哲学から演歌まで  

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2012年 02月 09日

岸恵子

 実はこの原稿、2009年6月27日に掲載していたものでしたが、今回操作間違いで消えてしまい、再度掲載することにしたものです。といいますのは、いま若かりし頃のサルトルとボーヴォワールを映画にした「サルトルとボーヴォワール哲学と愛」が全国上映巡回中で、まだ観ていませんが、この時期この二人が話題になるのは何かの因縁と思ったからです。

 先日NHKのBSで、岸恵子のインタビューがあった。
 彼女は1932生まれだから私と同い年である。
 若い頃観た映画「女の園」木下恵介監督・1954年、「ここに泉あり」今井正監督・1955年・「あなた買います」小林正樹監督・1957年、「雪国」川端康成原作・豊田四郎監督・ヒロイン駒子役・1957年……を通してしか知らなかった素顔を見た。
 1957年に、フランス人監督イヴ・シャンピと川端康成立ち会いの挙式で結婚。以降バリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優をつづける。
 その頃、パリではサルトル、ボーヴォワール、マルローという当時のフランスを代表する思想家たちと親交していた。イヴ・シャンピが自宅に招いての語らいの輪に混じって。そのなかにはたまにイブ・モンタンもきていたと。
 インタビューの言葉のはしばしには、彼らから影響を受けたと思える実存主義的・現象学的匂いを漂わせ、成長し、成熟し、大人の彼女がいた。驚いた。

 当時日本では、マルキシズムに挫折した多くの若者たちがサルトルによりどころを求めて彷徨い、『存在と無』『弁証法的理性批判』小説『嘔吐』などを訳も分からず読み漁っていた。サルトル夫人ボーヴォワール著『第二の性』上下は、多くの若者の支持を得た。

 岸恵子の住まった家には、それらの思想家が集い語っていた。彼女はどれほど大きな影響を受けたか、彼女自身も想像していた域を越えていたのではないか。 
 夫であり監督でもあるイヴ・シャンピを彼女は敬愛し、一女を産んだ。ところが詳しくは語らなかったが、即断行動の彼女は1975年離婚。一人娘は彼女が一人で育てた。

 インタビュアーが「その後はお一人で?」と問うと、すかさず「それでは寂しすぎますわ、本気ではなかったけれど」。ただそれだけのやりとりにサルトル、ボーヴォワールの影響を色濃く受けた大人の女の存在を見た。
 主体性と、自由とあるがままの女。私はボーヴォワールの『第二の性』の記憶をぼーと、やがて鮮明に蘇らせた。

 インタピューは続いた。
「今日の日本をどう見るか」という問いに、彼女は以前イスラエルの首相にインタビューしたときの言葉を例にだし、「日本という国には美しい宝物や、みごとな伝統がある。でも入り口が見えない。窓がない」といったと。
 サルトルは哲学者であり、作家であるが政治に関心の強い思想家であった。そして彼女も政治に関心をもつ女になっいた。そのことが印象的であった。

 これからの日本は窓を開き、風を入れ、日常の風に混ざる非日常の風を掴み、胸一杯に取り込んでほしい。その風のなかには危険もあろう。毒もあろう。でもそれを恐れず世界に向かって両手を広げ、受け入れてほしい。
 今の日本の若者は、携帯電話を手にして下ばかり見て歩いている。上を向き、遠くを見ながら歩こう。そうすれば世界が見えてくる。
 日本人はもっと大人になって欲しい。
 そうすればいつか平和な日々がやってくる。と

 (注)この文章はインタビューの模様を思い出しながら書いたもので、言葉などに間違いがあるかも知れません。たぶんあるでしょう。意味合いは間違ってないとおもいながらも、私というフィルターがかかっていることは事実です。ご容赦ください。

 私は考える、なぜ日本の国に窓がないのか、欧米人に比べてコミュニケーションがへたな民族で、話さなくても態度で分かりあえると思い込んでいる。日本から世界に向かっての発信も少ない。まず日本人としてのアイデンティティも覚束ない。コミュニケーション力の向上とは「思考・感性の外的化のオクターブを高めること」という岸恵子の警鐘と受け取れた。

 ある日本の哲学者が、ギリシャから始まった欧州の哲学は元は同じ。自然とのバランスを失い、行き詰まっていると。
 欧州におけるルネサンスは「自我の確立」であった。それは、自己主張を重んじ、説得のコミュニケーションの確立でもあった。自然との関係においては、人間゠ヒューマニズムが優先で、自然は人間に征服される対象であった。今でも。
 それに比べ日本を含む仏教を重んじる国は「人間は自然によって生かされている」との考えが日常的であり、人間より上位に自然がある。→自然法爾(じねんほうに)
 
 それはさておき、今回のアメリカ大統領選でオバマ氏が勝ったのは「説得のコミュニケーション」から「共感のコミュニケーション」にチェンジしたからという説も聞かれる。

 (注2)もとの原稿は3年前のものであり、3.11の大地震・大津波・原発メルトダウンを経験した今とでは大いに思考モードが変わっていることは確かである。

 3月には京都でも「サルトルとボーヴォワール哲学と愛」の映画が上映されると聞いている。とても楽しみにしている。観ての感想はこのブログに書く予定。

by kuritaro5431 | 2012-02-09 05:16


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