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2012年 04月 29日

ライトノベルとお仕事小説は水と油

 4月12日の日経新聞・夕刊文化欄に「キャラクター小説の系譜」と題して、細谷正充氏が若い読者(メーンは10代)があまり関心をもたない「お仕事小説」と「経済小説」について述べていた。新しい傾向が芽生え出しているライトノベルのジヤンルについての話である。
 紹介されているいくつかの作品は、非現実感あふれるキャラクターと、このジャンルが得意とする異世界に誘うレトリックを使い「仕事のおもしろさ」を実感させ、ビジネスの世界へ誘い込んでゆく仕掛け。そこには、ビジネスを通して「商人の駆け引きや、商人の守るべき信義」がどの小説が書かれていると。それはライトノベルを進化させ、さらに多様化させ、新しいジャンルを獲得しはじめている現れといっている。

 10代の若者のみでなく、30歳にもなった男子の「仕事嫌い」「稼ぐことへの嫌悪」が広がっている。それは70%もの日本の若者が「今のままで幸せ」と答えていることとの裏返しとも取れる。
 働かなくても親からの仕送りで食えている。親にしてみれば、非道に走るよりはまし、と支援する。でもその親はいつまでも生きてはいない。そのとき彼らは50歳60歳になっているかも。その時期には日本の福祉財政は、完全に破綻している。

 働かないと銭は入らない。
 銭は卑しいものではない。
 稼ぎよう、使いようによって善にもなり、悪にもなる。

 祖先との絆をたもつのも、仏事には金がいる。
 子供の七五三の祝いにも金はいる。
 労働条件改善にも、金はいる。

 いかなる信義で稼いだ金か、いかにきれいに使った金か、それが江戸時代の日本人の銭に対する美意識であった。

 バブル経済崩壊後、金のかかる葬式や、墓地、祝い事、などの習慣は、縄文時代にはなかった。でも豊かな暮らしだった。生きている人間とも、死者ともテレパシー交信さえしていればいいと唱える人も増えてきた。確かにロマンを感じる話で一理あると思う。でも現代人は長く便利な生活に慣れ、テレパシー能力は特殊な人は別として、退化してしまっている。

 若者の多くは「次世代をになう若者! しっかりせい」といわれるのが「おせっかい」と聞こえるようだ。親の世代のように、楽に収入を得られる道筋は途絶えた。人並み以上にスキルを磨いて、成果を出した者だけがまともに生きられる。でも、しんどい思いまでしてスキルを磨く気にはなれない。

 幸せと思っているんだからほっといてくれ、おせっかいは止めてくれ、といってるみたいだ。

 その根は深い。その脱力感を高揚さすには、並大抵ではできないと思う。その一翼に挑戦する「新キャラクター小説」とてもたのもしい。
 

by kuritaro5431 | 2012-04-29 10:07


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