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2012年 02月 19日

日本人の「絆」と「連帯」の変遷

 戦後貧しかったが「りんごの歌」を歌い、みんな同じ思いで戦後復興に希望を抱き、名もない民衆が長屋や、安普請の狭い木造アパートで隣の人と、朝の味噌汁の味噌を用立てしあい、町内のばあさんが誰の子であろうと悪いことは悪いと叱った時代。農村では家族で食べるものはなるべく自給し、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子夫婦、5.6人もいた兄弟、そんな家族が団子になって暮らしていた。でも子や孫たちは、おじいさんや、おばあさんを敬い、その家に伝わってきた漬け物の味、まむしやむかでに噛まれたときの応急処置、風邪の症状にあわせてつくってくれた薬草の煎じ薬、みな見よう見まねで伝承していた。不便なことも多かった。嬰児、幼児の死亡率は高かった、人生50年といわれた時期だった。医療費も貧しい人にはあるとき払いの催促なしの医者もいた。良くも悪くも、当時は家族制度を基盤とした社会システムとしての規範があり、規範に反した者やその家族は村八分とはいわないまでも、集団社会からはじかれた。
 
 やがてアメリカ型の生活スタイルに日本中が憧れるようになり、「便利」「快適」「肉体的負荷の多い労働苦からの解放」「封建的風土の残照の払拭」「なに人も自由で平等な人権」「民意を尊重する政治」などなど、いいことずくめに思えていた=それが当時の「幸せ像」で、シンプルでわかりやすくもあった。
 その幸せを手に入れるには「民主主義という思想」を前提において、「便利」「快適」「効率」に役立つ道具類を機械でつくる。工業化社会を目指した。「生活を豊かにする生活道具の大量生産の実現」。生活者は安くつくられるようになった生活の道具を揃え=購入し、生産・供給する会社の売上はどんどん上昇する。そうなると製造業の若手工員が不足してきて、各社大量の若手社員を採用する必要が生まれ、貧しい地域の若者をターゲットにして集団で採用する「集団就職」システムの出現となった。「ああ上野駅」に象徴される若者人口の大移動と、家族制度崩壊の第一次現象であった。
 やがて都市部では、ブルーカラーに限らずホワイトカラーにおいても、高層集合住宅が団地として国策で開発され、三種の神器=を揃えた核家族の誕生となる。
 この段階で古くから伝承されてきた家族制度は崩壊した。家族制度を中心としたコミュニティのなかで育まれていた「絆」と「連帯」は、実生活から消えた。

 次にやってきたのがバブル経済崩壊後の「日本的経営の崩壊」であった。前段で述べた家族による「絆」と「連帯」は崩壊したが、日本のサラリーマンたちは、会社=昔の藩のような組織のなかで、会社をたより、組織をたより、労働組合の仲間と連帯し、かろうじて「絆」と「連帯」を保ってきた。
 それがバブル景気崩壊という機に、経済成長の見込みがたたなくなり、「終身雇用」「年功序列」「労使協調」という日本的経営を支えた3本柱が維持できなくなった。本来日本の雇用契約では、暗黙の内に、若いうちは労働価値より低い賃金で、実質賃金との差は会社に預けておく。やがで家を建てたり、子供の学資が必要になった頃に、会社に預けていた賃金分を、現行の成果にオンして支給してもらう。そして定年まで解雇することはないという契約。定年の時は、余生を暮らせる退職金、企業年金、厚生年金を用意する生涯保証のシステムであった。
 日本企業の社員たちはそんな会社との「絆」を信じ、世界にまれに見るモチベーションの高い仕事をし、一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまでいわれた。仕事は苦ではなく、仲間と楽しく働ける生活の場であった。
 その時期、私は大手国内系の経営コンサルタント会社で、マネジメント系コンサルタントをやっていたからその当たりの事情、当時のサラリーマンたちの心情もよく承知している。なかには「これほど家庭(家族との絆)を犠牲にして会社に尽くしたのになんということか」と転職勧告された夫婦は抱き合って泣いた。
 日本が世界経済のなかで繁栄していたころは、会社全体であれ、部であれ、課であれ、チームであれ統制のとれた集団主義てあった。工業化社会の模範として、職場における品質改善、作業効率改善、工場内の整理整頓、などいわゆるQC職場内活動で成果をあげ、やがて部分部分の改善から、全体的アプローチに移行し、「改善」から「革新」へと進化していった。
 ところがそれらの経営手法のもとは、アメリカ的合理主義の応用であり、アレンジメントであった。日本はアメリカに学び、アメリカを追い越し、見習うモデルを失った。答えの見えないトンネルに入った。

 そのころアメリカの経営学においても、日本の経営学においても、2つの流れが顕著になっていた。
 1つはいわゆる文系の学者連中で、個々の人間の能力・個性を最大限に生かし、組織とか連携とか絆とかではなく、その人の「個力」を優先して仕事をする流れを勧めようとする人々。「個力」を発揮する条件として、組織とか、会社の制度とか、他者とのつながりとかを頼りにせず、まず自分が自立していること。自己アイデンティティを確立していること。その上で各々の個性・スキルをもってチームとかプロジエクトに参加するという考え。プロのオーケストラの個々の団員と指揮者というような新しい集団。
 私は、日本的経営が破綻してはじき出された多くのサラリーマンを対象に「これからの自主自立のありかた」を企画化して、商品化できないかとコンサルタント会社在籍中に考えたことがあった。
 クライアントの幹部何人かと取材をかねで話し合ったが「いままで会社の方針にさえ従っておれば、会社は何とかしてくれる、という甘え意識を変えない限り無理だ」とみなくちを揃えていった。
 それでもと思い、前掲したこのブログのなかで「PI(personal identity)の確立」とか「自主自立」とか、PIコアの確立方法こそ最も大切と唯識仏教の「阿羅耶識」の概念をアレンジメントして企画したが、大手商社のリストラ候補者ですら、アメリカ的経営学に慣らされたひとたちには理解しがたく相性はよくないだろうといわれた。
 もう1つは、理系の学者識者の科学技術における世界人類への貢献である。文系のイノベーションよりいままでは、はるかに社会貢献、企業貢献は多かった。◯◯テクノと称するコンサルタント会社から、技術を売り物にしている種々の会社。経済学においても、金融工学においても、ファンドの企画設計においても高度な微分積分が使われる。
 聞くところによると、理系と文系を区別して考えるのは日本だけだそうである
 今回の福島原発のアメリカ人設計者は、想定外に起こる事故のためにいくつものバックアップを用意しておくことが科学の限界に対処する科学者の良心だというようなことをいっていた。この考えの根底には、科学技術でつくられた科学の信頼性は、確率論などで判断するものではない。といっているようでもあった。

 民衆同士、隣近所の「絆」は称賛しても、被災者と政府・東電との「絆」の話は一切でない。
 それが日本の「絆」の本性であるろう。
 私はその嘘が剥がれる時期をまっていた。
 だいぶ剥がれてきたようである。
 

 本来日本人が持っていた「絆」とか「連帯」の生活慣習は、このような変遷のなかで潰された。なのに今日の自民党のスローカンに「絆」が掲げられてる。
 そして前号に挙げたように、世界各国からの「絆」の美意識は今日も称賛のメッセージとして早朝のNHKラジオ深夜便のレポーターから流れていた。アメリカのテレビでは、3月11日の東北の被災地の当時の写真と、現在もう片付けれられている同じ場所の映像を放映し、カトリナのハリケーンの被害がまだ片付いていない映像と比較し「日本に勉強にいけ」という被災者の声があったとか。
 その日本人のレポーターは、日本人として誇りに思うという言葉でしめた。

 経産省は、原発事故の対策の報告がでない内に大飯原発の再稼働を決めようとしていた。
 IAEAのストレステストへのチェックは、検査は手順通り行われていた、といっているだけで、原発再稼働を保証したわけではない。

 そんな状況なのに外国からの「絆」「連帯」のエールは、電力各社、政府にとってどれだけありがいとおもっていることか。

 国内での政府・東電に不利な情報は、陰の力で抹消されている可能性は充分ありえることである。

 

by kuritaro5431 | 2012-02-19 14:59


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