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2012年 07月 31日

「マルチ」と「ノマド」の意外な関係性

 私はコンピューターのコの字も知らなかった1969年、ひょんなことから走りのコンピューターに関与することになった。当然当時パソコンなどなく、登場すら予想しなかった時代である。私は、旧財閥系の自動車ディーラーにいて、親会社の新車発売元(自販)の営業戦略・広告宣伝と連動した地域における販売促進企画・自社の営業活動支援業務、新車中古車の車両管理、支店営業所の売上と入金管理、新車中古車の陸運局への登録業務、顧客別一車別損益管理、顧客別車両別ユーザー管理、自販への月次報告などの業務を一括でやるセクション(営業業務)にいた。
 その部門でハンドリングでの事務改善をやった経緯から、「3社合同事務機械化委員会」(当時はコンピューター導入のワーキングチームをそう呼んでいた)で前述の営業にまつわる分科会のリーダーを務めた。同形態の兄弟会社が京都府と滋賀県に3社あったからだ。

 当時は大手製造業はコンビユーターを使っていたが、処理能力に限界があることから「単能機(シングル・ジョブマシン)」を使っていた。まだワイヤー・プログラムもあった。畳一畳ぐらいのバネルに、電気コードが蜘蛛の巣状に差し込まれたものだ。
 委員会への指導は、自販の計算管理室(今でいう情報システム開発・管理センター)のスタッフ。われわれが指導を受けたのは、元陸軍中野学校出身・憲兵伍長だった。中野学校では暗号研究をやっていたから、戦後そんな人たちがコンピューター関係に流れたものと思われる。
 その人は革新的意欲のあるデイーラーの指導役で、静岡、九州などすでに実績を上げていた。

 導入された機種は、本体がIBM360モデル20、メーンメモリー8Kで、カードヘース。周辺機器として5メガの磁気ディスク1機(直径60センチ、高さ25センチぼどの器のなかにレコード盤のような磁気盤が五層、差し替え可。魅力はなんといっても、磁気テープに比べランダムアクセスができたこと)。磁気テープ装置2機(MT)。プリンター1機は多分ドットたった。
 オフラインに、カードソーター(本体が8Kしかないので、読み込み負荷を軽減するため、予めパンチカードをシークェンシャルに並べる装置)。

 これだけのマシン群を本部の4階会議室(400㎡はあったか)に据えた。今では考えられない体積である。
 他に、カードパンチルームがあり、10台のバンチカードマシンがあった。(半分の5台はべりー。同じ伝票を2度打ちして検証するマシン)。

 ワーキングチームは、導入前よりIBMから派遣されたインストラクターにより、コンビューターの信号の単位としてのビットやバイト、二進法、各機種の役割。現業の業務を機械化するために必要な業務標準化こそ成功の秘訣と教わった。

 IBM360モデル20は、メモリーは小さいながらも単能機ではなく、汎用機(一応のマルチジョブマシン)だった。今ほどのマルチジョブ対応機能はなかったが、MTとか、ディスクの処理をしなから併行してプリント処理ができるとか、である。同時処理ができるところがマルチジョブの特徴である。
 後、本体メモリーにLSIが採用され何十倍、何万倍にもなった。マシン体積は小さくなった。コンピューターの処理スピードは体積と比例した。電流回路が短くなったからだ。それにより、本体(CPU)に直結してぶらさがる端末器も多くできるようになり、端末ごとの別のジョブもできるようになり、本格的マルチジヨブ時代に入った。


 私が「マルチ」という概念を感受した経緯の説明に多くの字数を使ったが、今の「ノマド的ライフ」と意外とよく似た関係性があるように思われ書いてみた。
 コンピューターの発展と併行して発達したマルチ志向とマルチの仕事術→マルチライフ。

 マルチとシェアは似ていて異なるものと、前々号で触れたのでここではシェアについては割愛する。

 以下は、ノドマにとってマルチに生きることに、SNSやクラウドサービスを使いこなすことは切り離せないことのようだが、ハンドリングの世界においても、仕事に、研究に、趣味に、遊びに、マルチの概念は無意識的に普及した例を挙げてみる。

 マルチという概念は、「多能」という意味をもっていると私は思っていて、ある意味で20世紀の発展を支えた概念と思う。

★専用機旋盤(シングルジョブ・マシン)単一加工における生産性は高いが、小ロット、多品種生産には向かない。汎用機旋盤は(マルチジョブ・マシン)一製品当たりの生産性は低いが、多品種少量のオーダーへの対応力とか、緊急対応力に優れている。
★人でいえば、多能工がマルチ工。ガズ配菅資格を持つ人、左官職ができる人、電気工事資格を持っている人、内装工事のできる人、など、一人で複数の仕事のできる人は、工事現場で、職種が入れ替わる必要なく工事は進められ、交替時のロスタイムが大幅に締められる。今嫌われる効率化であったが。
★ホワイトカラーにおいても、ブロジェクト・マネジメント力のある人は、新しい他のブロジェクト立ち上げ時に重宝がられる。
★マーケティング系職種においても、自社のコンピユーター・フアイルにマーケティングに使えるデーターがどのファイルとどのファイルに保存されているか、ファイル・レイアウトも知っていると、商品開発部隊から統計設計が期待されたりする。統計数学ができれば、なおのこと。
★バブル景気の最中、増改築・リフォームマーケットが華やかな頃、フランスのリフォームビジネスのやり方が話題になった。
中型トラックに3人の多能工が乗り、リフォームならやんでもやれる道具を積み、2日コース・3日コース、4日コースのメニューで施行。その間住人はホテルで待っていればいいと。

★(注)おこがましいですが、、私のバソコンファイルに「コンサルタントのよもやま話」とうのがあって、そのなかの6話に「システムの定義」5話に「情報の定義」を載せています。当時の諸先生方の諸説を。ご興味の方検索できます。

★特別に会社から、上司からの要請がなくても、ビジネス文章が早く、正確に(伝えたいことを勘違いされないように)、忙しい受け手に読みやすく書けるスキルを持っていると、どんな職種でも汎用が効く。特にのまど的働き方には必須。
★小説とかエッセイは散文であり、その文章をどう読み取るかは読者に任せられるのが筋である。散文で書かれようとするものは「人間」であるから。そういう意味で、ビジネス文書に散文的要素を混在させてはならないと私は考えている。(このブログはエッセイと位置づけている。念のため)
★商法、会社法、民法、労働法などビジネスマンには必須と思うが、自部署に必要としない法律も知っておくと、組織から重宝がられ、これまた汎用が効く。
特に、ビジネスにはつきもののトラブル防止とか対策に必要な、覚え書や契約書、などつくれるスキルがあるといい。一旦緩急の時、弁護士につなぐ知識は、ノドマの仕事術には必須。
★概念設計とか傾向分析などに必須なチャートづくりが得意なら、ブレゼンにも、コミュニケーションにも役立つ。これも汎用性大。
★イラストの得意な人はいい。外注する費用もかからず、なによりスピート対応。パソコンのイラスキットにない手書きの味がサブ・コンテンツにもなる。ノマドならスキャナーを使って貼り付けることなどお茶の子だろう。
★DIYが好きなら、大がかりの物にしないにせよ、着想→コンセプトづくり→概要設計→部分設計→施行というブロセスをたどりたくもなる。大げさにいえばアーキテクチャーの思考ともつながる。建築と違うところは一人でやるところだ。小説家は、概要設計から詳細設計から畳職人の仕事から、障子張りまで、イメージと鉛筆ひとでやる。ビジネス企画クリエーターにてしても同じ、だから一人でやる職種のフイリングと同じといった人もいた。
★釣りが好きなら、前夜につくる仕掛けのいいようのない期待感。大海を30頭ものイルカの群れが釣り船と並んで飛んでゆく。そこには時間消費のレジャーという感覚はない。
★俳句や短歌をやる人に、印税期待の人はいない。他人はどう受け取ろうが生きた証を言葉に託したいだけの人が多い。だから日本人の精神文化の裾野は広いのだ。
★墨絵や水彩画や書の書ける人も、単なる時間諸費型の趣味にならず、心豊かな自己の再生を期待する人たちが増えている。
★クラッシックであれ、ジヤズであれセミプロなみの談議ができる人は、文化的素養のある事業家とか、経営者などと意気投合する機会が期待できる。

 このように各自がマルチ領域を拡大しながら生活してゆくスタイルは今後増えていく可能性があると思う。そのモチベーションになる因子は、私流にいえば各人の深層にあると考える。 
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by kuritaro5431 | 2012-07-31 13:54
2012年 07月 31日

「マルチ」と「ノマド」の意外な関係性

 私はコンピューターのコの字も知らなかった1969年、ひょんなことから走りのコンピューターに関与することになった。旧財閥系の自動車ディーラーにいて、親会社新車発売元(自販といっていた)の営業戦略広告宣伝と連動した地域における販売促進企画・自社の営業活動支援業務、新車中古車の車両管理、支店営業所の売上入金管理、新車中古車の陸運局への登録業務、顧客別一車別損益管理、顧客別車両別ユーザー管理、自販への月次報告などの業務を一括でやるセクション(営業業務)にいた。
 その部門でハンドリングでの事務化改善をやった経緯から、「3社合同事務機械か委員会」(当時はコンピューター導入のワーキングチームをそう呼んでいた)の前述の営業にまつわる分科会のリーダーを務めた。同形態の兄弟会社が京都府と滋賀県に3社あったからだ。

 当時は大手製造業はコンビユーターを使っていたが、処理能力に限界があることから「単能機(シングル・ジョブマシン)」を使っていた。まだワイヤー・プログラムもあった。畳一畳ぐらいなバネルに、電気コードが蜘蛛の巣状に差し込まれたものだ。
 委員会への指導は、自販の計算管理室(今でいう情報システム開発・管理センター)のスタッフ。われわれがしどうを受けたのは、元陸軍中野学校出身・憲兵伍長だった。中野学校では暗号研究をやっていたから、戦後そんな人がコンピューター関係に流れたものと思われる。

 導入された機種は、本体がIBM360モデル20、メーンメモリー8Kで、カードヘース。周辺機器として5メガの磁気ディスク1機(60センチ高さ25センチぼどの器のなかに)
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by kuritaro5431 | 2012-07-31 13:53
2012年 07月 29日

加藤登紀子のこよなき健全性

 加藤登紀子は、「東北の人たちへ」「同胞の日本人へ」「そして世界の人たちへ」3.11で受けた東日本大震災の大津波という自然の脅威と、不条理な人災としての放射能被害を乗り越えて生きようとしている人間の悲しみと、再生への祈りをCDに込めて発信した。
 彼女のパーソナリティを生かし、彼女ならではの世界観で清濁を包み込み、こよなき健全性を今回も発揮した。この時期において私は彼女のそのバランス感覚に共鳴し、敬意をもってここに「彼女の語りと歌」を載せたい。



ふくしま・うた語り

   加藤登紀子  鎌田實  ピアノ:フェビアン・レザ・バネ


 1、貝殻の歌

    詞 和合亮一  曲 伊藤康英  歌 加藤登紀子

 
 あなたに 貝殻を 手のひらに 渡したい
 そして そっと 悲しみを 私に 渡してほしい
 終わらない この星の この星の 悲しみを 想っています
 悲しみを あなたのことを 想っています

 命よ この星よりも重たい命
 命のはかなさを知って 泣いているあなた
 私も 共に泣きましょう 共に
 あなた あなた 大切なあなた

 貝殻にも 光にも 雲にも 牛にも 駅にも
 街にも 船にも 私にも
 この地球よりも 重い命が 重い命がある

 命よ この星よりも 重たい命 
 命のはかなさを知って 泣いているあなた
 私も 共に泣きましょう 共に
 あなた あなた 大切なあなた

 あなたに 貝殻を そっと 手のひらに 渡したい
 そして そっと 悲しみを 私に 渡してほしい
 そっと 渡してほしい



 2、神隠しされた街
  
    詞 若松丈太郎  曲・歌・語り: 加藤登紀子


 四万五千人の人びとが
 たった二時間の間に消えた
 サッカーゲームが終わって
 競技場から立ち去ったのではない
 人びとの暮らしがひとつの都市(まち)から
 そっくり一度に消えたのだ

 「三日分の食料を準備してください」と、ラジオで避難警報があって
 多くの人は三日たてば この街に帰れると思っていた
 小さな手提げを持って 仔猫だけ抱いて
 老婆も病人も バスに乗った

 チェルノブイリ事故発生四0時間後のことだった
 千百台のバスに乗って四万五千人が消えた
 鬼ごっこする子どもの歓喜(こえ)が、垣根ごしのあいさつが
 郵便配達のベルの音が、ボルシチを煮るにおいが
 家々の窓のあかりが 人びとの暮らしが
 ひとつの都市ブリピャチが 地図のうえから消えた

 それから十日が過ぎて
 チェリノブイリ原子力発電所から 半径三0キロゾーンは
 危険地帯とされた
 五月六日から三日間のあいだに九万二千人、あわせて十五万人の人びとが
 100キロ、150キロ先の村にちりぢりに消えた

 東京電力福島原子力発電所から半径三0キロゾーンといえは
 双葉町  大熊町  富岡町  楢葉町  浪江町  広野町
 川内村  都路村  葛尾村  小高町  いわき市北部
 そして私の住む原町

 私たちが消えるべき先はどこか
 私たちはどこへ姿を消せばいいのか

 日がもう暮れる 鬼の私はとほうに暮れる
 みんな神隠しにあってしまった
 うしろで子どもの声がした気がする
 ふりむいてもそこには誰もいない

 神隠しの町はこの地上に もっともっとふえていくだろう
 私たちの神隠しは 今日すでにはじまっている
  
 うしろで子どもの声がした気がする
 ふりむいてもそこには誰もいない
 広場にひとり立ちつくす


 
 3、スマイル・レボリューション

    詞・曲・語り  加藤登紀子


 ギリシャの映画作家テオ・アングロプロスの映画に「こうのとり、たちずさんんで」とい
 う作品があった。
 アルメニアとギリシャの国境に川があり、そこに橋がかかっている。アルメニアからギリ
 シャへ来てしまった難民たちはその橋に立ちずさみ、故郷に帰ることを夢見る。
 何度も足を上げてみるが、一歩を踏み出せば、どこからか鉄砲の玉が飛んでくることを
 知っている。
 愛しい故郷はすぐそこにあるのに、恋しい人たちがすぐそこにいるのに、橋を渡ることが
 できない。だからいつまでも片足でたちすくんだままでいる、という痛切な物語だった。

 2011年3月11日。
 東日本における地震、津波、そして原発事故という大惨事を突き付けられた。
 それからの日々、次々と見えて来たのは原発への恐怖と放射能汚染の中で生きる困難さ。
 何とかこの危険な原発を止めて日本を創り変えなければいけないことが、はっきりと
 わかって来た。けれども、まるでこのコウノトリのようになかなか一歩が進まない。

 橋のこちら側は、地震地帯の上に54基もの原発を抱え、いわば21世紀人類の繁栄と
 危機を暗示するジュラシックパークだ。
 橋のむこうは、数十年前までの穏やかなまだ土の匂いのする日本。
 電気製品はもう十分あったが、原発はなかった。
 豊かな地層の中には、長い年月の間、自然と調和を目指した営みの跡がまだ残っている。
 今、こちら側の橋のたもとで、片足を上げたまま立ちずさんでいる私たち。
 橋を渡ることへの不安は一体どこから来るのだろう。
 確かに社会の仕組みの中から外れるという事には大きな勇気もいるし、社会を転換させる
 には大きなエネルギーがいる。
 けれど、片足を下ろし一歩踏み出しても、ここには鉄砲の玉は飛んでくるわけじゃない。
 だから、一度この橋をわたってみたらどうだろう。

 私たちは何を夢みていたのだったか。どこに問題があったのか、この数十年の間になにを
 得て、何を失ったのか。もう一度来た道をたどってみよう。そして未来へのまっとうな
 シナリオを捜してみよう。
 生きることがどこかで破壊や破滅につながるのではなく、生きることが限りない喜びに
 つながる生き方を見つけたい。生きることに素直に向き合い、生きる喜びに真剣に
 取り組み、ほほえみを持って輝いて生きることで世界を変えていきたい。
 それが「スマイルレポリュウション」だ。

 どんなに時代が変わっても、残されていくひとつの謎がある。人はどうしてこんなにも
 たくさんのものを求め、傷つけてしまうのだろうか。

                    (白水社版「スマイルレポリュウション」より)



 
 4、海よ、大地よ

    語りの詩、 語り:鎌田實  歌の詩・曲・歌:加藤登紀子


  ──語り──

 3.11、大津波は原発に襲いかかった。
 「おまえに海の苦しみがわかるか」
 自分自身に問いかけた。
 海が放射能で汚染された。許せないな。
 不条理だなと思う。海に責任はないのに。
 「おまえにホウレンソウの悲しみがわかるか」自分自身に言ってみた。
 1キロあたり1万5020ベクレルのヨウ素が検出されたホウレンソウの悲しみが
 わかるか。
 安心して食べてもらいたいと思ったのに、人々の心を不安にした。
 ホウレンソウは悲しいだろうな。

 「おまえにミルクの悔しさがわかるか」
 牛に問いかけてみた。何も答えない。
 ただ、ただ、牛はさびしそうな目をしていた。
 25年前、チェルノブイリでは
 大地が汚れ、草は汚れ、そのくさを食べた牛が汚れ、ミルクが汚れた。
 汚れたミルクを飲んだ8600人の子どもが甲状腺がんになった。
 ミルクは悔しいだろうな。
  
 みんな命はつながっているのだ。
 38億年前、海から生命がはじまった。
 その海をぼくたちは汚した。
 みんな命はつながっているのに。
 大地を汚したのはだれだ。
 うみを汚したのはだれだ。

 「1968」年世界の若者が同じ呼吸をした奇跡の年。
 日本を変えようとした一人の若者が怒っていた。
 「人間は、地球のすべての生きものたちに、土下座して謝るべきだ」
 この男は2011年の出来事をマチガイナクこのとき、予感していた。

 カマタミノルもカトウトキコも、この男フジモトトシオも、
 海も、大地も空気も、みんな怒っている。
 美しい昔、美しい街、美しい森、汚してしまったけど、ぼくらはあきらめない。
 今こそ、までえのふるさと、までえの命を取り戻すとき。
 「命結」の力を信じている。



 ───歌────

 どれほどの長い道を歩いて来たのだろう。
 あなたは何も言わず ほほえんでいるだけ

 数知れぬ苦しみと 悲しみの足跡
 見つめたその胸に 涙をしずめて

 人の世の荒野を 吹きわたる風よ
 運命の流れよ はてしない空よ

 風よ光よ 海よ大地よ
 どこまでも広がって 愛に届くまで
 どこまでも広がって 愛に届くまで


 
 *********このCDの収益金は「福島の子どもたちのために使われる」とあります。

 
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by kuritaro5431 | 2012-07-29 09:16
2012年 07月 26日

今この時点の私の「ペンデング・タグ」

 2009年04月12日の「はじめに」に書いた関心事は、3.11以降iに書き足したものだが、それから今日まで多彩な刺激を受けて「ペンディン・タグ」として変わり追加された。
 それを今日はその内から少し、列記してみる。

★失業者を減らし、雇用の促進のための新時代事業を拡大することこそ今は大事。そのためにクールジャパンの真骨頂が生かせるか?
★非効率の領域に追いやられた、手間暇かけた日本人の細部に向けた美意識が、ものづくりや美術や、接客の心の底に流れる情感が、そのことがわかる世界の人を捕らえるときがくる。そこには競争概念を越えた最高の付加価値がある、と信じるか?
★それまでに、偽物のクールジャパンが横行し、著作権や特許権を侵すノンルールで儲ける人たちもでる。がやがて、日本人の深いとこに起因する、心と情感、無常観をもポジテイブにとらえ、抵抗意識を潜め、哀しみの果ての生命力が、アジアの高所得層に受ける。そんな楽観論を信じる?
★負の再配分から脱出しない限り、貧富の格差は拡大し、3万人の自殺者も、百万人の鬱病患者も減らないどころか増える。有名大学入学生と親の年収は比例する。そんな現実から脱却できる社会システム・経済システムなどこないと悲観論に打ちひしがれることもなかろう?
★物の豊かさを追い、富をつくった大規模製造業がリードした時代は終わった。と多くの識者は言ってきた。私もそう思ってきた。アメリカもその路線で生産設備を国内でもつより、シリコンバレーのような「知」の集結による産業のあり方に基軸を移し、国力の復活を図ってきた。ところがここにてきて、大量の失業者を吸収できる経済システムには規模の大きい生産設備がやはり不可欠と、流出した工場の呼び戻しをやりはじめているとか?
★3.11以降小規模でもいい、地方ごとの特産「一村一品運動」が、行政に頼らない地域コミニティから生まれつつある。地方主権、それはもう消えていたかと思っていた懐かしい日本の共同体意識再生のきっかけにもなるかと。そこにはクールジャパンとつながる因子が。それはすばらしいこと。でも雇用対策からすれば、小規模から生まれるパワーでは追いつかないこともある?
★大規模組織を統治した知恵とか、マネジメント能力、複雑化したグローバル経済の変化を読む直感力、などなどは、大量の雇用を抱え込むのに必要な能力でもあるとみるか?
★山や川、永劫の自然循環のなかで育まれた「棚田」と人間の営みのなかで作られた「米」。そこにはクールジャパンの魂があり、いたって小規模な命の糧の生産と雇用もあった。それを非効率の典型とみず、小規模農業あり、組織化された大規模農業があり、それぞれ存在意義を持ちながら混在する。商工業においてもしかり。TTPにおいてもいろいろなコンテンツを内包する新しい物の価値や、商いのありようがプラスを生む?
★経済・金融はグローバル。政治はナショナリズム。国益は「正義」。よって「省益」も正義。縦割りも「正義」。本来の日本人は「正義」より「覚悟」という人もあり?
★失業率の高さが、格差社会を生み、その果てに「政治不信が進み」「いじめの問題」が頻発し、民衆を統治仕切れなくなった政権は、無抵抗な市民や、幼児にまで自動小銃を向け乱射する国。その国はどこだった?
★「スクリューフレーション」という言葉を知った。中間層の貧困化とインフレーションの組み合わせ造語。その見解のなかで「今の若者は、バブル崩壊後の生活しか知らない。幼い頃に培われた消費行動は、物を欲しくなくなりその価値観は一生支配する。それに比べ団塊の世代は、ハーレーダビッドソンに乗りたい夢は今も忘れられず、消費購買行動は旺盛。その二極化。やがて日本も、物を必要としない世代中心の社会となり、物が今以上に売れない時代になる。そして本当に経済は失速し、ほんの一握りの富裕層以外はすべて貧民となる」?
★若者とのコミュニケーション・ギャップはそれだったのか?
★今の若者は、GNPが拡大しても自分たちの生活は豊かにならないことを体感し、知っている?
★アメリカ発のスクリューフレーションは、グローバル経済と金融、先進国と新興国、食料やエネルギー問題、等々複雑きわまりないコントロール不可能な問題。だが、抑制することは可能。いま手をこまねいていると、ほんとにそんな時代がくる?
★物の生産・消費以外の道。中間層の貧困化を緩和する方策はないのか。クールジャパンのビジネス化の道は。食料・エネルギーの自給率向上への道は。などなど?
★クールジャパンのなかに、物としての「日本の伝統工芸品」があったではないか?
★今回のイギリスにおけるオリンピックで、あれだけの「物の贅」にこだわったビクトリア王朝と人類の欲望。エジブト文明しかり。人類の「物の贅への憧憬」は、もうなんのパワーにもならなくなったのか?


★日本の起源は「弥生」か「縄文」か?
★「一万二千年の縄文時代」幾多のルートからやってきた幾つもの民族が不定住狩猟社会を形成していた。遠くはエジブトにいた13族のユダヤ人がばらばらに解体され、行方知れずとなった一族が、日本に流れついたと。ヘブライ語や今のユダヤの国旗のマークが現存している。ということもあって、日本人を単一民族、農耕民族と一概にはいえない?
★大和朝廷は、縄文人の末裔を「まつらわぬ民」して、熊襲クマソ(九州)、出雲族、蝦夷エミシ(東北)、蝦夷エゾ(北海道)、を南から征服していった。
★平安時代の初期まで蝦夷エミシの末裔が東北(今の岩手)にいた。大和朝廷軍は征服にてこずった。縄文の魂(原始共同体のコア)をもち続けていたアテルイという英雄がいて、一族を束ね長く戦ったが、矢折れ刀つきて一族の存続を願い大和朝廷の都、京都に願い出た。同行したのが大和朝廷の征夷大将軍だった坂の上田村麻呂であった。アテルイの懇願は聞き入れられず、騙し討ち同様、市中にさらされ処刑された。その後アテルイは、野蛮な悪者として「悪路王」の異名がつけられた。正確な史実は残っていない。しかし今の岩手の人のこころの深層に澱のようにひっそりと残っていると思う。この話、信じる、信じない?
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by kuritaro5431 | 2012-07-26 12:36
2012年 07月 24日

「ペンディング・タグ」を貼りまくる

「ペンディング・タグ」という言葉は、最近私が思いついて名付けたものである。

 ちょっと気になったこと。大いに気になったこと。いろとりどりの気がかりなこと───「哲学から演歌まで」の雑食系の食欲で、できるだけ幅広く、正反両方の見解にも気配りしながら深掘りもしたい。
 そんなことができるはずもないのだが、やれるところまでやってみたいと、今までやってきたことに、名付けただけのものである。

 関心事INDEX法とか、想像力拡大法とか、イメージ・ネットワーク法とか、反意語による連想拡大法とか、努力のいらないネットワーク式記憶法とか、勝手気ままに思いついたことをまとめた、後付けで考えた名前である。

「ペンディング・タグ」とは、私たちが毎日、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・知覚・感情・思考・意志を刺激されつづけている。刹那に消えるもののそのなかで、よくも悪くも残るもの、それを言葉にして「心にとめておこう」というのが元々の思いつきである。だれでもやっていることである。

 心に留めておくために、忙しい現役時代はカードに書きとめることもやったが、習慣化し、無意識にできる自動化までにはいたらなかった。その弱点をカバーするために私がやったのは、記録を取らず、言葉ではなく意味を記憶し、ネットワークにして憶えようとした。そうしておくとその周辺の意味関連を思い起こすと狙う言葉に難なくたどり着ける。そのやり方を習慣化しようとした。ある程度は、成功したが、多くのこぼれもでた。

 3.11を機にあふれんばかりの関心事がでて「NHKラジオ深夜便」から、「テレビのニュース」から、「テレビの特番」から、「国会中継」から、「識者の講演」から、「新聞記事や広告」から、「メディア・コマーシャル」から、書店に並ぶ本」から、「購入した本のなか」から、「過去から抱えていたペンディング項目」から、などなどの関心事を、市販の白紙小型メモ用紙にピックアップした。

 例えばである。年のせいで、深夜に目が覚めて「NHKラジオ深夜便」をよく聴く。枕元にメモを置いていて、突っ込みたい関心事が現れると即メモをする。不明なところはその場で起きてパソコンでざっと検索して一応メモっておく。
 いつのまにか習慣化して、一穴パンチであけたメモカードをリングに通し書斎に吊すようになった。今は相当量になっている。

 これから先のやり方も、似たようなことを、以前からやっていたことである。
「ペンディング・タグ」の内容を同時並行で追っかけることはできないので、やっていたことというのは、ダグをつるしたまま「ほっとらかし」にしておくことだった。また思い出すときがきたらちょっと突っ込み掘り下げ「囓る」。そしてまた「放っとらかし」にしておく。その繰り返しをしていれば10年、15年もすれば多少の深掘りもできる。

 随分昔の話になるが、パソコンもなかった時代、大型コンピューターで「タイムシェアリング」という技法があった。新幹線のきっぷ予約と発券のシステムに使われていた。全国のみどりの窓口のみでなく、そこかしこに点在する旅行社の発券窓口からのコンタクトを一件一件処理・完結するのでなく、1秒の何万分の一?という高速で囓りさしにしながらまた戻ってきてまた囓りさしにする。それを超高速で処理するから、あたかも待っている客は、並行処理しているように感じる。
 これはおもしろい概念で、ハンドリングの作業にも適用できると思ったものだった。

 この発想を取り入れたのが「ペンディング・タグ」であった。
 タイムシェアリングのような高速処理にはお呼びもしないが、5年、10年という長いスパンでやるタイムシェアリングも、時間の経過のなかで内容が発酵する長所もある。


 この「ペンディング・タグ」の考えは、前号で、姜先生が最後にいわれた「いつも目覚めていること、時代の「不寝番」としてしっかり目を開いて見つめる」ことのツールとしても役立つかも知れない。

 日頃時間のゆとりのある後期高齢者だからできることだろうが───

「シェア」という概念に出会ったのは、新幹線が開通した1964年ごろだったか。
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by kuritaro5431 | 2012-07-24 17:44
2012年 07月 22日

漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた (4)

 この号で、番組のテーマだった「日本人の幸福の基準」について考えてみたい。

 前号の軸として考えた戦後第二世代としての「団塊の世代」は、現代の若者にも大きな影響をもたらしている世代である。
 あのバブル崩壊で一番痛手を被り、辛酸をなめた世代にもかかわらず、自分の子供たちに、バブル崩壊前の「会社が社員の面倒を見、社員はそれに寄りかかった時代の社会システムのあり方」こそ、「我が子も安穏の幸せがある道」と考えている節がうかがえる。
 その証拠に、、学力の高い高校に入れるため、幼稚園・小学校・中学を選び、偏差値力一点集中の教育を迷いなく父母は進めようとしている。

 偏差値力は、各学科においてどれほど沢山の方程式を記憶しているかで勝負の決まる力といわれている。そこには必ず正解があり、正解率の高さによって難関高校・難関大学への入学の可否が決まる。難関大学の卒業生は、日本で有名な東証一部上場の企業に就職できるるという一連の流れが今も現存していると信じている。そこまで望まないとしても、できるだけ大きな企業が社員包容力がある、安全だと思っていることは確かのようだ。

 新聞・テレビ・ニューメディアにおいてもそんな時代はとっくに終わったと、どのメディアも発信しつづけている。これからは問題・課題に正解のない時代といわれだしてからもう久しい。これからの時代を生きる力として偏差値力だけでは生きていけない。「地頭力」゠常識値と経験値で困難な問題課題を凌いでいく力こそ大事といわれていることは団塊の世代の親たちも承知のことである。
 偏差値力+地頭力のあるのが一番いい。でもこれからどちらが大事かと問うと、どこの識者も地頭力という。ところが学校において地頭力向上のカリキュラムは組みにくいし、指導者としての教師をどう確保するかは現在未知数である。文科省としても政策の打ち出しまでにはいたっていない。となるとどうしても偏差値力に目を向けるしかない。
 
 そんな現状を若者も知りなから、パラサイトでつなぎながら生きている。親も精神障害など起こしてくれるよりはその方がいいと、その日その年を過ぎやらしている感じだ。将来、親がいなくなるときはかならずやってくる。年金がかけられていたとしてももらえる保証はない。年金もかけていない、かけられない若者も大勢いる。健康保険も同様だ。

 それにも増して、国家財政の健全化への道程と称して、野田内閣は、自民・公明の三党合意で、負の再分配としての「消費税」導入をもくろんでいる。格差社会はますます進みそうだ。3万人を越す自殺者がいて、100万人の鬱病患者がいる。まだ増えそうな日本。


 
 そんな状況認識をもって、姜先生と田島先生の話を聞いた。

 まず姜先生の話の主要を拾うと、
◯当たり前に思えていた「幸福の基準が崩れた」。
◯漱石は近代化の行き着く先を今日のように予言していた。
◯現代の人は、「現代人の心。生きる寄る辺探し」をしている。
◯最高学歴修了の若者の多くは、高等遊民。バラサイト・シングル。暮らしは下等遊民。
◯自分らしくしてシェアして生きたい。自分のオンリーワンを求める。
◯若者の典型を、自我とエゴ。セルフとI。ミーニズム。Self-consiousness=自我意識の強さ、と。
◯資本主義のルールはスポーツのような勝ち負け。1、銭 2、金 3、お金 4、マネーの順に言葉が並ぶ。
◯人間同士の三角関係に「金」が入ってくると、人間本来の関係が破壊する。漱石はそんな小説を書き、資本主義の行く末の人間関係を予言していた。
◯お金がすべてに還元される(貨幣経済)。お金がなければ生きていけない。大義と暴利のエゴイズム。

 最後に姜先生は「私の提言」板に、
「運命は受け入れよ。人為は乗り越えよ」と書いて「いつも目覚めていること、時代の不寝番として、しっかり見開いてみつめる」こと、といった。

 島田先生は、
◯自由を食べてしまった日本人。物があふれる自由→壁がなくなった→自由になった→苦しみがやってきた→自由さが理想であったが、ノマドに理想を求めなければ生きられなくなった。ノドマに乗れる人は高等遊民だけ。
◯日本には絶対神はない。カトリシズムのような信仰はなく、その代わりをする「心」。これは絶対的なものでなく、相対的なものだった。→無宗教・無党派。
◯自分も他者も傷つけたくない。自由を求め→己(自我の確立)→達成した→物もあふれ自由になった→果ては孤独。
◯資本主義の行き着く先、自分だけの世界。
◯神とか仏を信じるということは、自我を生け贄に差し出して得られるもの。
◯人は与えられた枠の中で生きる利点を忘れてしまった現代人。でも、その枠とは封建制度、家長制の維持に必要な掟でもあったのだ。
◯日本人は、信仰でなく、単なる無常ではなく、無常観「観」こそ日本人の心であり、信仰に匹敵するものであった。(この部分の私の解釈は怪しい)
◯「方丈記」の鴨長明は、「過去に囚われず、忘れる。→忘れることができる。そこに新しい可能性としてのポシ゜ティブなものとしての無常観を見いだしている。耐え難い悩みからの新生として」。
◯司会者が「無常を受け入れる?」とのことばを島田先生は遮り「そんなとらえかたは私はしたくない」ときっぱり言っていた。
◯新生とは、ツワイスボーン(2度生まれ)ということで、輪廻転生でなく現世においてである。幸せな人は一度生まれの人。
◯もてる国の方がうしなうものが多く苦しい。
◯ウェーバーも諦める価値をポジティブに干潟と思う。戦うさいごの抵抗を=諦める同意語として。
◯人間が死ぬとき、「死ぬ」のではなく、生と死が一体に生きた「死が終わる」と考えた。

 島田先生の提言板には、「ビンチがとチャンス」と書かれた。
 科学についても、一括りで万能だとか、限界だとか、判断しない。よいもの悪いものがあるのでもっと細部を見たい、といった。


 この番組を見て、私はいま仮の「日本人の幸福の基準」を次のように考えた。

!、自分の好きなことができて生きられること。堺屋太一氏の講演で聴いた話では、「自分の好きなこととは」2日も3日も続けてやっても疲れ知らずのことだそうだ。

2、好きなことをやって、中流の中または下の範囲ぐらいの年収(400万円~600万円)を稼げるくらいの能力を持つこと。パラサイトにしても年収250万円レベルでは、なにもできない。パラサイトもいつかは終わる。己や家族も、そこそこの命の営みをつないでゆくために。

3、好きなことがマルチに5つか6つあるのがいい。マルチの好奇心は、己のモチベーションを拡大してくれること間違いなし。そのなかで、稼ぎにつながるものは必ずいる。就職するにせよ、ノマドで生きるにせよ。自営でやるにせよ、それが社会・他者に貢献できるよう自己構造化すること。それこそ世界に一人しかいないパーソナルな自分の命のプラットホームなのだ。
 そして非効率性の領域に追いやられた人間性豊かな世界を復活させたい。結果は問わない、ブロセスに命のエキサイトがあればいい──
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by kuritaro5431 | 2012-07-22 12:15
2012年 07月 18日

漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた (3)

7月6日のBSプライムニュースの「日本人の幸福の基準」という番組の放映中に雷が鳴りなんども画面が乱れた。

 もう一つの山場である姜先生の夏目漱石の話、島田先生の話のところはとぎれとぎれの受信となり、DVD再生でも聞き取れなかった。従ってここでは、途切れ途切れに感じたことを書くことにする。


 「日本人の幸福の基準」が大きく変わった節目は、戦後3回あったと私は思っている。
 一回目は「日本が第二次大戦に負けたとき」
 二回目は「バブル景気が崩壊したとき」
 三回目は「3.11の人災と震災」

 一の目の節目はこれまで多く語られてきたので割愛する。
 二つ目の節目が、私は一番大きかったと思う。
 三つ目の節目は、現在進行中。


 ということで「バブル景気が崩壊したとき」を軸に、その前の繁栄と、崩壊後の20余年について価値観が変化した要因を探ってみることにした。今の若者にその体験はない。生まれ、ものごころがついたときは、今の社会・経済環境だったからデフレ経済も、勤労者の賃金が低いのも当たり前と、なにも不思議に思わない世代である。
 そして今、当時を知らない若者の心のなかに、バブル崩壊後の負の残照が無意識の底で他動的に発酵し、「物と金と安穏」に取り憑かれていた旧世代を否定しながらパラサイトで生きている。でも高等遊民といわれる族は、SNSやクラウド・サービスを使いこなし、シェア概念を行動化しようとして旗を掲げ、新しいコミニティ社会を目指そうしている人もいる。でも年収・暮らしは下等遊民。それで「命も、モチベーションも保てるの」というのが、新自由主義系の言い分。私にも1/3ぐらいはその気がないとはいえない。

 とはいえ、自民党の綱領と政局対処のスタンスには賛成できず、民主党の政治的能力のなさと、官僚(ことに財務省)と古い財界族に引っ張られ、踊らされ、国民に平気で嘘をつき、隠蔽する仁のない政治にも怒り、大阪維新の会のゆくへもまだ見定まらず、現在は無党派でいる。


 そこで、話を戻して、二つ目の節目が「日本人の幸福の基準」を一番変えた時期と思っているいくつかのことをピックアップしてみることにする。

◯暗黙の日本的雇用契約(年功序列・終身雇用・労使協調)が反故になった。
◯社員が最後のよりどころとしていた会社が、共同体機能を失った。
◯聖域(人財育成の投資)といわれてきた人件費が、製造原価と同じ変動費扱いになった。
◯ホワイトカラーの生産性尺度がテーラー主義的能力主義に変わった。
◯能力主義・成果主義人事制度へのシフトの本当の目的は、中高年社員の人件費を若手社員が背負いきれなくなり総人件費を減らすためだった。
◯賃金に見合う働きをしないという理由付け(本当にそうだったが)で、中高年社員を非効率の域に追いやり、追放を企んだ。
◯戦後第一世代は、ぎりぎり旧人事制度で退職したが、戦後第二世代(団塊の世代)はもろに雇用調整の狙い撃ちをくらった。今の若者の父親たちだった。
◯当時いわれたことは、団塊の世代は、ハングリーな戦後で歯を食いしばり頑張った第一世代の基盤の上で、好景気をカジュアルなライフスタイルを満喫した。そして会社、組織を頼りにしていた甘えの世代だと。
◯ところが高度消費社会をつくるオビニオン消費者として新しいラフスタイルを築き好景気をもたらした。
◯社員の個性を嫌い、画一的人格をよしとして「組織力と団結」をガバナンスの柱としてアメリカ式合理主義にキャッチアップしてきた。それは皮肉にも今自民党のスローガンにもなっている「絆」と裏腹の関係にある。そして会社は、この労働観を180度転換し「個力で働き自力で稼ぐ」になった。すべて自己責任という流れが進んだ。


 ここで話題がそれるが、3.11でしきりに叫ばれた「絆」と「連帯」と、バブル景気崩壊以前にあった「団結と絆」は全然意味の違うもの。「なでしこジヤパン」の団結力にせよ「AKB48」の結束にせよ、金太郎飴のような画一的な匂いはどこにもない。個としての存在を感覚的・肉体的に練習を通して筒一杯認識しての団結なのだ。オーケストラのパートが個々人の領域で個性的なプロであるように、彼女らは個として存在論的・現象学的に存在しているのだ。
 それは、アメリカ戦での栄光の勝利の前のドイツ戦の前夜、国内組のメンバーと海外チーム所属のメンバーとの間で、個人プレー型でいこうという海外組と、チームプレーでいこうという国内組とで意見が分かれたという。彼女たちは、深夜まで意見交換した。真剣に屈託なく。そこには佐々木則夫監督はいなかった。彼女たち自身で闘いに最も重要な戦略方針を決めていたのだ。そこには、昔どこの組織でもあったヒエラルキーの影すらなかった。


◯ここで話を戻して、そんななか、団塊の世代の管理者の多くは「出向」「転籍」「転職」を余儀なくされた。行く先は中堅企業を目指すも年収の大幅ダウン。汎用性のない元会社でのスキルは役立たず、何かにつけて会社組織としての規範がないとこぼし、転職先で嫌われ、元会社でのカバーエリアと桁外れに広い領域担当を要求されギブアップしていった人たちも多かった。


そんなに状況は変わったにもかかわらず、各社ともに人件費の圧縮ははかどらず経営者のいらだちは日々高まるばかりだった。当時J・コンサルファームにいた私は、2009年05月02日に書いた「自主自立してゆくしかない時代」のように、会社や当時の制度に頼り切っている自分を根本から見直さなければ、本当の自立は得られない。ここまでくればその道しかないとおもっていたからだ。



◯また話を戻して、そんななか、居残り組は、大きく変わりつつあった経営の流れのなかで、経営計画、経営目標、遂行のための新しいガバナンスのあり方、またマネジメントのあり方が問われ、職制組織での仕事より、重要課題についてはタスクホース型プロジエクトが主流になりプロジエクト・マネジメント力は必須となった。

◯事務系にせよ、工場労働系にしても、定型業務・作業は標準化されコンピューターによるシステム化、省人化わ目指す工場作業の自動化、特別のスキルを要さない職種としては職務給(性別・年齢関係なし一律賃金)が適用されるようになる。

◯その定着により、定型業務労働者をフリー契約できる規制緩和が施行され、非正社員が巷にあふれた。これにより継続したスキル向上の機会を多くの国民は失い、それがやがて負のサイクルとなって失業者を増やし、また働き盛りの30代40代の多くのワーキングプアを生んだ。

◯厚生労働省は、バブル崩壊以前より雇用促進事業として、失業保険加入者を対象に職業訓練を実施していたが、ほとんどが技能訓練からなる資格取得中心のもので、ホワイトカラーの管理職系・専門職系の能力開発プログムおよび講座は用意されていなかった。この分野は民間のコンサルタント会社などからの公募制で、これの審査するのは官僚天下りの雇用促進事業団であった。採用されたカリキュラムは、いかにも官僚が採用したものらしく魅力に乏しいものだつた。このカリキュラムを修了したからとて、到底再就職に有利になれる代物ではなかった。

◯転職失敗者の事務系管理者歴の人のなかには「経営コンサルタントでもやるか」と言う人たちもいて、通産大臣認定の「中小企業診断士」資格が話題になり、人材紹介業や、各種資格取得専門学校などが名乗りをあげ一時は賑やかな広告合戦が展開された時期もあった。
 しかし、その名の通り経営診断業務が目的で、診断結果に基付く改善指導は領域ではなかった。資格取得者のほとんどは企業内での経営改善活動に生かしたい人たちだった。その後診断士の取得者も増え、活動足跡に対して不満がではじめ、通産省は法令を改正し、「改善指導もできること」が付け加えられた。それに伴い試験も難しくなり、診断士に纏わる広告も、新聞記事もいつしか消えた。

◯その後「社会保険労務士」の活躍がめだった時期もあったが、企業の人件費削減の助っ人として完全に企業側の利益擁護に立つ人が多くなった。他に「税理士」を目指す人もいたが、競争条件が緩和され、どちらも契約企業からの事務代行=アウトソーシングの受け皿となっていった。

◯新卒を一括採用して自前で企業が教育するシステムは、画一的人間教育が有効であった時代の遺物である。バブル崩壊を境に、企業の教育費負担が重荷になったこと、学生・生徒の個々人の個性や長所を生かす教育からも、また採用即、即戦力としたい企業ニーズからも、大学・高校ともに産業界からの実学教育の強化要請が強くなっていった。文科省教育行政も同調した。
 産学協力に積極的な理系に対し、文系の学生は総じて、実学の強要ともとれる文科省方針に嫌悪の感情さえみせるようになった。その反面、実学にもいろいろあり、売上や目標達成のためのハウツウばかりではなく、これからの生き方とも大いに関連するものもあったが、彼らはまとめて儲けるためのハウツウと見て拒絶し、今日にもつながっているようだ。


 2009.5.2の「自立してゆくしかない時代」と2009.5.6の「阿羅耶識・あらやしき」の項に掲載したチャート類は、その頃考えたものだった。

 そこに挙げた4枚のチャートは、当時私なりに苦悶しなから「個」と「集団」のこれからを模索した。概念イメージである。コンサルティング企画のこの領域における基本概念にできないかかとかんがえたものである。あくまで私のイメージをビジュアル化した試案であった。心ある大手企業の人事部長なとど話し込むときこのチャートをみせ話題にした。

 もう1つは、自主自立という考えを自己の内部にも植え付け、内発的にも自立を担保する意図から唯識佛教の「阿頼耶識」(あらやしき)という概念が有効と思え、取り込もうと模索した時期があった。2枚目3枚目のチャートは、ごじゃごじゃしていた想念をなにかのワールドにならないものかと考えたものでした。(これを機に参照いただければ……)
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by kuritaro5431 | 2012-07-18 20:45
2012年 07月 16日

漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた (2)

 前号の続きとしてもうしばらくウェーバーについて触れることにします。

 姜尚中著『マックス・ウェーバーと近代』(岩波現代文庫学術96)からウェーバーの真の姿を現した言葉を拾ってみますと──

◯ウェーバーは、市民道徳と文化の擁護者でもなければ、近代合理化を屈託なく賛美した近代主義者でもなく、逆にそれらの病理を容赦なく刎抉(ほじくりだす)する「ニーチェマン」であったといえる。

◯日本におけるウェーバー研究の巨峰大塚久雄と並ぶ丸山真男の文章を文中に引用して──
~1990年を通じて「社会の安全と安定という根幹がポロポロと崩れ始める崩壊感」が蔓延するにつれてポストモダンどころではなくなったからだ。この(近代)の底割れのような崩落は日本だけにとどまらない。それはグローバルな規模の「危機偏在」となってすべての社会を揺るがしつつある。それに対していまや、麻薬と内戦と飢餓が常態となりつつある世界システムの周辺部では大衆の福祉の増進を進め、大衆を積極的に生かす統合=同化ではなく、死のなかへ廃棄する絶滅の暴力が勢いをましつつあるし、世界システムの中心的「先進国」でも生きるにまかせて見棄てる権力のモードが支配しょうとしているのである。
 それは、個人や階層、国民を問わず、キャッチ・アップ型の近代が失効し、国境の内外に膨大なアンダークラスが放出される荒涼とした事態を指している。

◯ウェーバーは「理性の夢」に対する幻滅を戒めるだけでなく、理性的ユートピアの世俗的凱旋にも強い違和感を抱き続けたのである。
 アメリカが空前の豊かさを求め坂を登りつつあった社会システムとは、大量生産と大量消費の全般的合理化とライフスタイルのなかに実現されようとしていた。(注)この文の前半、ピックアップした文脈をつなぐためリライトした)

◯アメリカニズムには、禁欲的プロテスタンティズムの陰鬱な「現世支配」の倫理が世俗化し、それに変わって宗教的な聖性の外衣を脱ぎ捨てた薔薇色の啓蒙的なオプティミズムが支配する世界の指導原理となったのである。
 それは一種異様な尊大さで粉飾された機械化された秩序を意味していた。「支配の社会学」で規律による合理化の完成形態としてテーラー主義の「科学的管理法」が、取り上げられていることからもわかるように、ウェーバーは、生産過程の科学的・技術的に効率的な組織化を通じて社会的諸関係が徹底的に「即物化」され、それによって社会全体の富が極大化することを夢見た技術者のユートピアがアメリカで現実のものとなりつつあるとウェーバーはみていたのである。

◯「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」の末尾を飾る幸福を見いだした「最後の人々」というニーチェの言葉は、まさしくアメリカにふさわしかった。

◯1920年代は、まさしくアメリカニズムが世界を席巻する「黄金の20年代」であった。

◯ウェーバー没後の時代、合理化は、「新即物主義や社会工学、フォーディズムやアメリカニズム、さらには機能主義といった一連の意味関連を有する言語空間の中心に位置する言葉となった」のである。

◯この「モダン幻想」に酔いしれる合理化運動によってライフスタイルの基本は一変しようとしていた。
 経済の社会化と都市化、大衆の氾濫と日常生活の技術化、死亡率の低下と平均寿命の伸長、それにともなう日常意識からの「死の追放」と肉体賛美や青年礼賛美、日常生活の伝統的意味づけや儀礼様式の無意味化、宗教的な意味解釈の拘束力や教会儀式の規則力の弱化、さらに大衆消費の殿堂としての百貨店の出現や映画・ラジオなどニューメディアや「新しい物神」としての自動車の登場など、現在のグローバル化を彷彿とさせるような「液状化する近代」が沸き立っていたのである。
 このようなモダニズムの凱旋進行をリードしているのは、科学と技術のめざましい進歩であった。死や病い、老いを非効率性の領域に追放する「技術的進歩教」のユートピアへの扉が開かれようとしていた。

◯ウェーバーが試みた「真の実在」「真の自然」「真の神」さらには「真の幸福」への道としての科学(学問)は幻影と化し、ウェーバー死後ウェーバーが憂慮した方向へ押し流されていった。

◯手段と目的という道具的二元論理によって機能する。より効率性の高いシステムへの再編成を達成すべく、伝統的あるいは「自然に生い立った」集団や制度、文化や権威の様式、共同体をその構成要素に分析解体する「非情」なブロセスと化した。

◯なるほど確かに、この手段と目的という対立は、一見すると「価値という定項を存続させ、その場を確保しているかにみえる」。しかし、客観的にみればそれは「〈目的〉の項を括弧にくくり、純粋な手段のシステムの内部に取り込んでゆくことによって「目的」そのものを「特定手段の現実という空疎な目標」に「堕落」させてしまうのだ。

◯ここに「実質上の価値廃棄という結果」が待ち受けているのである。価値の廃棄によって手段的な効率性を高めていく合理化の行き着く果ては「陳腐さ」の悪が出現したのである。


 まだまだ拾いたい言葉は数々あったが、ここでは割愛する。

 著者の姜尚中先生は、あとがきのなかで───そもそもわたしの「ウェーバー体験」は圧倒的に大塚私学(大塚久雄)のフィルターを通して形成されたといって過言ではない───といっている。
 他方日本におけるVEの推進者たちも大塚久雄を理論的支えとしたらしい節がうかがわれ妙な不思議さを感じてならない。当時発展途上の日本においてはウェーバーがこれほど厳しい断罪を下した「毒」としての「近代化=合理化」も、疑いもせずキャッチアップして築いた日本人の豊かさであった。それはバブル経済崩壊まで登り詰めた「物神話に浮かれた幻の幸福だったのか」「それともアメリカの政治的レトリックの絡んだ近代化推進に、時の日本のリーダーは承知で乗ったのか。何か大きな生け贄を差しだしそれと交換に」。


 私は『マックス・ウェーバーと近代』という本を読んで実に大きな衝撃をうけ、3っ日間考え込んだ。
 1984年から9年間在籍したJ・コンサルファームにおいてソフトVEを学び修行し、それなりにクライアントに役立ってきたと思っていたからである。確かにこの本でも指摘されているVE特有の「手段と目的」「機能主義による分析」は行ったものの、ハードVEのようになにがなんでもという合理化はやらなかった。
 先に述べたように、クライアント・ニーズをクライアントの気づかった視点で切り込んで、例えば、問題になっている組織機能を強化させたり、企業目的を売上とか利益獲得のためとせず、社会や顧客に役立ったリターンとしてついてくるもの。健全な目的設定こそ、企業発展の第一ボタンと唱えた。バブル景気崩壊前のその時期、中期経営計画策定が流行っていた。努力目標ならいざ知らず、目的に「3年後売上高100億円達成して二部上場する」とした中小企業が結構多かったからだ。そのように持ちかけ健全な目的設定をしてもらった。目的実現のための最適手段の設定・選択は私流にアレンジメントしたVE手法を使ったことは事実である。

 そこには一般企業では見られなかった、クライアントが望む成果(契約成果)を出して「なんぼ」というプロの仕事場があり、それを学んだ。私のパ-ソナリティからしても自ら望んだ厳しさと引き替えに得た自由であった。

 私は、目的達成のために必ずしもVEの機能分析を使ったわけでもなかったし、VEをコンサルティングを行う上の1つのメッソードと考えていた。だからもしろプロの仕事人としての修行のメッソードととらえていた。

 振り返れば1970年頃は、日本の経済成長も加速し始めたころであり、確かに金太郎飴的画一団結型社員育成に各企業はやっきになって集合教育やOJTをやっていた。マックス・ウェーバーのいった大量生産、大量消費に向けての流れであった。

 そんななかで、巷の書店では「創造性開発」「能力開発」「人間形成」「システム開発」などの本が並んでいた。その頃はまだマーケティング関連の本とかドラッカーなどのマネジメント関連の本はでていなかった。今思えば確かに日本においても大量生産・大量消費社会適応の大手製造業中心の「物社会」への移行期であったことになる。そんな本のかなには若者の健全なモチベーションを触発してくれるものも多くあった。本は自分で買った。社外の講演会、講習会なども多々あり、上司に申し出れば大抵出席させてくれた。

 このブログ全体のながれを読まれた方は、私のパーソナリティをそれなりに推察していたたいていると思っていますが、私は元々、合理的なものを嫌うタイプの人間だった。それでは当時の流れのなかで生きていけそうにないので、意識的に合理的思考を取り込もうとした。そして時代に合う人間形成に努めた。それは、情緒的な私のオクターブを抑えるのではなく、一方の理性的、科学的、論理的、合理的思考領域を広げ、高める方法でバランスを取った。その時代を生き抜く方便として。

 しかし、元来人間主義的なパ-ソナリティの強い私は、社会的環境(特に身近な職場環境)が、私の許容範囲を超えて合理的(非人間的)になりすぎたり、それが権力の化身となっているような経営者に対しては理性では抑えられない嫌悪と拒絶感をもつようになり、2つの会社を辞めた。準備なしに辞めるわけに行かないから、転職できる何かの力量を磨こうと自己啓発した。
 そんな傾向はいつしか、自分はゼネラリストでは生きられる人間ではないと悟り、専門職としての汎用性のある思考とスキルをもって生きるしかないと思うようになっていった。

 そこで、私がソフトVEを学び、プロの経営コンサルタントとして生きるコツを学習したやり方は、3.11以降の日本でも、人によっては通用する生き方、働き方、稼ぎ方ではないかと思うのですが。それを私の今の一応の結論としておきます。こうあらねばならないなどという正解はないのが現代でしょうから。
 でも1ついえることは、生きることに積極的であることと思うのですが。


 この号の最後に、
 しかし、『マックスウエーバーの近代化』の本のなかに気になる「エートス」という言葉があった。私ももしかしたら……ということ。

 大辞泉で調べてみると、
!、アリストテレス倫理学で、人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格、習性。
2、一般的には、ある社会集団・民族を支配する倫理的心的態度。


 他の説として

 冷静と情熱、理性と情念、合理と非合理、といった異質な要素の何らかの統合によって生み出された行為への一定の傾向性。
 エートスを、人間と社会の相互規程性をとらえる戦略概念として最初に用いたのはアリストテレスであり、社会認識の基軸として再びとらえたのはマックス・ウェーバーである。
 ウェーバーによれば、この行為性向は、次の性質を併せ持つ。
 ギリシャ語の習慣(エトス)に名称が由来していることからもうかがえるように、エートスは、それにふさわしい行為を実践するなかで体得される(習慣によって形作られた)行為性向がある、と。

 ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」「道徳」「社会心理学」「倫理学」と関連している。
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by kuritaro5431 | 2012-07-16 16:54
2012年 07月 14日

漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた (1)

 2012年7月6日のBSプライム・ニュースで、姜尚中さん(東大大学院・情報学環教授)と島田裕巳(宗教学者)による「日本人の幸福の基準」と題する番組があった。

 姜先生は、ときどきテレビでお目にかかっていて好感をもって見聞きしていたが、話題の著書『母──オムニー』は読んでいなかったが『悩む力』は読んでいた。そのなかに2つ気になる点があったので、そこに注力して番組をみるハメになった。が、それはそれとして、この番組のなかで夏目漱石(1869年~1916年)とマックス・ウェーバー(1864年~1920年)の二人が百年前の同時代を生き、両者とも現代という近代化の果ての社会を予言していたことが語られると聞き、大変興味をそそられた。

 そんなことで、このブログではテレビ番組のタイトル「日本人の幸福の基準」の話題から少し回り道しての展開になりそうですし、また今までのブログ原稿のなかで一番長いものになるかも知れません。というのは、3.11以降一番気になっている「これからの世代の働き方」と大いに関係があるからです。
 

 さて、『悩む力』を読んで気になったこと2つ

1. M・ウェーバーは、アメリカ合理主義(近代化)の大いなる推進者ではなかったのか、が?
2.「自我」が起点となって人間は左右されると読み取れるが、日本の仏教は自我を越えるところに特徴があったのでは?

 そんな思いをもってその番組を録画しながら見た。
 『悩む力』を読んで気づかなかったところも聞け、新鮮な驚きもあった。しかし前述の気になる点は晴れなかった。
 そこで、録画のDVDを2度見てから、姜先生の著書をアマゾンからプリントアウトし、『悩む力・続』と『マックス・ウェーバーと近代』のどちらにしようかと書店に出向いた。2冊を見比べると、私のクエスチョンには、難しそうだが後者の本の方が答えてくれそうでそちらの本を買った。


 1のクエスチョンの出所は、私が53歳のとき、自由な働き方を求めて3つ目の会社、J・コンサルティングフアームに経営コンサルタントとして入社して間もなくのことだった。
 特別の研修などなく先輩のコンサルタントが各自で開発したコンサルティング技術資料を閲覧したり、J社の基幹技術としてのVE(Value Engimeering)の資料を読み自習することが義務づけられていた。VEには、製造業や土木業(主には大手製造業)などの生産性向上を目指したハードVEと、商品、サービス、価格など価値創造や組織機能向上などを目指すソフトVEがあった。前者を物理的特性をもつハード分野適応とし、後者を社会的特性をもつ分野にも適応可能とした。
 ハードVEをやるコンサルタントは全員理系出身で、扱う案件もプロジェクト方式によるVE技術の活用がメーンであった。それに対しソフトVEをやるコンサルタントは、ほぼ全員文系出身で、扱う全体案件のうち2割程度であった。私は文系出身で、所属するコンサルティング本部も、マネジメント本部と称し、小売業を除く全中堅企業を対象としていた。

 ある日先輩のコンサルタントから読んでおくようにと渡されたのが『ソフトVEマニュアル』であった。その本の「はじめに」のなかに、ここで問題とする「マックス・ウエーバーの3つの合理性」という短文があった。このブログの2009年6月04日の「方法論の進化」のところに取り上げたが再掲すると、
 
1.価値合理性
目指している価値と、自分の思考過程なり行動なりとの間に、論理的一義的かつ明晰な意味関連の存在。

2.目的合理性
特定の目的達成のために、いかなる手段を選択すべきかが目標となるから問題となるのは、特定手段選択と目的達成との間にみられる因果関係が論理的に明晰にかつ一義的にとらえられていること。

3.形式合理性(因果合理性)
単なる目的合理性にとどまらず、さまざまな事象を数理的に、できれば数学的にとらえることによって、的確な予測を可能にし、さらにはまた目的合理的に対象に働きかけて、目的を実現させるための能力を著しく高めるという結果を生み出すもの。

 この「マックス・ウェーバーの3つの合理性」について当時先輩は次のように教えてくれたものだった。
 
 われわれが採用している方法・手段は、ある目的を達成するために最良と考えられるもののはずである。因果合理性からみても、最良と考えた方法・手段である。これらの方法・手段、つまり因果合理性を、目的合理的の世界に投影し。目的→手段の合理性へと遡って検討し、場合によっては価値合理性にまで遡り、再度因果合理性に投影し直すことによって、最良の方法を得ようとしたものである。
 VEの原理は、単なる方法・手段の合理性にとどまらず、目的合理性、価値合理性という複眼的合理性の検討によって、最良の方法・手段を得ようとしたものである。したがって、VEは、物理的な特性をもつハードの分野に対しても、社会的な特性ををもつ、ソフト分野においても、適用可能であると思う。
 しかし、ソフト分野は、対象が物理的なものでなく、社会的なものであるから、そういう意味での難しさは、当然存在する。ソフト分野のVEは、対象を機能分析するむつかしさもあるが、複雑な因果関係のなかで機能しているいるものであるから、それらをビジュアル化し、解くための技法も重要となる。
 
 というようなことを語ってくれた記憶がある。

 当時の私にとっては、考えてもいなかった合理性への新しい視点に目から鱗の感でしゃぶり付くように体験していった。
 それはクライアントに提案する企画書のテーマ設定と目的の設定から手段設計、各手段ごとの定性的・定量的OUTPUT、それらを統合する総合的成果への期待を文章とチャート・図表でロジカルに企画書にまとめることから始まった。その企画書の草案は、クライアント面談に同席した先輩コンサルタントを含め定例の本部会議でコンサルタント全員による評価が行われることになっていた。その場では上下関係のない評価が遠慮のない厳しい言葉で交わされた。その過程でなんども書き換えさせられた。その多くは、設定したテーマおよび目的に対して、選ばれている手段が最適ではない、という指摘。分化された手段が最後に統合されていない。この案件の目的はこれでは達成されない、という指摘。

 ここでの修行は、コンサルテング・ハウツウなどではなく、J・ファームのメソードであったとおもう。そのことをJ・ファームは一番大切にしていたと今でも思える。クライアント・ニーズを担当コンサルタントの視点でどう「目的化」するか、その目的にクライアントは感動したか。目的達成のストーリーにもクライアントにわくわくするような期待を持たせたか、であった。
 もう一つ重要なことへの気づきは、「目的設定はコンサルタントの力量の内としてかなり自由であった」ことである。私が扱ったVEはハードVEでなく、ソフトVEであったこともあったと思うが。そのことは、後段の論点となるマックス・ウェーバーの予言と関係してくる。

 私はこのように「マックス・ウェーバーの3つの合理性」に感動しながらも、もともとアメリカ的合理性には理系の連中のように心底同調できない天の邪鬼であった。だからソフトVEを思想傾向をもたない道具としてのメソードとして使えると思っていた。また使いようによって充分成果が出せた。
 私は、ソフトVEの日本に馴染まないところは勝手に日本ナイズした。特にテーラー主義的労働観は、日本では労使共に違うと思っていたし、組織統治において欠かせないアメリカのブロテスタンティズム(一神教)においても、日本では絶対神は存在せず、あったとしても八百万の神々に対する敬意と脅威に近い相対的なもので、姜先生もテレビが語られたような「自我を生け贄に神に差し出し得られる信仰」のような厳しい自己規制の働きは幸いか不幸か存在していない。

 ソフトVEについては、コンサルティングモデルはJコンサルファーム内においても、概念的スケルトンが多く、細部まで落とし込んだモデルはなかったと記憶している。そういう意味でソフトVEは、かなり日本的にトランスファされつかわれていたと思う。


 いつの時期だったか忘れたが、アメリカの要人が日本人のことを「ものまね上手な好戦的類人猿」といったことかあるが。確かに戦後日本の高度経済成長はアメリカへのキッチ・アップのなかで多くを学び、取り込み日本的にアレンジメントし発展した。その結果(2)で姜先生が『マックス・ウェーバーと近代』のなかで強烈なまでに指摘されている事柄を考えると胸が痛む。
 マックス・ウェーバーと縁の深い、ソフトVEについては、思想的傾向をもたないメソードとして、3.11以降の産業のあり方、働き方、雇用の創出にも役立つものを内包しているように思えてならないのだが、間違いであろうか。

 
 
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by kuritaro5431 | 2012-07-14 17:45
2012年 07月 05日

権力への欲望がオーバーシュートするとき

 この一週間の政局と電力村の騒動に呼応したマスコミの動向を眺めていると「20世紀の残骸を引きづった過去の覇者たちがもがき失速してゆく姿」をドキュウメンタリー映像でみているよであった。
 
「怒ることは愚か」「社会・組織の連帯こそ正義」「絆こそ日本人の心」「心・心・心」と、民衆感情が、3.11以降、情緒的共感に傾いたと勘ぐり、その国民感情に虫眼鏡をあて「情」筒一杯拡大のプロパガンダ。「安全神話」から「安全を第一優先」「信頼される政府の復活」と、マスコミと御用学者で……
 今までの実績で信じる国民はいない。
 今回の東電・関西電力の株主総会の応答態度。今回の福島第一原発の事故報告をしたといい張る東電と、波江町とのやりとり、その横柄さと傲慢さ。大飯原発の真下に存在していた断層の指摘に対しても、不誠実きわまりない返答。資料を失ったと。
 検察の体制批判勢力潰しのリークにしても、捏造から、持ちネタリークのタイミング操作まで巧妙な連携プレーであったことはみな知った。その日その日、体制リスクの強い情報は、陰の大物の指図によって握り潰され、テレビニュースの話題は、低俗でインパクトのある話題にする変えられる。

 東大キャリア官僚も入省のころは高い志をもってはいるが「人間はもともと支配する側と支配される側に運命的に仕分けられていて、愚民は優秀な日本人の5%にあたる官僚に支配されることで幸せを守ってもらうもの」と感化され省益最優先の縦割り社会に組み込まれる。それに反発する官僚は村八分となる。

 明治政府設立のときからあった民権運動は歴史から抹殺され、前述の官僚による統治精神が脈々と存在している。官僚の中の官僚としての大蔵省→財務省が中核となって、時の総理・経産省までも支配してきた。今回の原発再稼働問題と、民自公3党合意の「一体改革関連法案」における政治家たちはすべて、熟練を積んだ官僚の脚本と演出に操られる役者であるといった人もいる。

 このように長年築かれた愚民統治のノウハウは高度化し、戦後のアメリカ占領下以降においても、地下水脈で磨きつづけられていた。そのレトリックは、軍閥、財閥の力をそがれた日本においても、安全保障条約の傘の下で熟度を増し、官僚主導の国家を作り上げた。その力とは、官僚主導に邪魔立てするさまざまな勢力に対しての目くらましのレトリックであり、日本的シンクタンクの「知」であったのだろう。ある人は「霞ヶ関文学」なる文章(法律・法令・省令などの公文)技法を確立させたことにあったともいえる、といっている。。東大卒業し当時の大蔵省に入省した三島由紀夫が、大蔵省の文章はすごいと、自著『文章読本』に書いていたのを読んだ記憶がある。

 やがて官僚制度を脅かす存在として話題になったのが、クロスオーナーシップ(新聞社が放送業に資本参加し、多数のメディアに影響を及ぼす)機運の台頭であった。震源地はアメリカであったが、日本の官僚と手を組んだ自民党の大物と、メディアの陰の支配者により日本では完全阻止されてきた。
 そのあたりから民主的政治に欠かせない情報公開、国民の知る権利、政治経済においても消費者、生活者、投資家に正しい情報の公開の必要性が叫ばれるようになり、偽りの情報開示や故意の情報操作は、刑罰の対象とさえなるようになった。

 そのころから体制(官僚・自民党政権、自民党の支持母体)に不利な情報は隠す。隠されて損をする族からのインターネット情報による暴露。隠す方も、暴露する方も虚実ない交ぜのデイベート合戦が激しさを増し、果ては相手を陥しいれる捏造までやられるようになる。個人情報保護法も、政界の大物の個人情報保護が目的とささやく者まで出てきた。


 ここまで書いたときだった。
 国会事故調の最終報告書が衆参両議長に提出されているニュースが流れているよ、との妻の声に私はテレビのあるリビングに降りた。
 私はきっと先の3つの事故調と似たり寄ったりの報告書にならざるを得まいと半ば諦めていた。が「今回の事故は『〈自然災害〉ではなく、明らかに〈人災〉である」といい切ってくれた委員会の言葉に驚きに似た感動を覚えた。先の波江町の人たち、福島県民をはじめ東北の復興を祈り・願う民衆はその瞬間どんな思いでいたか私は連想した。原発廃止も地獄、再稼働も地獄、のなかで……
 そして手当たり次第「国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」の最終報告内容と、委員会活動のプロセスを追った。

●東電と、経産省原子力安全・保安院など規制当局の「不作為」による安全対策の先送りが深刻な事態を招いた。
●津波が原因と主張する東電の見解に対して、津波だけでなく地震の揺れで原発が損傷した可能性あり。
●原発に関する情報や専門性で優位な東電が規制当局を取り込み、監視・監督機能を崩壊させた。「規制の虜」になった。規制当局と東電のなれあい。
●事前対策を立てず被害の拡大を許したのが「根源的原因」。
●組織防衛を優先する官と、東電のエリートの論理が、福島の惨事の根底にある。
●菅元総理の指揮命令系統が震災直後の混乱を拡大した。

 これらのプロセスのなかには、あまりにも電力村の権益擁護と、リスクの転嫁の過剰なまでの我欲があからさまに見えたことは確かであった。
 総じて、対象としては東電への批判と、菅元総理への批判の2者に絞られ「規制の虜」を企てた張本人までには及ばなかった。なぜその人を公表しないのかと追求した記者もいたが、当委員会の主旨ではないと委員長は答えていた。また原発の再稼働に賛成か反対かの問にも同様な応答をしていた。

◯ 報告書では、委員会からの提案として「7提言」がされている。
  長いのでここでは割愛する。あちこちで公表されている。
◯ 黒川委員長は、3分冊の報告書を英文に訳し、世界各国に配布すると宣言している。
◯ 東電は、しっかり読んだ上でといいながら、徹底抗戦の構えを見せている。
◯ (私のパソコンだけかも知れないが)すでに「事故調の公式ホームページ」は表示されなくなっている。他の関連のものも……
◯ 大飯原発再稼働の後、この報告書が提示されたのも意味があってのことと思われた。
 

 われわれ民衆にとっての政治とは、もう政党選択ではなく、政治家選択しかない。次の選挙までにだれに投票するかしっかり見定めたい。そのためにこれと思う政治家にタグをつけ、観察しつづける。3.11以降今日までに、今までと違う政治家選択をしてきたが、次の選挙は重要だ。冷静な判断で一票を投じよう。 
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by kuritaro5431 | 2012-07-05 13:02