哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧


2015年 07月 29日

人間が/ハンドリングで編集力を強める技

 1、単体バラ情報をメモる。
        ↓
 2、バラ情報集積の山
        ↓
 3、それを命題によって多様に組みあらせるには
        ↓
 4、組み合わせのシステム化・ロジック化
        ↓
 5、個人でやる。何人かでやる


 バラ情報を、人間が編集していく上には、以下の条件が必要に思えてくるが------

 1、集積されていく夥しいバラ情報の煩わしさに押しつぶされて、もう分かったと、単体バラ情報メモを捨てる人要注意。
   (このタイプの人、性格によるところ大と思われ、別の方法を考える必要ありと思う)

 2、ここでいう情報とは、現在・過去(古い過去、新しい過去)、近未来、将来など、様々なカテゴリーの情報。
   どのカテゴリーのものでも、もともとフローのもの(流していいもの)と、ストックしておかねばならないものありそうだ。

 3、フローのものは記憶にとどめず捨てていい。だだし捨てても記憶のなかにあり、いつでも即再利用ONでいられる自信あること。
    (それは『記憶」と「忘却」を考える条件ともいえそう)

 4、ストックとは、整理の仕方のことで、個々人の「固有技術」に類するものと思われる・絡む。例えばつぎのようなもの。

   ☆形状が違うものとして
      ・本、サイズ違い
      ・メモ、バラカード、メモノート
      ・新聞の切り抜き、PCでプリントされたもの
   
   ☆INDEXの付け方

      ・付箋をつける
      ・栞を差し込む
      ・別途に作ったINDEXノートなどなど

 5、いずれにしても、自身にとって大切な情報の肉体化。

 理想は「リアルタイム検索ON」にしておくこと。他の情報とのコラボをいつても可の状態に。
 ところが、[善]の情報と[悪]の情報が幾重にも重層的に重なり、厚い層をなし、その厚さは急速に増している。その危機が「人工頭脳/人間を越える2045年」説であるようだ。

 









          
[PR]

by kuritaro5431 | 2015-07-29 10:43
2015年 07月 28日

人工知脳/2045年人間を越える

 NHK・Eテレ「ニッポンのジレンマ」古市憲寿司会/青木NHKアナウンサーの毎月最終週土曜日23時~/40歳以上お断りの定例番組/2015.7.26放送「ビックデータのジレンマ大研究@秋葉原」より。

 この放送を見ての私の勝手な私見。

 ここで示された人工知脳の3つの条件

  1.ボリューム  量
  2.バラエティ   種類 (カテゴリーかとおもったらバラェティ、これも条件のようだ)
  3.スピード    速さ

 この日のテーマとして「編集・エディションこそ人間最後の創造性となるか?」とも読めた。

 機械としてのロボットは、第一ステップでセンサーが対象を捉え(知覚の形式・認識の仕方)、その信号をアクチュレーター(モーター)に伝え、モーターの円運動を線運動に変え、多様な装置のスイッチをON/OFさせる。それがロボットの基本動作と思える。理系でない私が及ぶ想定はこの程度。

 そしてロボット技術は進化して、「ロボットの基本動作+進化途中の人工知脳+宇宙衛星信号ナビゲーターモデルが利用できるようになり、車の自動運転も可能」にした。

 そこまでの進化の過程で、演算の単能機マシンが、1969年---私の体験---では汎用機マシン(コンピューター)になり、マシン体積が縮まり(トランジスターから、ICになり、LSIになり)、この時期から業務用専用回線として秒12000ビット送信ができるようになった。その後小型化したコンピューターは、パーソナルコンピューター・パソコンとして、個人利用可能な卓上型コンピューターにまで発展した。

 その次の段階でコンピューターは、2系統に別れ発展した。
 1つは、汎用機業務用マシン系統として発展するオフイスコピューター(オフコン)として発展し、経済予測、景気予測、他、国家の指針さえ予測しようとする膨大な量のデーターと因子を高等数学を使って解析するビッグコンピューターが登場する。それが今日のテーマ人工知脳に育っていった。
 もう1つは、一般消費者まで使える通信機能ITを搭載した携帯用のコンピューター。それは、初期汎用機時代のコンピューターの姿を想像すらさせない、小さな巨人となった。今の姿はスマホである。仕組みなど知る必要もなく、軽快な操作性が40歳以下の世代に広がっている。
 それどころか、10代世代といわれる新世代が、軽妙にスマホを操り、ロジックでなくセンスと感性で多様な環境に順応し生きようとしスゴイスピードで成長している。

 そこまでに至る段階で、アメリカのシリコンバレーで起業した若い事業家たちにIT産業の発展を託し、ペンチャーキャピタル(投資家)がこぞって投資した。それがあだ花ITバブルとなってアメリカ経済は後退した。
 その後のリーマンショックも越えて、デフレのなかでも、各国の国民はセンスと感性を自然発生的に磨き、ITがICTが若者を変えていった。Cはコミュニケーションともコンテンツとも、コンセプトではないらしい。


 人工知脳が対象を認識・知覚する形式は、磨かれたセンスと感性でありながら生臭い人間性を連想させる。このブログ「阿頼耶識」に書いた「五角形チャート」のように生臭い。その識・認識は、唯識の識。唯識の識をよく現した句に「手を打てば 鳥は逃げ 鯉は餌と聞き 猿沢の池」がある。人間が打った手を、鳥は鳥として、鯉は鯉として聞こえるもの。音一つにしてもこのように聞こえるもの。ましてものには実体はなく「空」だという。遠い昔インドに発生した佛教思想が今の中国を経由して日本に渡来した。この話にも政争、佛派にまつわる物語が秘められている。

 私の思う「人工知脳」とは、単独バラ情報がBIGコンピータに記憶され「人工知脳の3つの条件」を満たしたとき、人間が予期しない自己増殖(接触した情報をなにもかも飲み込み原始動物のように増殖)し始める。
 その日の番組に出席した「コンピュータと人間棋士が将棋をやり、コンピュータが勝った」をやった人。
 「大昔からの棋譜や、歴代のタイトル戦の棋譜をどんどんBIGコンピュータに読み込ませた」いつしか「人間との勝負記録をもBIGコンが勝手に取り込むようになった」(3つの条件を満たしはじめたから)と。ときに考え込むBIGコンも、応答し始める。対局中も己の失敗まで栄養にして自己増殖していたと。
 「どうして勝てたんですか」という他の出席者に「なぜだかわからないです」という。「妙ですねえ」と笑っていた。

 私は思う。BIGコンに「ある命題を与えると、人工知脳は勝手に「判断」し、「答え」を出してくる。人間に代わって「選択」してくれる。
 ここでロボットと人工知脳の違いは、「判断できる」「選択する」だと思う。

 ある出席者から「答えは決まっている方程式使いの問題など、もう人間のやるものでなくなった。人工知脳にやらせばいい時代となった」と。

 そうなれば「楽だ、働かなくていい」と思う人。「失業するから不安」と思う人。現れる。

 ところが人工知脳が「判断」したり「選択」できるのはある限られた領域内のこと。領域が壮大になれば、人工知脳は対応能力をオーバーする。人間の編集力(見城徹氏のいう)には及ばない。この説も危うい昨今。

 人工知脳が人間並みの編集脳力をもつであろう、いや越えるであろうというのが2045年。今から30年後。
 この番組出席者は「みんなそのとき死んでいる?」と大笑い。その死はいろいろの------


 ところが、汎用機コンピューターが生まれて今日まで46年と見積もろう。その間にコンピューターはなにができるようになったか。その能力は--------。
 
 これからの30年のBIGコンの成長は、桁違いに拡張する。今と「人工知脳の3つの条件」が大きく異なる。

 この人工頭脳が暴走すれば、人間は「人工知脳の奴隷となる」。そのことがはっきりするのが2045年という説である。

 そこで暴走制御をどうするすの話題に番組は移る。

 1、「命題を与えたプログラムに、自己増殖寿命(死)の仕掛けをしておく」。
   この提案をしたのは十代後半と見える、女子大生。出席者の中で一番若い、飛び抜けて若い。

 2、「いくら自己増殖しようと人間の壮大なイマジネーションにはかなわない」という楽観論もあり。

 3、ところがそこで人工知脳の自己増殖と、人間の編集能力の競争になり共に向上する。

 4、そうなると人間側に脳力・能力格差が生じ、新しい差別化と、新しい階級化がはじまる。

 途中から私見まじりとなる。

 人間が造った人工脳が人間を不幸にする。若いお母さんから、子供の教育についての質問が場外中継からでた。
 回答のゲストから、若い女子大生の提案が推された。
 もう一つは、30年後には「人間の幸福感」も変わっているだろう、それはそれでいいのでは、という人あり。


 そんなことで、人工知脳とリスクの話「ビックデータのジレンマ大研究@秋葉原」の番組は終わりました。
 

 お詫び
 今、7.29日20時30分です。「ビックデータのジレンマ大研究@秋葉原」の番組録画を見直し、次の記述が間違っていて、書き直しました。
 1、「人工頭脳」→「人工知能」
 2、「囲碁ではなく」「将棋」だったこと。







          











 
[PR]

by kuritaro5431 | 2015-07-28 20:51
2015年 07月 10日

なでしこジャパン宮間あや選手の「意」

 3ケ月ぶりです。休んでいたわけではありません。その理由は後段で───

 なでしこジャパンとアメリカ戦の闘いを終え、帰国会見で記者が問うた「決勝戦で得たこと、なんでしたか」という言葉に「なにもありません」とはっきりいい、そのあとの言葉は付け加えなかった。

 以下は、私の感想。

 さすが日本の「なでしこ」。仲間をおもいやり、応援してしてくれたなでしこサポーターの人たち、そして私たちに力強いエールを送ってくださった日本人のみなさんに心からのお礼を───その言葉も伏せて、佐々木則夫監督の話を聞いた。慎ましく強い本来の日本女性だ。
 そう思った人も、多かったことでしょう。情と心でつながる絆、集団・チーム力に強いニッポン。その真似をしたのがこんどのアメリカチーム。それにプラスした大型選手の体力で。さらに~が。

 私の感想は、こうだった。なでしこチームをとことん分析したアメリカチームの立てた戦術は、決して日本的情と絆を学ぶことではなかった。一言で言えば、「情と絆のチーム力」を砕くために、「機能的組織戦術と軍事的戦闘行動をとった」ことだつた。
 「大型選手の持ち前の体力を軍事装備力と見てたて、なでしこの弱点分析をし、弱点モデルを絞り、それに向かう機能的組織を組み立て、徹底的訓練をやった」
 「それは、試合開始のわずかの時間で、瞬発集中の先制波状攻撃を仕掛け、一気に勝負をつけるやり方だった」。それは初代ブッシュ大統領のときのイラク戦争のとき、一週間で勝負をつけてみせるといった戦術と似ている。アメリカモデルの戦術だ。
 恐らく、宮間はアメリカでのプレーで承知していたことだったろう。予測していたことだろう。
 それで「負けは,負け。負けに理屈はない」といったのだ。
 それが私の感じた宮間。だからスゴイ。
 グローバルの闘いとは、ということを知っている。
 彼女は、もっと深いところで、アメリカと日本、西洋と日本、の強さ、弱さ、を静かに反芻しているように見えた。
 


 ブログを休んでいたわけでない理由。

 このブログ、2009年から初めて今年で6年。
 そしてこの5.6.7月の政権の変わりよう。読者の関心記事も変わった。
 2009年スタートの日、「はじめに」に書いた、時空を越えてその時々の私の関心事をランダムにを良しとして書いてきた。
 
 そしてスタート時の関心事を列挙した。それも変わった。

 右肩に掲げたこのブログのテーマらしきものを、はじめには、「中間所得層をいかにして増やすか」としていた。中間所得層とは、暗にホワイトカラー(文系のサラリーマン)を指していた。
 
 その後、理系も文系も含めて、ビジネスマンとか、ビシネスパーソンと呼ばれるようになり、働き方も様変わりした。そのニュアンスには、好きなように能動的に生き、働く、と意味が込められるようになった。そんな意味もあってその後このブログテーマも、「混迷の時代所得格差といかに対峙するか」に変えた。
 これは、だれと対峙するのかという意味も込めた。「自分自身」「競争相手」「ステークホルダー」「経済欲求の同族と協働」「政党の綱領」「ピケティのr族とg族」さらに「政府の所得再分配政策」など,どちらにしても、「対峙」には、発信する方も,受ける方も、全人格的アプローチが求められることを読者は意識してきたとおもえる。

 そこで、今までランダムに書いてきた多くの記事を、一度シークェンシャルにまとめ直してみる必要性を感じた。そうすると、コンテクスト=文脈も違うコンテンツが混在し、迷っていた。
 そして激変する、世界的政争のなかの日本。

 書店では、やたらと「日本史」「世界史」「戦後日本を振り返る」本が、日替わりのように並ぶ。
 
[PR]

by kuritaro5431 | 2015-07-10 09:23