哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ
2012年 02月 25日

怒らないこと 

『怒らないこと』20万部突破、『怒らないこと2』36万部突破、『生きる勉強』4万部。と日経朝刊全5段の広告がでたのは、3.11の震災前の2月でした。いずれもサンガ新書のお得意領域のものでした。
 前2冊は、釈迦直伝の教えが伝わるといわれているスリランカの上座部仏教(もと小乗仏教)の長老アルボムッレ・スマナサーラ僧の著。もう1冊の『生きる勉強』は、アルボムッレ・スマナサーラ僧と香山リカ氏との共著でした。前2冊のどちらにも精神科医の名越康文氏と香山リカ氏の推薦帯がついていました。前5段広告の枠内には、香山リカ氏は「自我が錯覚だとしたら、精神科医は商売あがったりですね(笑)」のキヤッチコピー。ボデーコピーに「精神科医としてみていると、今の人たちは、世の中のさまざまな雑音や比べ合い、非現実的な目標に縛られて、自分の持っているものまで見失っています。「アイデンティティ」や「自分らしさ」を求めて苦労し、混乱する人たちが本当に多い。人は、「今、その人が持っているもの」を見直すことでじゅうぶんに生きていけます。今の自分の良さを再点検することが〈生きる勉強〉なのだと思う」と。

 この3冊の本を読んでいる最中に、東日本大震災が起こったのでした。大地震・大津波・原発事故が。天災だけでなく、原発事故という人災が。

 NHKラジオ深夜便で、福島原子力発電所に勤めたことのある女性が、子供を連れてすぐに舞鶴の実家に避難したといっていた。福島原発に勤めた経験のある人なら、あの事故を見て、だれでも原発施設で爆発が起きたと悟ったはずです。そうなれば放射能漏れ、とてつもない非常事態。そのことは、たとえパートの女性でも分かっていたと語っていた。

 ところがテレビでは、枝野官房長官が会見し「今のところすぐに人体に被害をおよぼす状態ではない」と再三国民にスポークスした。
 経産省傘下の原子力保安院も記者会見で、官房長官の見解が、原子力の専門家の立場からみて、科学的にも正当な解釈と聞こえる見解をしいて付け加えていた。

 そんななか、日本在住のアメリカ人は、福島原発から遠くに住んでいる人まで日本を脱出しはじめていた。それはあまりにも曖昧な日本政府からの回答にアメリカ政府が危険を感じ指令をだしていたのだ。他の外国の人たちも続いた。とそのときは思っていたが、実はそのときアメリカ政府は、福島原発がメルトダウンを起こし、人体に危険な放射能が漏れだしていたのを知っていたことがわかった。だから日本脱出の通達を出していたのだと。

 私は、今まで原子力発電は安全で、コストの安いエネルギー源だと聞かされ、まるっきり信じていたわけではなかったが、いつしか疑いは薄れていた。ところが今回の原発事故で、疑念が一気に噴き出した。

 しかし、テレビ・新聞の各局、各社も、官房長官をはじめとする政府見解、東京電力および原子力専門の科学者の見解を概ね支持するものだった。なかには、その見解ははなはだ危険という学者もいたが。

 そんななか多くの国民はなにかうさんくさい疑いをもちながらも、とてつもない危険が隠されているとは思ってもいない様子だった。

 しかし福島原発周辺の住民は、その危険の深刻さは知っていたはずなのに原子炉爆発についての住民の怒りは、どのメデイアにもほとんど現れなかった。
 海外の人たちが称賛したように、また「天を恨まず」との答辞を読んだ少年の心情への共感から避難を余儀なくされ、見えない恐怖に怒る住民の姿は放送されることもなく日が過ぎた。怒っていた地元住民はいたはずなのに、その映像は撮られなかったか、カットされたのではないかとの疑いをもつようになった。大津波による夥しい屍の姿も。

 書店に行くと『東京電力の大罪』(週間文春・臨時増刊・「週間文春」取材スタッフが総力で暴いた「黒い独占企業」東京電力の正体!)とか、経済産業省大臣官房付・古賀重明著『日本中枢の崩壊』講談社(「日本の裏支配者が誰か教えよう」「福島原発メルトダウンは必須だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは⁉ 家族の生命を守るため、全日本人必読の書) 同じく、古賀重明著『官僚の責任』PHP新書(辞職を迫られた改革派官僚〝覚悟の証言〟優秀なはずの人間がなぜ堕落するのか) ほか数えきれないほどの関連本が列ぶ。
 インターネット情報においても、『国の原発事故対応に満身の怒り』児玉達彦氏。カレル・ヴアン・ウオフレン氏の『人間を幸福にしない日本というシステム』などなどここでも数えきれない情報に、人災=原発の災害を生んだ背景が書かれていた。

 こんな状況下で起こった放射性物質がもたらす、とほうもない生命の危機を被っても怒らず、黙々と生きる人間が尊いのだろうか。
 
 バブル経済崩壊後、新自由主義を一層すすめなければならなかった日本的経営からの転換。それに絡んだ政局の思惑。失われた20年のなかで、もうだれにも頼れなくなくなった当時の中高年世代。身を切る思いで「個の自立」「他人が代行できない自己の確立」「固有の売り物磨き」それこそ「自己アイデンティティ」の問題だった。かっこうつけてやったことではなかった。生きて行くために必死だったのだ。失われた空白の時代に思考停止を誘導されたか。その結果、茹で蛙や多くの草食系人間を生み、自殺者の多い国になり、不正を正す怒りのエネルギーも萎えた。それでいいのだろうか。


『怒らないこと』の本の表紙の裏に、

 昨今では、怒って当たり前、
 ややもすると怒らないと不甲斐ないとでも言われんばかりです。
 ブッタは、これに真っ向から反対します。
 怒ってもよい理由などない。怒りは理不尽だ。怒る人は弱虫だ。
 怒らない人にこそ智慧がある。怒らない人は幸せを得る。
 人類史上最も賢明な人は、なぜ怒りを全面否定したのでしょうか。
 最初期の仏教であるテーラワーダ仏教(原始仏教・小乗仏教)の長老がその真意を明かす。

 と書かれています。


 目次から「怒ることの悪さ」を私なりに拾ってみると、

 「怒り」が生まれると「喜び」を失う。
 世の中の破壊の原因は「怒り」
 仏教は感情を人格化しない
 怒りが私たちの命を脅かす
 正しい怒りは存在しない


 そして、怒りの治め方の章の終わりに

 「怒らないこと」は奇跡をもたらす
 平和を語る人は強者
 誰もが幸福に生きられる

 と。


 そして2012年2月24日現在でもこの本は書店に並んでいる。

 その翌日のテレビで「たけしの日本人白書」という見過ごせない番組があった。
 その番組は、今回の大震災で外国人が日本人と接触したなか、日本人をどう思ったか、どのような民族と感じたかのドキューメンタリー風の映像と語り。それに対し、番組に出席した日本で暮らしている外国人のコメント。司会はビートたけしと宮根。
 内容は「絆・連帯」の号で書いた外国の人たちの反応と同様であったが、違うのは実体験者の語りと映像でリアリティのあるものであった。「なんて日本人はずらしい民族なのか」といういくつかの話のなかで、とくに印象深かったのは、ドイツ人家族を押し寄せてくる津波のなか、危機一髪で救って自分の家に避難させ、刻々の水位が高まるなか、不安と恐怖におののくその人たちに声をかけ、窓ガラスに危険水位の目安となるラインをマジックペンで書き、安心させた30歳過ぎの日本人男性。自分は瓦礫で怪我をした足で、腰まで水の中にい、寒さに震える女性に布団を掛けていた。
 夜が明けドイツに早く帰りたいというその人たちを、見ず知らずの日本人たちがリレーで空港まで送った話。
 帰国したそのドイツ人家族は、その出来事を新聞記者に話し、大きく報道されていた。救った日本人男性は、そんな扱いを好まず黙々としていた。その日本人の心情は、1890年に起きたトルコ海軍エルトウールル軍艦遭難のおり、串本の村人たちがとった行動とまったく同じに思えた。
 司会のビートたけしは「日本人はまだまだ捨てたものではない。かならず復興をなしとげる」といいこの番組を終えた。

 私も1人の日本人として「無意識の深層に擦り込まれている人間同士の原始共同体的連帯意識」と「原発事故という人間の生命おも奪いかねない事故の実態を隠し、まっとうな対応もしない責任を逃れようとする」2つの人種が確かに日本には併存していることを実感した。
 後者の人種および彼らが守りたい体制について怒らないということは、世界の各国からみれば日本国のリスクであると思われるのもまた事実であろう。

 

by kuritaro5431 | 2012-02-25 00:26


<< つつましく怒らないことがよいと...      天を恨まず >>