社長はしゃしゃと子会社の社長に収まりなにひとつ身を切る責任も感じられない。東電の電力事業での収益は、他から買えようのない家庭への供給で90%もの利益をあげている。競争原理導入によるコストダウンとしてどこの国でもやっている発電、送電事業の分離も頑固反対の構え。事業に必要な原価・経費がかかるほど会社が儲かる「総原価方式」かかった総費用に利益を積み、足らないときは値上げする、という極端な独占企業会計。それを今後も放任するであろう民主党政権。
 今回の東北大震災に端を発した政府民主党のやった対応で、どれだけあてにならない、力のない政権か国民は知った。だからとて自民党がいいとはおもってない。既成政党・全党不信である。
 この夏場の電力不足量にしても、数字はころころ変わる。関電の発信情報もあてにならないと国民はみんな思っている。
 
 京都出身の民主党幹部が「関西圏の住民や企業は、福井の皆さんに今まで大変な恩をいただいている、今こそ恩返しをするときではないか、それが人間の道」という意味のことをいっていたその彼は民主党政権獲得に一番恩を受けた人を、選挙が終わったとたんXと組んで手のひらを返すように裏切った。彼の選挙区内には、100メートルおきにポスターを張りまくっているが。知る人ぞ知る裏切り者である。

 そんな国民の風の流れを知ってか、無視してか、野田首相は記者会見した。
「国民の生活のために電力は必要です」「国民のために」という言葉を会見中何度使ったことか。「抽象的なきれいごとでは国民の生活は守れません。現実対応するのが政治の努めです。停電にでもなれば命の危険な患者もいます。供給が止まれば、倒産さえしかねない町工場もあります。夏場だけの緊急稼働では国民の生活は維持できません。継続稼働が必要です」といった。
 そして京都出身の民主党幹部のいった「大飯町のみなさんにいまこそ恩返しを!」と同じことをいった。
 会見終了後の記者質問は、原発推進派で知られている読売新聞の記者だった。国民が迫られている「再稼働か」「停止か」の苦悩を代弁する質問ではなく、なにごともなくシナリオ通りに時間が過ぎればとの態度がありありと伺えた。その質問に対して、野田首相は、会見で述べたことをことさら長くじゃべっていた。
 二人目の記者質問は、どこの新聞社か聞き漏らしたが、原発問題とまったく関係のない国会運営の質問をしていた。それについてまた長々と野田首相は答えていた。
 その局での会見放送は、首相の話も終わらないうちにコマシャールに変わった。
 
 大飯原発の真下に、活断層がある、もし放射能が漏れ飛散するような事故が起きれば、福井の地元住民、滋賀県、京都府、大阪府までも被害は拡大する。琵琶湖の水が汚染されれば滋賀県、京都市、大阪府の水源はアウトである。
 幼い子供のための生活にも電力はどうしても継続的供給が必要だといった。
 それこそ国民が一番心配しているのは、放射能漏れが起きたときの大きなリスクに対する不安であり、幼子の被る甲状腺被害である。
 それら一番の国民の関心事には、科学の力を信じ、できる限りの対策を講じます。といたって抽象的な話しかしなかった。「政治には抽象的言葉は通用しない。現実的対応あるのみ」と一方で言いながら、ここではまったく科学的根拠も、論理的納得性もない、上滑りの言葉遊びか、稚拙なレトリックかしか感じなかった。

 6月8日の野田会見までに、関西広域連合の知事たちと、発言力を増してきている橋下大阪市長維新の会は、再稼働によるリスクの大きさ(命の重さ)と、稼働停止による経済活動のダメージ、産業界からのつきあげ、これに苦悶していた。その経過はいたいほど伝わってきた。
 そして再稼働容認とも取れる宣言を政府に提出し「橋下市長は、実質再稼働容認です。敗北です」と、会見で述べた。
 その翌日だったか、大飯町長だと記憶しているが「勝った負けたの大人げない」といった。
 その発言にどれほどの国民の感情を逆撫でしたか計り知れない。あの黒い噂の町長が、大飯町の住民に感謝し、恩返しせよ、といった二人の民主党幹部の言葉に悪のりして。

 野田会見によって再稼働するか否かの、決定へのボールは、福井県知事に投げ返された。
 福井県知事は、再稼働派であるから多少のぎくしゃくはあっても、再稼働を県民意向としてごりおしでもまとめるだろう。反対派を実力で排除しても。

 その後の様子も刻々と変わっている。
 先に述べたように「大飯原発再稼働阻止運動」は、滋賀県、京都府、大阪府の地元より、3.11で原発被害を体験した東北の人たち、さらには関東の知識人、学生、などの方が真剣にアクションをとっている。
 一番正常な判断をしてくれそうに見えていた滋賀県知事。このかたも関西広域連合の意見に苦渋の決断だとはいえ、同意した。この行動に対して一番非難の反応をしたのは東北の人たちからだった。
 大変考えさせられてしまった。
 震災後、政府や東電がどんな対応しかしなかっかを一番よく知っている人たちからであるから。報道もインターネットにも載らなかった「絆」の言葉とは裏腹に、政治不信、政治家不信、そして人間不信までに閉塞した東北の人たち。
 東北は古代から不遇な対応を受け、堪え忍んだ日本人である。
 東北人からの叱咤は「騙されるな、電力会社と、政府、そして利権に群がる御用学者や、利権者たちに!」そんなエールとして聞こえる。

 
 今日の晩、いましがた経団連会長から野田総理の大飯原発再稼働の決断を称える記者発表があった。経団連の会員会社のほとんどは、20世紀の日本の経済成長を成し遂げたリーデング企業たち、製造業である。
 
 その業種への未練か、まだまだリーディング企業であり得るとの幻想か。先進国は、いずれ第2次産業から第3次産業に移行するといわれてきた。戦後の第一世代は、ハングリーに働き、これらのリーディング企業を中心とした産業社会で社会・経済のインフラを築いた。
 つぎの団塊の世代は、築かれたインフラの上で、カジユアルに楽しく豊かな生活を甘受した。だがバブル経済崩壊後それまで機能してきた日本的経営が崩壊し、転籍・リストラの辛酸を嘗めた。いつしか会社だより終身雇用の風土のなかで生きてきたその世代は、転職しても使いものにならない階層になっていた。自立・主体が叫ばれた。そして小泉内閣を機に、競争による市場原理が、経済のみならず働く人たちにも適用され、経済成果で人も評価するようになり、人件費も製造コストと同じ変動費とみるのが当たり前との風潮が蔓延した。その結果非正規社員が世にあふれ、所得格差は拡大し、失業者・自殺者はふえてゆく。
 だからなのか団塊の世代の子供たちは、親の勧める安定志向の生き方を擦り込まれている。
 偏差値を高め、有名校の高校・大学に入り、大企業に就職する。その大企業とは先に挙げた企業群をイメージしてのことらしい。
 アメリカ的資本主義・グローバリズム・金融資本主義・民主主義・覇権国家としてのアメリカの衰退などなど世界中深刻なクエスチョンを突き付けられている。
 そんな変化の激しい、早い変化の世紀のなかで安定志向で生きられるだろうか。団塊の世代が学習した辛酸はどう生かされればよいのか。
 20世紀のリーデング企業団に塩を与えたとしても、今後も国民生活を豊かにしうる保証はない。むしろそれへの期待は幻想となる日も遠くない。

 つい大飯原発再稼働問題が、大き過ぎる問題にまでに波及したが、これはこの機での問題意識としておき、別テーマのところで再度考えていきたい。
 

by kuritaro5431 | 2012-06-13 07:11


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