人気ブログランキング |

哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ
2012年 02月 07日

弁証法 その4

 しばらく休んでいましたがまたはじめることにします。
 そしてまたまた弁証法についてです。

 といいますのは、前出のブログにも書きましたが、私にとっての弁証法は決して学術的なもの、オーソドックスなものではありませんでした。自分の世界観、アイデンティティ論、さまざまな企画のコンセプト設定、ピジネス企画ロジック、創造性開発のアイデア、などなど私流の考え方の総体が論理的に整合するものだけピックアップし、勝手な解釈をし、整えるのに大変便利だったからです。別の見方をすれば、私といういたって我流の理屈を本物らしくみせかける方便というか、レトリックといわれてもしかたがないものかも知れません。
 でも私は、この論理のお陰で79歳の今日まで飯を食わせてもらった原点と思っています。

「たとえそれが虚であろうとも、完遂すれば実となる」

 そんな意味のことをいった人がいました。
 いくら学術的に評価される哲学であったり、論理学であっても、実用化しようのないものは私にとっては興味が湧きません。アメリカでいわれる実用主義゠プラグラティズムに似ているのかも知れません。成果主義に似ているかも知れません。新自由主義的かも知れません。
 でもここでは、あくまで私にとってということです。先に挙げたものに似てはいてもきっと少しづつ違うでしょう。また私が無用と思っても他の人がその知識をアレンジメントして実用化することもあるでしょうから。

 私にとっての弁証法とは、私というパーソナリティにデフォルメされたレトリックも含む論理です。

 このような私流の弁証法でも私が得をした例

1.学生時代一時期マルキシズムに傾倒し苦悶はしたものの、この論理を使って健康的、生産的に 社会適応ができたこと。
2.戦略的問題から戦術的問題および作業レベルの問題まで、問題解決を実行する論理的ストーリーの原理を提供してくれた      
こと。
3.問題洗い出し法とか、KJ法とか、VEの目的と働きの展開法、などと組み合わせが容易で、これらと統合すれば実行性の高      
いプログラムがつくれたこと。
4.問題解決のための手順が組み立てやすいこと。
5.対意語、対意概念およびテーゼ対アンチテーゼの連想訓練などで創造性開発に役立てられる。

  など

 ご存じの方も多いと思いますがここで一般的に唱えられている弁証法について述べておきます。

       テーゼ゠あるものごと(ある事柄)──────────────── 問題の提起(正)
       アンチテーゼ゠テーゼに対して矛盾する事柄───────── 問題の発生(反)

       この相対する事柄を対立させる、闘わせる

       アウへーベン゠止揚 そうすることによって矛盾が解決する

       ジンテーゼ゠統合する─────────────────────── 問題の解決(合)

 これでは使いにくいです。

 そこで前掲ブログの「弁証法 その1」の下の方に「弁証法5段階」というのがありますのでご覧ください。これは瓢箪から駒がでたときの私の理解した五段階でした。説ではないので説とはしていません。

 再掲しますと、

 1.同一性
 2.差異性
 3.矛盾
 4.対立
 5.発展

 1から5までをストーリー化しますと、
「黄色と三角は比べようがない、従って矛盾も対立も発展もしない。発展までゆくための条件としてやはり同種類の事柄でなくてはならない」(いま考えるとややむりがある) 
「同種類ではあるが違いがあって、相性が悪く矛盾を内在している」
「その矛盾が噴出して互いが対立しあうようになる」

 ここでアウへーベン(止揚)

「そうして新しい価値が創造される」

 これが私流にデフォルメした弁証法でした。

 1から5までのストーリーは、健全に問題解決していくための大筋であって、ネガティブな問題でもポジティブに解決しようという意志が込められているものです。
 したがって実践で活用する場合、アドリブ的さばきの技量は求められます。

 こういう思考をしていた私ですが、論理のスケルトンをプロジエクトの現場とか、会議に持ち込んだことはありません。これは背景にもっていたいわばセルフマネジメント、セルフコントロールの方便でもあったのです。

 この思考の鬱陶しさはあります。好きな人嫌いな人、いや好まない人の方が多いかも知れません。
とくに若い人たちには。
 鬱陶しさの最大の特徴は、概して現実の散逸した問題であったり、現象であったりするものと、ありたい姿との論理的距離が遠すぎて、実現可能な計画には、幾重ものブロセスを用意しなければならないところにあると思います。

 日本人は特に面倒なことを嫌い、長期にわたった計画の遂行はへたのようです。
 アメリカの合理主義には限界が見えたといわれながらも、今回の原発に対するアメリカの科学者は、幾重ものバックアップの必要性を感じ用意すべしという強い意志を持っていたことは事実のようでした。


      

 

by kuritaro5431 | 2012-02-07 19:30


<< 岸恵子      方法論の進化 >>