哲学から演歌まで  

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2009年 04月 15日

仕事のない日

 ある時期、マルクス弁証法、マルクス美学、ヤスパースの本などにのめり込んだ。
 昼は寝て、夜起きて読み、感じたことを日記に書いた。日によって30ページにもなった。
 日記は原稿用紙になっていて、「ポジの日記」と「ネガの日記」に分けていた。日付なしの場あたりのものだった。

 そのころは一般の学生から左翼活動はだんだん弱まり、一部の学生たちだけが独特の字体の看板をだしたり、黄色い声でなにやら唸っていた。
 一・二回生のころ2.3回はデモに参加したものの、活動するより、思索する方が性に合っていた。私の性格は本来内省的な傾向が結構濃かったからだろう。だから外向的性格に改造しようと試みていたのだ。
 マルキシズムの哲学や、マルクス弁証法には、随分共鳴したが、共産党の活動には共鳴できなかった。
 升目の荒い論理で現実を掬っても、その網の目からリアルにとらえなければならない真実が、ザアザアとこぼれ落ちてゆく姿を想像し、共産党とは遠ざかっていった。

 とはいえ、特にマルクス弁証法は、自己改造にも、仲間との議論においても、ものごとを生産的、能動的、創造的にとらえようとする傾向が好ましく、そして動的・発展の論としてますます興味を深めていった。

 その後、若者たちは、マルキシズムという支柱、神通力を失い気力も衰えていった。
 なかには、網の目の細かい掬い玉をもった現象学にあこがれ、映画も文学も抽象化された本質や、典型より、雑巾でなでたような現実のなかに本質があるのではと関心をもちはじめた。

 私にとってのマルキシズムは、哲学と科学的ロマンチシズムの象徴としての憧れを残しながら、論理学としてのマルクス弁証法にどんどん興味が傾いていった。それはさまざまな問題解決のための基本的論理の原理として極めて広い汎用性があると感じていたからであった。
 
 他方、私にとっても、存在論や現象学は、憧れではあったが、感性的才能が要求されそうな論理で、その才能に乏しい自分は、まだまだ勉強不足なことと、使えそうな感触がもてなく、まだ認識論的思考のほうが性に合っているかと、迷っていた。でもこれからの時代、現象学的認識なしに進めないだろうことも感じていた。

 その後、就職し半年ばかり営業の仕事に携わったが、商人的遺伝子が両親のどちらの祖先にもからけしないことを改めて確認し、確証のない根拠とはいえ商人的処世術のなさに、耐え難い思いをした。

by kuritaro5431 | 2009-04-15 12:27


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