哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ

<   2013年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧


2013年 05月 26日

七十四日間ブログが書けなかった理由 (2)

 前号では書ききれなかったので続けます。

 今朝、われわれ庶民からみれば、またまた大変な報道があった。
「栃木県東海村にある日本原子力研究開発機構の実験施設から放射性物質が漏れ6人が被曝した」と。美浜原発にしても、大飯原発にしても原発推進派の組織の人たちの発言におおいな疑義を抱いている最中に、またまた推進派組織の人たちによって、内部被曝まで起こった事故がルール通り報告されなかった。しかも鳴った警報音をリセットして作業をつづけ(させて)た。内部被曝の危険は一番現場責任者が承知しているはず。それを越えての命令がまたどこからかでている。
 3.11以降、原発利権者の体質は変わっていないどころか、陰湿な情報操作体質になったと国民は思ったことだろう。アベノミクス、参議院選と政局のきわどいときの失態として現場は叱責されたことだろう。文科大臣も「現場の危機意識のなさ。誠に遺憾」程度の記者会見。


 話は変わるが、前号まででも挙げたような濁流の情報洪水のなかで、満80歳を越えた私は、安穏としておれず、3.11のあの日からいくつかのことを今も続けている。「新聞の切り抜き」これは最初はカテゴリー別に分類していたが追いつかず、今は取り敢えずとホームセンターで買った整理籠に日付順に放り込んでいる。それは私が五つのとき引っ越した土蔵のなかにあった山ほどの関東大震災の新聞記事が深い記憶の底にあったからだった。それも一緒に引っ越したがいつの間にか喪失していた。震災といえばそのころ見た記事の見出しと写真だった。その記憶は後々まで残っていた。だから孫たちに残そうと思ったのだ。今は相当量になっている。次は「ペンデイング・タグ」カードのリング掛け。掛けっぱなしのNHKラジオ深夜便から、聞いた話を枕元のB7市販メモにポイントだけ書く。興味深い話は、その場で起きて、パソコンで語った人の名と、著書など検索しておき、あとで詳しくたどれるようにだけしておく。またB6のスケッチブックを「メモランダム帳」にして、小テーマごとに気の向くままの量を書く。扱うものは、新しく知った単語の意味由来。関心を引く「コンセブト」「コンテンツ」。「対比概念」。「民族習慣」、「より拡散的イメージの湧く刺激もの」「拡散に対しての収束の発想・アイデア」など際限のない思いつき、条件をつけず「多面、多角の価値探し」。現在28冊目にさしかかっている。他に、まとまった関心事は、パソコンで関連記事をプリントして読み、アマゾンで関連本を検索し、書店に行って閲覧する。アマゾンから買ったり、書店で買ったりする。
それに我流のコメントメモを添え、A4の厚みのあるプラスチック書類ケースにタイトルを大書きして溜めてきた。かれこれ20ケースにはなっている。今、だれのためにといえば、ひょっとして将来関心を持つかも知れない孫たちのために、というこになりそうである。
 

 パソコンは「こんな使い方ができたらいいのに」と思うも使えない。もどかしい。IT伝道師なる職種があると報道で見て、当たって見るもどのルートからも見つからなかった。トラブル修理のサービスマンは、長く世話になっているが職種が違いSNSやクラウドサービスやwebの改造などの支援は無理だ。縦書きブログもトライはしたものの、使い物になっていない。

 以前にも書いた、中型クラスのオフコンのシステム設計は、勤めていた会社で2回。コンサルタントととしてクライアントのものを2回やったが、ホストも端末のオペレーションもなにひとつやらなかったし、やれなかった。入力手段の選択とか、フアンクションコードを決めることぐらいはやり、ファイルレイアウトもやった。
 要は、SEの領域の仕事だった。白紙の汎用機に、構築したい思いを描き乗せることであった。いうならば100へーべぐらいの住宅の設計と建築の作業の取り仕切りだった。建築ほど多くの技術者や職人がからむわけでもなかったが、オフコンの設計においても最上位の仕事として「概念設計」「システム領域の設定」「目的と手段の合理的効率的設計」があり、次に「構想の計画化(書面化)」「組織の意思との整合」「業界および自社の業務習慣と改革許容点の見極め」「ブロジェクトとしてのマネジメント方針と運営」「啓蒙およびイノベーション目標」など、次に「システムそのもののアーキテクチャーとしての全体システムとサブ・システムの論理的整合性のためのホストおよび端末の機種選定」などがあり、SEの最下位の仕事として、プログラマー(建築でいえば大工さん)への作成依頼。
 そんなオフコンを使っての仕事のやり方を身につけた。事務作業効率化のために仕事の流れや、単一ジョブまで標準化する。そこにはハンドリングでやってきた業務習慣の変更が必須であり、組織の意思も、現場からの反発も強かった。それらを乗り越えることを当時はイノベションともいっていた。現場改善をベースとした改革だった。その実行に有効な働きをしたのがロジカルシンキングであった。まさにアメリカ輸入のプラクマティズムそのものであったが、そのころからストーリー性、構造的なアーキテクチャー性、目的に対する最適手段の開発と選択等の、この思考・ロジカルシンキングがもてはやされ、進化し今日にいたっている。
 それらは当時の私にとってとても楽しいものだった。オフコンメーカーの営業担当の人たちや、アプリケーション支援センターのリーダーやら、ディーラーの営業やプログラマーたちの支援でなしとげられなかったと今なお感謝している。
 

 ここで考えさせられるのは、バブル景気崩壊前の各会社は、一つの共同体的社会の役割をしていて、社員を囲い込み、職制を越えてのプロジェクトにおいても、一体感を醸し、オフコンメーカーおよび傘下のディーラーにおいてもそんな共同体的日本の会社の組織風土に馴染みながら支援し、一緒に働いた。そのころはまだパソコンはなかった。あったとしてもワープロ機能止まりだった。データー電送としてのオンライン回線はあったが、通信手段としてのコンピューターではなかった。

 その後バブル景気は崩壊し、2~3年の内に日本の各社の組織風土は一変した。せざるを得なかった。雇用形態、働き方、の一変で勤労者の日本的共同体としての最後の砦としての会社が崩壊した。
集団・組織として成果を求めた働き方から、個力中心の働き方に変わった。その理由は多く語られているのでここでは割愛するが、イノベーションによる成果追求、その思考のベースは、進化していったロジカルシンキングであった。ますますその傾向は強まった。

 近年においてどうなのかと、経営コンサルタント業界で今求められているスキルとか年収情報を覗くために、以前から続けて購読しているメールマガジンがある。東証一部上場の企業を対象にしていコンサルタントファーム各社の求人情報が載っている。そのメールマガジンは⇨[Consultant Info vol.***] プロフェッショナルファーム である。ここでいつも求められるスキルに「ロジカルシンキング」がある。いまでもそうなんだとの思いと、いまだにそうなんだとの思いが交錯するが、やはり「コンサルタントの成果」となるとロジカルシンキングがどれぐらい使いこなせるかにかかっていることは確かのようである。このメールマガジンから伺えることは、大筋で、職種を問わずこの傾向の強い人材を企業が求めていることはほぼ確実である。正社員であろうが、ノマドであろうが、非正規社員であろうが同じといえる。

 だだ大きく変わったというか、加わったというか、のものがある。
 それは、左脳的ロジカルシンキングというか、以前の記事に書いた理性的思考により、というか、
言語中心的思考というか、のみでなく、感性的論理(知覚=唯識の五識に相当。による認識と伝達)が重要視されるようになってきた。パソコンのもつSNS機能の可能性のなかに、従来の理性的認識から構築・組み立てられる論理と、知覚による認識からくる論理の組み立ての効用のコラボレーションが、新しい時代の「つながりの社会」を形成してゆくように思える。

 後者だけの論理では、「ダウンサイジングしても幸せ」と感じても、世代を超えた命の継承は覚束ない。前者の能動性と、両者統合の健全性なくして世代を超える継承はできないのではないか。

 私の、前者のイメージは「コンセプト(基本概念からスタート)」だから「演繹的」。教育は「カリキュラム方式」に対し、「コンテンツ」は「知覚で対象を認識したり伝達したりできる」であったり「多様性の肯定」であったり、教育でいえば「メソード」であったりする。

 

 



 
 
[PR]

by kuritaro5431 | 2013-05-26 10:30
2013年 05月 25日

七十四日間ブログが書けなかった理由 (1)

 今年の3.11。疎ましい記憶の日から今日までの74日間、ブログが書けなかった。

 最大の理由は、安倍政権のすすめるアベノミクス周辺の記事関連に対する「期待」と「不安」。そして追っかけられない数のさまざまなペンデイング・タグ。それが日ごとに反転したり、方向を変えたり、昨日は「正」ともみえたものが今日は「負」にみえ、「灰色」だったものが「暗黒」にみえたりする。
 あの東日本大震災・福島原発事故以後の多様な報道や記事(テレビ・新聞・インターネットなど)が〔学説〕〔学派〕〔立場〕〔政党〕〔学閥〕などなどの利権・利害と絡み、背後にグローバルな覇権争いの国家安全保障が絡む。
 今や一般市民でも、これらの動向とは別の世界で生きてゆけない時代をひしひしと思わせる。
 国家間にしても、民族間にしても、経済体制の違いにおいても、宗教・信仰の違いにおいても、支配者被支配者間の選民・階層の問題にしても、利害・格差がつきまとい、ほどほどの折り合いを目指す民主主義と資本主義。それも生成・途上・成長・成熟を辿らざるを得ない。

 これらのグローパルな環境のなかで、分化し精緻化した人間の知恵の「総合化」「価値ある体系化」はできないものかと哲学はその使命を担ったが「共通善」は見いだされずにいる。

 「共通善」という壮大な「価値と論理と構造」は、愚者で低脳な私の及ぶところではないとしても、何とか子や孫に命の連鎖を繋ぎたいと思う。
 それにはどうしても我流ながらでも、さまざまに正否拡散するペンデングタグが納まる「革袋がいる」。私の経験からすればやはり使い慣れたロジカルシンングということになる。それは経済がわかりやすい図式論理で成長した時代に功を奏した論理で、論理(理性)で対象はコントロールできるものとした前提を信じてのことのように思う。
 いっとき成熟期に入った先進国は、もう成長期のような経済成長は期待できないとの論者の言葉をそうだと思っても見たが、シェールガスとかメタンハイグレート、co2のセーブできる新しいエネルギーとしてのコストの安い石炭の利用、さらには風力や太陽光、地熱、など。
 なかに廃炉・使用済み燃料棒の始末のメドのたたぬ原子力発電。闇の世界とのつがりが噂される放射能被曝奴隷を囲うマフイア。それらも原発システムの一環として成立させようとする一部の勢力。この日本の原発技術をトルコに薦めた安倍外交。アメリカにシェールガス、日本海域でメタンハイグレート、その他の新しいエネルギー源の開発、発掘、などで石油中心だった世界のエネルギー供給構造が大きく変わる。そうなると中東のイスラム原理主義の動向も変化するかも知れない。それだけではないにしても。

 そういう意味で、もしかすると、成熟期に入った先進国にも新たな成長機会が訪れるかも知れない。

 それにしても「幸福度」議論。「格差問題」は想像以上に国民の間で問題視されている。
「幸福度」問題は、NHK若者アンケートによれば「将来に希望は持てないが、今が幸福」が1位。
 NHK番組「日本のジレンマ」では、独身の彼らはパラサイトでも、シェアしてもその世代は何とか食ってゆけるだろう。でも世代継承は無理だ。それが一番の問題と出席の若者がいっていたことがとても気になる。
 今の日本の若者が、今のままで幸せといえるのは、上の世代(彼らの親に当たる団塊の世代)の資産であり、インフラがあるからなのだが、案外気づいていない、と。
 いずれにせよこの傾向は、ダウンサイジングで、ワーキングプアは増え、社会福祉費は比例して増加する。

「格差問題」は、新自由主義や自民党の綱領が示すように、働く意欲のない人たちに給付金もらえば、働くよりいいと、ますます働く意欲、自立の意欲が薄れる。これも分からないではない話。ところが親の年収で進学の高校・大学の格差が統計上明瞭に現れている現実。
 奨学金制度はあるものの、卒業すると返済しなければならない。卒業時に500万円もの借金を抱え、まともな就職もできず返済が滞る。大学院をでても研究室には残れず。うまくいったとしても他大学の特任研究員での時給は1600円。
 確かに有名上位大学からの学生を有名企業は採用したがり、面接段階から別扱いするところもまだある。それにしても入社後求められる能力は、日本がジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた頃とはまったく違う。能動性の強いピジネスパーソンでないと生き残れない時代に急速に進んでいる。
 そんなことで、入社後も「肉食系」「草食系」と仕事の成果は問われ続ける。

 韓国はもっとひどい就職難・格差社会である。財閥系ともいえる上位5社が70%とかで、その企業に入社したがる本人・親・親族一統。熾烈な競争社会である。日本にだけは負けたくないという怨み辛みが民族的バイタリティとまでなっている。これも元を正せば国家ガバナンスにかかる問題にまで絡むとおもわざるを得ない。韓国起源説しかり。悪口をいっているのではない歴史的因縁・因果の必然というものもある気がする。
 
 中国にいたっては、北京大学卒でも50%しか就職できていない。
 中国も歪な国家ガバナンス(経済は資本主義、統治は共産党一党支配)で、あれだけ多くの異民族をまとめている。いつその統治力が崩れるか分からない危機のなかでのパランスである。

 製造業中心に成長したアメリカ資本主義は、会社は株主のものという規範が拡大して、機関投資家が活躍する金融資本主義となった。株主は、長期の投資より短期で利益を上げる経営者が望ましいというのは、機関投資家として当然。近年の企業経営者は1株当たりの利益率ROEを高め、株主の評価を高める。経営者としてはそれをもって高額報酬をえる流れとなった。日本の東証一部上場企業の社長の5~6倍の年収とか。

 その結果、製造業は長期投資を必要とする製品開発をしなくなり、シリコンバレーのベンチャーキャピタルは弱まり、大勢の雇用を生む製造業が弱まった。その結果多くの失業者を生み、1:9現象、富裕層1に対し9の貧困層社会を形成した。
 そこでアメリカの雇用対策として海外移転していたアメリカの製造業をオバマ大統領が呼び戻そうと手を打っている。

 政治・政局とは、国内問題であろうが、国際問題であろうが、利害関係のある民族や、組織、果ては個人同士が鬩ぎ合って生きる営みで、「落としどころをできるだけ健全に見いだし、納める行為」と考えられないものかと思うようになってきた。

 それでも「どこまで筋を通すか」「国際的にいえる正義とは何か。あり得るのか」の問は薄れそうにない。
[PR]

by kuritaro5431 | 2013-05-25 15:08