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2009年 05月 30日

弁証法 その3

 学生時代に出会った弁証法を使いこなせたお陰で、長いサラリーマン時代を企画スタッフとして生き延びられた。 仕事に弁証法を使う必要がなくなり、76歳になった今、弁証法を振り返ってみようと試みた。

 1. 弁証法の五段階(内容は、弁証法その1に)
 2. 「前方の旅」と「後方の旅」の間に、論理的空洞がある。
    ・前方の旅とは、現実からスタートし、下から上へ上昇する過程。
    ・後方の旅とは、前方の旅を終えて次の旅としての後方の旅に移る。
     その時、論理的空洞が生じる。それをフェティシズムという。
 3. ヘーゲルは、前方の旅が終わった後、神に至る。
   マルクスは、前方の旅が終わった後、現実に戻る。

 「なぜヘーゲルとマルクスは違ったのですか」と、当日梯先生の講義のなかで私は質問した。すると先生は、「それはパーソナリティの違いだよ」といわれた。

 この3つについては、確かな記憶として信じて今日までやってきた。
 ところが、この年になって、確かだったかどうか不安になって確認しておく必要があると思いはじめ、いろいろの書籍をたぐってみた。
 あやふやなところ、理解していないところが多々現われた。
 さて、どうして調べるか。大学の図書館、古書店回り、アマゾンで見ると、梯先生の本はあるにはあったが、知りたい内容が載っているかどうかわからない。周波数の合いそうな上山春平先生に手紙で尋ねる。など思案していたが、立命館大学の哲学科に梯先生の流れをくみ、回答してくれる人がいるかも知れないと思い、大学のホームページを開いてみた。すると哲学研究会というサークルらしきものがあり、そこ宛質問の手紙を出してみることにした。多分、今どきマルクス経済哲学をやる人などいまい、それに梯先生はとっくに亡くなられていることだし。手紙には「できればご返事いたたけたら」と書いた。

 するとしばらくして、立命館大学哲学専攻教授・服部健二という先生から丁寧な回答の手紙がきた。 現在はドイツ観念論、京都学派やフランクフルト学派などを教えているとあった。
 しかも、1971年から6年間梯先生の講義を受け、影響受けた者の一人です。そういう専攻教員は私一人です、とあった。

 そしてことわりがあった。記憶されている内容の文脈がわかりかねるところもあり、はたして質問に書かれた通りのことを梯先生がいわれたかどうか曖昧さを感じますと。
 でも、質問の一つ一つについて説明、解釈が丁寧に書かれており、感謝した。

 1. マルクス弁証法について
   
  五段階というのは、マルクス自身がいったことではなく、もともとはヘーゲルの言葉です。弁証法は、三段階説が普通ですが、梯先生はその説をヘーゲル自身の論理用語を使って、マルクス弁証法を解釈されたのだと思います。

 2. 前方の旅と後方の旅

  梯先生の著書『資本論への私の歩み』が復刊されたので、詳しくはそちらを参照くださいとあった。
  そして2つの旅を解説したチャートのコピーが同封してあった。
  2の質問のなかの「論理的空洞」というのはわかりません。また「論理的空洞」が「フェティシズム」というのもわかりかねます。「物神性論」は、価値形態論にでてきますから、多分その意味でしょう。価値自体が抽象的人間労働であるのに、それがそうとは現われないで、あたかもその商品の自然的性質それ自体が価値をもっているかのように現われてしまうことです。

 3. パーソナリティ

   どういう体系を選ぶかは、哲学者の性格によるということはよくいわれることです。

 以上は服部先生の手紙の要点のみですが、本文では、A4・2枚半に詳しく述べられていました。

 となると、私は随分勝手な思い込みを何十年もしてきていたことになるが「弁証法」と「バーソナリティ」については、さほど解釈はずれでなかったことに少し安堵した。

 服部先生の紹介くださった梯先生の『資本論への私の歩み』と、服部先生著の『西田哲学と左派の人たち』を読んでみようと出版社に早速注文した。
 服部先生の文章は格調高く、哲学者らしいアカデミックなものだった。
 それに比べ、私から出したお礼の手紙の内容は、断片的知識を集積し、自己流に体系化し、ネットワーク化、ストーリー化、ステップ化して実用化しようとした俗なものでしたと結んだ。









  
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by kuritaro5431 | 2009-05-30 16:52


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