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哲学から演歌まで  

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2012年 04月 11日

地元に残るか 安全な地で暮らすか

 いまだに東北の人たちはこの選択に苦しんでいる。

 自然を相手とする仕事で食っている人が多いという東北。そんな生活のなかで辛抱強い人となった。金のことを考えなければこんな楽しい仕事はないという。でも安すぎる。漁師で年収250万円、農業で150万円。農業ほど割の悪い仕事はないと思うが楽しい仕事だ。伸びた双葉がポッと開く音に騙されて今日までやってきた。
 こんなに金にならない仕事なんかするもんか。
 地震の直後はもうこんなところに住むもんか、と思った。
 自然は厳しいけれどやさしいよ。そんな思いの人が多いのが東北。
 都会には都会のよさがあり、山にはやまのよさがある。農業の仕事、海の仕事、それぞれによさがある。それを選ぶのはその人その人でいい。

 とはいっているものの、みんな本音は豊かな東北に帰りたがっている。一番心配なのは子供たちの放射能被害である。過剰に心配することはないといわれても、原発から漏れる放射能は何年後にどれほどの被害を及ぼすものかわかりようがない。そのころには今の原発稼働推進者や、御用学者はもうだれもいなくなっているだろう。責任はだれもとりようがない時代になっている。そのために安全対策がほぼできる工程表はづっと先になっている。再稼働先にありきの民主党。自民党になったからとて同じことになることを東北の人も、大飯原発からの供給を受けている関西の人たちも知っている。
経験したことのないことだけに、親が子を心配する気持ちに戸のたてようがない。
 遠地で暮らすと決めた人にも夫であり父親が現地に残っての生活である。「がんばれ東北」「日本の絆」といわれるなか、確実に家族の絆は分断されている。


 多くの支援者、もの書きの人たちは、現地入りして地元の人たちの声を聞き、肌身で被災者の辛苦を感じて何かを発信しようとしている。
 だが私は、重くはなかったはずの脳梗塞の後遺症で足下がふらつき、遠出の出張も旅もこの方20年無理になっている。でも、3.11にまつわる情報をいくら書きとめ録画しても、切り抜いても、現場の匂いはしてこない。どこかでだれかが加工したもの特有のうさんくささをもっている。現場に立っていない己の脆さを感じずにはいられない。
 といっても、だれかいってたように、見ず知らずのものが支援者面してボッと2.3日訪れ、話を聞いたからとてなにがわかるもんか。瀬戸内寂聴さんや五木寛之さんなんかずっと以前から東北の人たちとの親交があり、現地の人から心底信用されているからほんとのことを話すんだよ、と。
 確かに、私もそう思う。もし現地を訪れたとしても、悲惨な風景は、テレビ映像とぜんぜん違うと思うだろう。また、同じ東北でも場所によって悲惨の度合いも、質も違うはず。まして、一人ひとり違う被災者の心の内は分かるまい。むしろ表面の現地を見聞きした印象に囚われて間違った思い込みでもするのが落ちと思うことにした。
 
 私は私のできる状況下で、私でできる行為をし「無為の加担」者にだけはなるまいとおもっているいる。

by kuritaro5431 | 2012-04-11 16:05


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