哲学から演歌まで  

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2012年 06月 26日

今日も気になることが駆け巡る

 NHKの国会中継を見る。3党合意で、日頃は野党席にいる自民党・公明党が民主党と同じひな壇にいる。社民党や共産党の質問が今日はいやにまともな論理として聞こえてくる。質問の主旨とはピントがずれた、意図的に外した枝葉の話ばかりで応答する3党。枝葉の話までするのが政権政党側のリアリティ「政治は結果です」との筋らしい。政局についてのディベートは、態度物腰も含め、レトリックの見世物と民衆は知った。切れのいいレトリックのないことにも失望している民衆。特に3.11から今日までつぎつぎ暴かれた情報からのダメージは大きい。「民意・民意」とか「心から・心から、心から」「政治生命を賭けて」など政治理念、政策、とは別次元のレトリックにもならない「情緒」に訴える言葉が何よりの説得と思っているらしい時代錯誤。「絆」の大切さの刷り込みが民衆に十分効いていると思っているらしい。時勢の都合で、ある時期白としていたものが、グレーになろうが、黒になろうがそんなことはどうでもいい。欲得・利権だけで転ぶあの黒幕弁護士ロジックといった人もいる。

 国会の外では消費税反対のデモが、一人の青年の投げたネットの言葉が今や4万人もの集まりになっている。首謀者のいない集まり。これが今回の特徴。ほとんどのメデイアで取り上げないのも今回の特徴。

 京都の大学で行われた元新聞記者の講演会に集まった人たちが、大教室に入れきれず多くの立ち見が出た。震災前に東北に農地を買い農業をやっていて今回の震災と放射能被害に遭った。政府は最初から東北は切り捨てるつもりでいたから、アメリカからのまともで親切な情報も無視した。その結果多くの放射性物質による被害者をだした。その実態は今も隠されている。大飯原発が、福島並みの事故を起こしたら、低いところに溜まるセシュウムの性格から、京都盆地に溜まる。琵琶湖もやられるから、京都・大阪の水源はアウト。人は住めない地になる。
 東北の地元の人は、政府・民主党、東電、官僚と、ここまで仕掛けた自民党に「われら3代を通して呪ってやる」といっている。

 私はこんな情報を知った。東京のとある放射線治療で権威のある病院の玄関先に「今回の福島原発の放射能被害にについての診察・治療はお断りしています」との告示が玄関にしてあったと。
こんな日本の環境下でよくも「絆」とか「怒らないこと」などいえたものだと。

 「11.25 自決の日──三島由紀夫と若者たち」の映画を観た。
 三島独特の天皇主義と不可分の三島の美意識。GHQの占領下と戦後改革への違和感。現人神としての天皇を愛する一方、昭和天皇を憎んだ心。2.26事件、天皇陛下万歳と叫んで死んでいった若者と、マッカーサーとの繰り返した会談で、天皇制の存続と民主主義政治との折り合いに重要な役割を果たした。天皇への憎しみ。
 京都人気質なら選択しないだろうと思う一途さ。ナルシズムとピュアともいえる精神の緊張と死の覚悟。そして美意識と体制への不条理な怒り。
 
 朝早く起きてきた妻が、夜中に読んだブログの話をする。
 幼い頃から天才肌の少年は、IQが200近くもあり、飛び級で進学し、親はその子にとほうもない夢を見ていた。その子は親の期待通り、とんとん拍子にエリートへの道まっしぐら。国内トップの国立大学を卒業した彼は、就職せず、大学院へ。博士課程を修了し、研究者の道に進もうとした。ところがその世界には強靱なシンジケートとしての闇の組織があり、その力にはじかれ彼は生まれてはじめて挫折した。就職は引き手あまたとうぬぼれていたが、どこの会社も受け入れてくれるところなし。臨時雇いのフリーターを転々として、唯一の技能大型運転免許で、今は夜行高速トラックの運転手。妻はそれほどの就職難とは知らなかったといったが、私は別に驚かなかった。

 「~三島由紀夫と若者たち」の映画監督若松孝二氏と、元オーム真理教上裕史浩広報部長を同席させた読売テレビ「そこまで言って委員会」。
 ・信じるよりどころを失った理系高学歴の若者とオーム真理教。
 ・あの浅間山荘事件、東大紛争、よど号ハイジャック事件などの若者と、楯の会の若者。
 ・左派右派関係なく、若者のはパッションへ憬れ。魂を燃焼させたかった深層欲求。
 ・マインドコントロールと絶対帰依からの脱出→相対的価値の信仰へ(そんなものが存在する?)
  オーム事件については今だ不可解な真相。、

 まだ書いてないが、3.11直後から気になっている日本人起源としての「縄文人」「弥生人」。大和朝廷が「まつわらぬ民」とした東北蝦夷(えみし)を追い詰めばらばらにし、歴史から抹殺した蝦夷末裔の怨みと哀しみ。その怨みや哀しみは東北人の深層に沈み、演歌の源流となって下向きな地下水脈のこころに今も生きている。
 大飯原発再稼働についても、一番怒ったのは福島の人だった。
  
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by kuritaro5431 | 2012-06-26 06:38
2012年 06月 24日

ノマドの可能性と課題

 2012年6月20日のBSプライムニュースで「所属しない働き方、インターネットで稼ぐ」の番組を見た。

 前回もこのブログでノマドを取り上げた。まだ市民権を得られていないノマドではあるが、一部の若者が現代をまともに受け入れられず、自らこれからの生き方、働き方を模索し、試行している姿を注意深く見守っている。

 前回ではノマドのもつ時代的可能性をもちながら、自らその可能性を狭めていないかと次の3つの点に絞って挙げてみた。

1,彼らは経験していないが、バブル景気崩壊前の日本的働き方にあった組織社会(会社)で上の世代が学んだことのなかに、ノマドでも有効と思えるものがあるのに、感覚的に拒絶しているのではないか。
2,稼ぐことに積極的な族を、たとえ建設的であり発展的であっても十把一絡げに否定的に眺める傾向が、自らの可能性を狭めていないか。銭は家族も含め生命の維持発展に不可欠の「糧ではないかか……
3,働き方のイメージとして全体的には社会的貢献、他者への役立ち概念が弱かったり小振りであったりする印象はいなめないが…… 私の接した若者のなかには「役立ち」という考えそのものが卑しい目的ととらえていた人もいた。

 今回は前回とは別の側面から、ノマドの可能性と課題を考えて見ることにした。
 一応、現在いわれているノマドの成立要件を次のようにとらえられていると認識しておきたい。

1,組織的拘束に影響されない働き方として、時間的にも、職種的にも自分の身の丈に合わせて働く。
2,過去いわれたフリーターとかフリーランスとの違いは、IT(特にクラウドサービスなど)使いこなして稼ぐ。
 (注)フリーランスは、働くジャンルとか能力によって何倍もの報酬差があるが、ノドマでは今のところ最高学歴でありながら低所得者が多い。
3,単なるITワーカーではなく、自分のコンテンツをもち、ITという手段(低コストで多数の人と交信できる)によって、人との縁を自然発生的に創ってゆき働く。
4,シエアという概念をうまく取り込もうしている。1日にせよ、年間にせよ、収入を稼ぐために働く時間と、ボランティアなどの無料労働も計画的にシエアして働く。
 住まいとか、事務所などにおいても仲間と共同利用(シエアハウス)する。
 ビジネスにおいても、かかるコストおよび利益も、仲間とか、提携者とかでシェアする。
 反面、仕事と私生活を分けない面もある。 
5.人とのつながりとか縁をITネットワークで築き、新しいコミニティ社会を目指す。
 おやじ世代の余生の社会の人とのつながりのなさが反面教師。

 今しかだ、NHKの「体感グレートネーチャー」番組で、「アフガニスタン白亜の大地」のドキューメンタリー映像を見ていると、国境を越えた地質学者たちが、さしてだれの役にも立ちそうにない大昔の地質の謎の探検に命がけで挑んでいる。その映像が茶の間の私たちに、感動を送ってくれた。これら前回のブログに書いたアカデミズムの尊さを説く考えかと思え、その見解もありうるとうなずいた。



 今までの仕事に疲れ果て、この春タクシー運転手に転職したという元ITワーカーの運転するタクシーに乗った。ぶらさがっていた自己紹介カードに「趣味パソコン」と書いてあった。質問してみると、元は大型コンピューターのアプリケーションプログラマーで、その後中型オフコンのプログラマー、さらにその後IT時代となり、クラウドサービスなど使っての企業向けサービスを行う会社に転職。大型・オフコン中型・バソコンITを経験してきたものだから重宝がられ、不況時でも仕事がなかったことはなかった。
 ところがその後は通信との融合によるパコンネットワーク型のビジネスが台頭し、さらにここにきてタブレット端末の多様、多機能、大容量、高速の新機種の登場などでものすごいスピードで忙しくなった。私は多忙を極めるはめになった。この2年日曜日も、正月も大型連休もほとんど休めず、仲間の多くも身体をこわしこの仕事から去っていったと。

 また私が通っている整骨院のストレッチ型リハビリ士24歳も、話しているうちに、2年前まで大阪のとあるITワーカーを大勢抱えていた会社に勤めていたが、休みが取れず、身体がもたないので転職してきていたことがわかった。私からすればもったいない話と思う。今まではパソコンを購入した店のサービスセンターのサービスマンからのサービスを受けていた私だが、それは主に購入した機種の操作に関するソフトまでで、それ以上は期待できなかった。
 それに比べその人と話していると、私の期待するスキルを持っていた。なのになぜその職種のニーズがありながら成立しないのか。ノマド族は自分でやれる。だからノマドなのだが。
 ところが、私のようにノマドではない高齢者族もいる。私の友人も結構インターネットをやっている。家内の仲間もみなインターネットと携帯をもって、活発に動き回っている。男性より女性の方がはやくSNSやクラウドサービスへのニーズが高まりそうだ。だが若者のように、ダウンロードした情報やマニュアルだけでは使いこなせない。それに対応する体制が欲しいと思っている人が増えている。そこにビジネス・チャンスが生まれる。今、かどきなのだ。先に挙げた私の世話になっているサービスマンは、今は自営でやっている。
 提供して欲しいサービスと、提供できるスキルとにミスマッチが起きているのか、それともまだ需要がそこまで膨らんでいないのか。それともスキルに対する労働価値とか、供給サイドのサービス提供のシステムに問題があるのか。例えば、ITワーカーを抱える会社が利益を取り過ぎるとか。ITワーカー自体によるユーザーとの直取引ルート形成の動きがないとか。いろいろ考えられる。私のような人間からすれば、ほどほどの料金で、副業でもいいからそんな社会的機能が形成されることを望んでいる。これもある種のシェア・ビジネスのひとつになるかも知れない。



 また別の視点から話をすると、私が現役時代にいた経営コンサルタント業界のファームの求人情報とか、コンサルタントに求められる能力とか、スキルの動向がどう変わってきたか関心をもっていた。その情報の1つとしてコンサルタント求人専門のメールマガジンの配信を受けている。
 そのメールマジンには、確かにIT業界経験者の募集が多かったが決してITワーカーを対象としたものではなかった。
 先日の当メールマガジンでは、アメリカ・シカゴに本社のある世界的経営コンサルティング企業の日本支社の求人があった。

 募集対象として
・事業会社内でITに関連した企画・ブロジェクト・事業立ち上げなどを経験した人。
・コンサルティングファームで、IT関連の経営戦略、組織改革、オヘレーション改革など手がけた方。

 求められるスキル
・コンサルタントとしての適正が高い方。
 (ロジカルシンキング、コミュニケーション能力、プレゼン能力、クライアントマネジメント、チームマネジメント)
・成長意欲が強く、企業のITに関する経営課題(戦略、実行、組織)や変革に対して強い興味、 関心をお持ちの方。

 このメールマガジンから推察する限り、IT関連のスキルは別として、1985年に経営コンサルタントファームに私が転職したとき求められたスキルはほとんど変わっていなかった。アメリカの会社だからそうなのか。大手企業を対象とするこの会社は、今も企業ニーズは変わっていないと確信しているらしく、奇妙に思えた。


 ここで今日の本題としての「ノマドの可能性と課題」

1.可能性
 ノマド的は働き方全体を含め、5年後に就労人口の10%ぐらいかと推定する。その理由として、本人がまず自分の働き領域のフラットホ ームをプロとして確立し、その上でITのクラウドサービスなどが自分でも使いこなせること、となると難易度は結構高い。だれでもできるとは限らない。その割に見込める年収が低い。
 縁の広がりによる新しいコミニティの創出という考えには賛同を受けるだろう。
2.課題
 ・いずれにせよもっと強い能動性が求められるのではなかろうか。稼ぐ欲もよい意味でのモチベーションを高める働きをするはず。
 ・身の丈にあった社会貢献といのも理解できるが、リスクを恐れず、もう少し大きな志をもった社会貢献も視野に入れてはどうか。
 ・金銭感覚とは、人が一生生きてゆくためには必要な経費がまずかかる、その上で各人の価値観によって豊かさへの投資・消費を考えると年収300万円ベースでは足りないと思わる。
 ・働く世代として、納税、社会保険負担、なども支払っていかねばならないし。




 その他(追記)

 私が現役のころいた経営コンサルタント業界の各社のホームページを見ると、3.11を通過した今日なのに、昔と変わらぬ経営改善アプローチを売り物にしている会社がほとんどであったこともこれまた事実。奇妙である。

 最後に、ノマド族と関係が深い前掲のITワーカーたちの今後と、この職種の可能性と「私の感じる懸念」についてちょっと話しておきたいと思います。

 私のビジネス用のweb〈福島マネジメントコンサルタント〉をご覧いただいた方もおありでしょうが、そこでも触れていますように一時期私は「経営コンサルタント養成塾」をやっていました。
 その熟の受講生で一番多かったのが〈中小企業診断士〉2番目に多かったのが〈オフコン系のSE〉でした。他には税理士、ファーム経験のない個人コンサルなどでした。
 そこで感じたSEという職種にクライアントがもっていた固定観念と、経営コンサルタントという職種にクライアントが持っていた固定観念には当然ながら違いがありした。SEはクライアントの要望のシステムを作る請負職。コンサルタントは経営改善指導職。というのが常識的な見方でした。とはいえコンサルタントのなかでも事務作業請負人(アウトソーシングの受け皿)のような人もいましたが。
 そこで当時ソフトハウス系・システムベンダー系の会社が高齢化して行くSE職をコンサルタンとに仕立てたいとの思惑もあり、会社の費用で私の塾に結構きていました。自前で〈システム診断SE職〉などと名付けて、システム開発受注の露払い役を演じさせようと動いていた所もありました。
 そんな動きにクライアント側は、SE職(経験者を含め)に経営アドバイスは求めない。クライアントの希望するシステムを作ってくれればいいとの反応でした。ところがSEのなかでもシステムアプローチから経営アドバイスはできるとの考え方を持っていたソフトハウスの経営者もあり、経営コンサルタント並のコンサルタント・フィをもらえばいい(当時私がJコンサルファームで1日フィ30万円)との流れが一時ありました。そんな流れのなかで建築設計事務所の設計士をコンサルというようにソフトハウスでも、従来のSE職とは別立ての組織や会社にして経営指導のできるSEの養成をとの潮流がありました。
 ところがその流れは成功せず、一時流行った大企業向けERP導入前の業務標準化コンサルイングおもびカスタマナイズのコンサルティングに向かったようです。日本での最大手のERPの教育部長が、私のwebを見て、ERP導入前のコンサルティング・マニュアルが作れないかとの相談で面談しました。いうならば、業務統合の経営資源活用の大型パッケージ・ソフトで、いくら世界の優良会社のビジネスモデルだしとても、それを日本の企業が導入するとは思えなかった。企業には個別のさまざまな実態がその会社の収益構造を形成していることでもあり、導入側として到底受け入れられるものではなかろうと私は思い、「それはマニュアルなどで対処するものではないでしょう」といい断った経緯がありました。
 その後ERPは、中小企業向けの業務ソフトとして個別業務のパッケージソフトまでERPと呼ばれているようです。

 そんな流れのなかにITワーカーが存在していると思います。前掲のSE職とは全然違うパソコンで通信を使っての技術職種と私は考えます。このまま放っておいたら、折角の社会的人材を失うことになります。ノマド族は自分やるでしょう。むしろこの職種の活躍の場は、NPOなど小規模集団とか、地域のコミニティ活動家などとのマッチングだろうと思います。規模は小さくても、ITソフト伝道師(ユーザー保有のコンテンツをICTを使っていかに実現するかのアドバイザー)として自由な個別契約形態として共同体的ビジネスに発展すればと願うものです。
「教えてやるから高いぞ」などと高慢でなく、サービス業として協働する姿勢が欲しいです。経営コンサルタントも、天職などと思うのではなく、協働支援のサービスマンたるべきです。
 大規模事業者とは別の道で生計を立て、新しい業態が育てられると思います。
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by kuritaro5431 | 2012-06-24 07:52
2012年 06月 21日

冲方丁氏がコラムに書いたノマド

 2012年6月19日の日経新聞夕刊のコラム「プロムナード」に、冲方丁(うぶかたとう)氏が書いた「ノマド」という小文が載っていた。
 
「本来は遊牧民を意味する言葉だが、転じて会社組織から自由になる働き方、ひいてはライフスタイルを獲得した人々を指すという」上記コラムの一文。

 冲方氏は1977年生まれ35歳。ライトノベル、サイエンス・フイクション、フアンタジーを書く小説家兼、漫画の原作、コンピューターゲーム製作まで手がける多彩なクリエーターである。ペンネームの由来も、ライトノベルの読者をゾクッとさせる感性を発散させている。「丁」は、火が爆ぜるという意味。それに対し「冲」は、氷が割れるという意味。「方」は、職業の意。2009年話題になった代表作「天地明察」が映画化され、9月に公開される。その冲方氏が書いたコラムだから興味深く読んだ。

 今話題のノマド族は20代後半が主流で、バブル景気も、バブル崩壊後の激変も知らず、今の政治・経済・生活・職が日常として生まれ、生きてきた世代である。それに比べ冲方氏は14~5歳でバブル崩壊期を体験している勘定になる。15歳の差があれば、父親からの影響も違っているだろう。台頭しはじめていた価値観の多様化の影響も受けているだろう。世代は多少違うにせよ、ノマドに近い、フリーター的存在でもあるから──

 私と氏との差は44。私に息子がいたらそれより若い。私は団塊の世代の前の、戦後第一世代である。そのことが3.11以降気がかりでいた。最近接した若者とのやっかいそうなギャップに憂いを感じていたせいもある。
 コラムを読むと、私とは反対に社会にでたときから自由業で、組織社会(会社)のもつ恩恵を受けずに今日にいたったことの不利を、効率の悪かったスキル磨きと振り返っているところが妙な驚きと好感をもった。それは話題のノマド族とはどこか違っているようだから。

 氏に比べ私は、戦後第一世代としてヒエラルキーのはっきりしていた会社組織のなかで確かにサラリーマンとしての仕事の仕方、ある意味での生き方を教わった。経済成長が加速しはじめてから氏のいう各種の経営ノウハウを主にアメリカから学び、中間管理職を中心に若手社員も乾いた砂に水が滲みるようにみんなで吸収していった。現場で試し、日本的風土に馴染むよう各社なりにトランスフアした。その革新と思えた経営管理・創造性開発・労務管理・生産性向上技法・品質管理・販売管理からマーケテイング、コンピュータシステム開発、等諸々の輸入知識を意欲的に学習し、日本的に変換し、総合的経営ノウハウとしていった。その集団的エネルギーがジャパン・アズ・ナンバーワンという工業立国日本をつくりあげたことは確かであった。

 高度経済成長が加速してゆくにしたがってものが豊かになり、日本的高度経済成長を支えた画一大量生産に最適な社会システムとしての日本的経営(年功序列・終身雇用・労使協調)が最適でなくなった。
 画一的大量生産方式においては、個性的社員は必要なく、もしろ弊害とみなされていた。社員は色の染まっていない新卒を一括採用して、集合教育し、OJTで職場の集団主義に馴染ませる。「社員一丸となって」という当時よく使われたスローガンが示すように、金太郎飴のようにどの社員も、思考・行動・スーツ・ユニホームまで統一できる会社がよいとされた。会社はその従順さと引き替えに、転職すると不利になる「終身雇用」を暗黙の約束としていた。
 
 やがて消費者は、選択肢の少ない画一大量供給から多様な商品アイテムから、好みのものを求めたいニーズに変わっていった。商品アイテムは多様化し、生産は小ロット化せざるを得なくなった。
 このころ工業化社会から3次産業・情報化社会への移行時代到来と叫ばれてはいたものの、依然として日本のGNPの柱は大手製造業を基幹として仕組まれようとされ、もっぱら商品アイテムの多様化と、品質と嗜好性の重視で大手製造業への依存はつづき、バブル景気は1987年から3年続いた。
 
 そして1990年バブル景気は崩壊した。
 それを機に、集団主義による日本的経営の生産性の悪さが問題視されるようになった。会社だより、組織だよりのサラリーマン根性が社員一人当たりの生産性の悪さの原因とささやかれた。
 経済成長が著しく低下した製造業他、各企業は経費削減にやっきになったが変動費のコストダウンだけでは追いつかず、日本的経営では聖域とされていた総人件費の削減に手をつけた。それだけでは追いつかず、出向・転籍・果てはリストラまでやらざるを得なくなった。
 他方、残った社員に対しては、成果主義人事制度を導入し、総人件費の削減を実行した。
 人員調整の対象になったサラリーマンたちは、若いころは会社貢献より低い賃金で我慢し、その積み立てに見合う額を、子供が成長し学資がいるころ給料を上げてもらう、いわゆる年功序列の賃金制度に安心して働いていた。その暗黙の雇用契約が突如ほごにされたのだ。
 当時リストラになったサラリーマン夫婦が、長年家庭を犠牲にし、身を粉にして会社に奉公してきたのに、と涙した話が多く聞かされた。

 私は別の理由で、大学卒業後1回目の会社を14年勤めて人材銀行経由で転職し、2回目の会社も14年勤め、同じ理由で退職し、3回目の会社は1985年、53歳のとき新聞広告を見て応募し、やっと組織拘束のいたってゆるい経営コンサルテングファームに入った。自由であるかわり、入社2年後の生存率4人に1人というリスク。大抵の仲間は、企業のような組織で拘束されたくないというはみ出し者ばかりだった。
 私の転職理由は、1回目の会社も2回目の会社もある時期自分の成長につながる仕事をやらせてもらって、望んだわけでもなかったが社長の側近スタッフになった。そこでどちらの会社の社長も社長の便利屋スタッフとして私を使おうとした。私は頼まれたことはこなしたが、社長の欲望(社内外の権威の拡大と維持、己の達成目標実現のための利己的手段の強行など)がみえる仕事は冷ややかに遂行し、空き時間には極力汎用性の効くスキル磨きに励んだ。2回目の会社では経営コンサルタントが何人も出入りしていて、主に私が対応していた。あるとき、その1人のコンサルタントが「社長がもっと懐に飛び込んで欲しいといってるよ」といったこがあったが、態度は変えなかった。そして不満が極限に達し、転職した。

 学生時代ゼミの教授が「10年はその会社で働いてみないと、よいことも悪いことも分からん。まして体験を世間に通用するスキルとかノウハウにトランスファしなければ、家族が安定して生活できる収入を得ることはできないぞ」といわれ、そのことは守った。

 はじめの2社在籍中、30歳過ぎてからは年に2~3度、今の自分のスキルなら自由労働市場でいくらの買い手が付くか検証していた。

 組織内で経営ノウハウを一番獲得できたのは、なんといってもコンサルティングファームであった。リストラ組の人たちが一時「コンサルタントでもやるか」という言葉がはやったが相談を受けた人には「いきなり個人コンサルやるのは無理だ。せめて3年ほどどこかのファームで修行してからにしたら」といったが、かなりキャリアのある人でも他社を知らない人が、コンサルティングで高額のフイをもらうということはどんなことかを理解している人は非常に少なかった。

 そこで、前述の「最近接触した若者とのやっかいそうなギャップ」にいつてであるが、とくに、文系の最高学歴(大学院研究科)の人などは、実学とか、稼ぐとかいう言葉に敏感な嫌悪の反応を示す人がいる。最近よく目に付く「哲学カフェ」系に集まる人たちには私のような戦後第一世代には寄りつきがたい距離を感じるが、それでも彼らを分かっていないんじゃないかとこちらから接近してみている。なかには、よりアカデミックなものが尊いと、その研究に必要な費用は寄付で賄うべきという意見まで持っている人もいた。社会への役立ちについても、そんな小さな価値創造のための研究ではないと。それでいてどこかしらっとしていた人もいた。

 どうやら過去の物の豊かさと利益の大きさを求め過ぎた社会システムや経済学、経営ノウハウはチャラにして、物や金はそうなくてもみんながこころ豊かに暮らしてゆける社会システムのありようや働き方をやってみたい。その手段の1つとしてのノマド。それは私も賛成である。3.11を機に「思考モードの変換を」と叫ばれてもいる現在、決してその方向を否定するものではない。むしろ支援したいのが私のスタンスである。そうであるから、冲方氏のいう体験しておきたかった過去の経営ノウハウとか、特に私は創造性開発技法などいくつかノマドの働き方に役立つものも多々あるように思えてならない。
 それと、実学とハウツウをイコールに解釈している若者感覚も気になる。ハウツウは限定的効用しかなく、私は汎用性のないものとして極力嫌ってきた。さらに気になることは、稼ぐことを嫌う感覚にはどこか不健全な人だより、親だよりの能動性のなさを感じてならない。一人の人間として家族も含め、子供の教育費、社会的縁者とも過不足ない付き合い、祖先も祀るためにはほどほどの稼ぎは必須と思う。社会や他者に役立ってきれいに稼ぎ、きれいに使う。そんな感覚はクサイ戦後第一世代の時代錯誤、なのだろうか。
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by kuritaro5431 | 2012-06-21 08:13
2012年 06月 16日

やはり世界を支配するものはシャクティ(パワー)であったか

 1990年代、アメリカは日本の国力をそぎ落とすために、ありとあらゆる手段を使った。日本人がもつ伝統的な価値観を崩壊させ「欧米流」に切り替えさせ、日本国民が稼いだカネを海外に振り向けさせる。そして、ふらついた日本が中国やロシアと結びつかないように、手をうった。

 日本以外では、ピーター・ドラッカーはそれほど有名ではなく、評価も高くない(一介のユダヤ人コンサルタントに過ぎない)。だが、いつのまにか、本来のリヴィジニストとしての色彩は薄れ、日本社会の中で「マネジメントの父=教祖として崇め奉られる存在となってしまった。その理由の一つは、エズラ・ヴォーゲルとともに日本的経営を成功例として揚げたからだ。お人好しの日本人は、褒められると脇が甘くなる。彼が唱えた「コア・コンピタンス」経営とアウトソーシングの奨めは、あっというまに広がった。その結果、多様な「ものづくり」が日本から完全に消失した。多角化経営で次世代製品のシーズを生むサイクルが消え去り、長期の信頼関係を前提とする系列取引が瓦解化したからだ。本来有機体として強みをもっていた日本企業がモジュール化され、バラバラに解体されたからだ。大企業は、シナージーが起きない凡庸な企業の無機的集積物になってしまった。アウト・ソーシングは有効な場合もある。しかし、柔構造のジョイントをはずし「他人任せ」にしてしまっては高品質は保てない。リコールが増えるはずである。しかも、その任せた「他人」がライバル会社の傘下にいるかも知れない。あるいは、システムを破られ、機密情報が漏洩してしまうかも知れない。NDA(機密保持契約)などは絵に描いた餅である。そもそも、ウインドウズというパソコンのOSには、ズブズブの穴があいている。ハッカーやウイルスの開発者たちの出身がOSの開発者ではないかと見紛うほど、簡単に侵入されているという。ウイルスに侵入されてもその痕跡すら残さず、機密情報を抜き取るケースもある。ウインドウズの開発者たち自身が、脆弱性を一番理解しているだろう。彼らが同時にウイルス制作者でないという保障はない。スタックスミットというウイルスの存在は、それを推進させる十分な証拠だろう。アメリカのペンタゴンとイスラエルが開発したウイルスのプログラムであり、イランのウラン濃縮施設を破壊させる威力をもつものという。ソニーのシステムを破壊したアノマスというグループが、どのような組織に操られているか興味深い。(中略)

 野田政権誕生後、100兆円以上、急激に膨れ上がった国債残高はあっという間に、1千兆円を超えてしまった。一方で、財政再建のための増税といいながら、米国債を購入しつづけ、韓国へ5兆円融資し、1MFへの数兆円の拠出を計画している。すべてわれわれ国民の借金となる。(中略)

 野田政権は日本国民の何%を餓死させるつもりなのだろうか。日本人の高齢層を自殺や餓死によって減少させ、年金給付額を減らそうという魂胆か。(以下略)

 上記文は、2012.04.03付のブログNinja Meda Kafish より部分引用したもの。

 また、同様の主旨のものとして第58回日本エッセイスト・クラブ賞受賞・秋尾沙戸子著『ワシントンハイツ』──GHQが東京に刻んだ戦後帯に──焦土のまっただ中に立ち現れた「日本の中のアメリカ」──そこに現代日本の原点があった── もある。


 古代から現代まで、左(左翼とか左派という意味ではない)の極限から、右(右翼とか右派という意味ではない)の極限にまで連なる諸々の見解が、民話とか、伝説とか、史実とか、小説とか、戯曲とか、また学説とかで述べられ、語られてきた。
 その左から右への間にはさまざまなアイテムが何億もの見解として存在してきた。「哲学から演歌まで」としたのもそんな意味もある。また直線の上に列ぶ点のようなものではなく、クラウドのようなアナログ的存在として3次元に存在している。

 発信者には、それぞれに存在上の立場があり、真実もあれば、騙しもある。いずれにせよ、それらの知であり、情であり、意である情報は、時代時代の覇者の支配力のありようを反映したものであろう。世界の覇者とならん闘い。支配者と支配される者ののっぴきならない情報戦と実質支配。そこには、いつも偽りと隠蔽はつきまとう。権力を手にした者は、やかで欲望がオーバーシュートし自滅する。

 いま世界は、パワーバランスの失調障害期にある。その渦のなかに巻き込まれている日本があり、日本人がいる。
 パワーパランス調整能力の乏しい政権下にいる国民は不幸である。不幸どころか生存さえ危ない。

 左から右へ無数に存在する質も異なる力関係のなかで、あるときは、左に、あるときは右にと人々もバランスを取ろうと必至でいる。恐ろしいのは人々が内的均衡を失うと死に至ることだ。社会的存在としても生きられなくなる。
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by kuritaro5431 | 2012-06-16 08:17
2012年 06月 13日

大飯原発再稼働へ

 このブログに大飯原発再稼働問題をいつ取り上げようかとタイミングを見計らっているうちに日が経ってしまった。いやが上にも盛り上がる再稼働阻止の国民的うねり。その動きは関西より東北、関東の方の動きが活発になった。東京では集会やデモの阻止行動が激しさを増し、野田政見はどう出るか。「再稼働ありき」としているとしても、国民(この言葉にはみんな胡散臭さをもっている)に納得のゆく説明がされるか。東京での稼働阻止運動の映像などNHKをはじめどのチャンネルにも流されない。
 
 そんななかで6月8 日福井県知事の「国が稼働の必要性を説明すべき」との要請に応える形で、野田総理は記者会見した。結果の感想を先にいうなら、今までの政治不信の上塗りをし、一層野田政見の政治不信を深めることをやった。ということである。

 昨日の国会で、石破議員がいったように、「再稼働したときのメリットとリスク」と「稼働しなかったときのメリットとリスク」両方を検討するのにどれほど悩んだか。悩んだプロセスに国民が納得する苦悩がどれほどあったか。そのリアリティなしに国民は納得するはずもない。「国民の生活のため」という言葉が、記者会見の時も、今回の国会答弁にも何回もでてきたが、「国民の命の保証」についてはいちども触れず、経済的側面のデメリットのみ強調された。誰かがブログに書いていたが、自民党時代から、政治主導などなく、政治家は舞台で演じる役者であつて、演出、制作は陰の黒幕である官僚であったり、陰の実力者であることが、特に今回の3.11で国民は知ってしまった。そんな国民の意識変化も知らない野田総理の政治感覚というか、政治的知性というかそんなセンスがますます露呈した近日であった。
 口先だけで「国民のため」と繰り返しておけば国民は納得するものと、高をくくっている知性のなさが、国民不信の原因だということをなんにも分かっていない。松下塾でなにを学んできたのだろうか。「国民に対する仁」など関係ない覇道の政治のみ学んだのだろうか。

 私は大飯町大島半島の先端にある宮留とう漁村で、遊漁船兼民宿をやっていた若夫婦の世話になり、大飯原発の見える沖で、20年も鯛釣りをした。若夫婦の両親の話を聞くと「昔は半島とはいえ孤島だった」「島の集落に渡るには、人も荷物も舟だよりだった」と。
 1979年(今から33年前)関西電力大飯原発の 1号機2号機の運転開始を目指して大々的な建設工事が始まった。
 私がはじめて大島へ渡る青戸大橋を車で渡ったのは、大飯原発の3号機が建設されていたころと思われる。
 国道27号線を小浜から西へ向かい、鯉川の海水浴場を過ぎるころから一気に視界が広がって、近代的な建造物としての青戸大橋が遠くから見えた。半島山脈の上を巨大な送電鉄塔が山波の高低に沿って連なっていた。青戸大橋を渡ると、高速道路並みの道路が赤土の山肌を削って整備されていた。多少の曲がりはあったものの、宮留までのいくつかのトンネルもでき、それはそれは立派な近代事業であった。投資も惜しまない国策事業と見えた。

 27号線を左の県道に入ると、水上勉の生家や、記念館があると聞いた。水上勉の自伝によると、貧しかった昔、その地方では子を間引き、断崖から捨てた。水上勉の実父は、村の墓地の入り口に構える棺桶大工だったと。

 そんな貧しい村落を狙い撃ちにし、原子力発電所の誘致をやったのが国策であった。日本初の美浜原発も、高浜も、福島も貧しさと引き替えに多額のの保証金、町への助成金を表からと裏から出した。大飯町においても住民に、国と関西電力は甘い夢と偽りの情報を吹き込んだ。住民はただ貧しさから解放されたい一念で、その政策に乗った。
 私が見た大島の住民の家は、みな新築だった。各戸に2台は車を持ち、原発で働く人も多かった。民宿や釣り宿の経営、3000万円もする遊漁船も新調していた。大型回遊魚の釣り堀、小さいながら家族客誘致につくられた海水浴場や海釣り公園。50台以上ゆうに停めるられる立派な駐車場などなど、貧しい昔とは比べものにならないほど豊かな生活を得た。
 ところが近年は、海流の関係か船での沖釣りが不漁になり、釣り客が減った。遊漁船を廃業する家もでている。頼みは、釣り客相手の民宿を、原発で働く職員や下請けや孫請けの人たち、の定宿となっていること。とはいってもそれは大飯原発に近い一部の民宿だけである。

 貧しかった昔を忘れ、今の生活に慣れきった豊かさを放棄できるはずはない。
 表向きの町への補助金、つらつらと不信の臭いがつきまとう裏金は、利権者や関電との癒着が噂されている企業に流れているらしい。。

 そんな状況を滋賀県の住民も、京都府の住民もみな知っている。地元の住民への説明会でも反対発言者がいた。補助金の恩恵を受けてなく、被害が出れば直撃される小浜市民など。その人たちを力で排除し、賛成者だけの別部屋で東北並みの大津波・大地震がきても安全と、推進派の役人や御用学者が説明した。その映像はテレビにも流された。
 テレビ局各社も、お笑い番組と、制作費のかからない韓流ドラマなどで政府や電力村の提灯ばかりもっていれば視聴率が下がることもわかってきた。なかには真実を露出しはじめた局もある。
 
 他方東京電力では、一般企業では考えられない再建計画。国からの多額の支援を(国民の税金)を受けながら「値上げできる権利がある」とまでいった会社が、3.11以降も変わらぬ体質。社員のボーナスは払い、責任とって辞めた前社長はしゃしゃと子会社の社長に収まりなにひとつ身を切る責任も感じられない。東電の電力事業での収益は、他から買えようのない家庭への供給で90%もの利益をあげている。競争原理導入によるコストダウンとしてどこの国でもやっている発電、送電事業の分離も頑固反対の構え。事業に必要な原価・経費がかかるほど会社が儲かる「総原価方式」かかった総費用に利益を積み、足らないときは値上げする、という極端な独占企業会計。それを今後も放任するであろう民主党政権。
 今回の東北大震災に端を発した政府民主党のやった対応で、どれだけあてにならない、力のない政権か国民は知った。だからとて自民党がいいとはおもってない。既成政党・全党不信である。
 この夏場の電力不足量にしても、数字はころころ変わる。関電の発信情報もあてにならないと国民はみんな思っている。
 
 京都出身の民主党幹部が「関西圏の住民や企業は、福井の皆さんに今まで大変な恩をいただいている、今こそ恩返しをするときではないか、それが人間の道」という意味のことをいっていたその彼は民主党政権獲得に一番恩を受けた人を、選挙が終わったとたんXと組んで手のひらを返すように裏切った。彼の選挙区内には、100メートルおきにポスターを張りまくっているが。知る人ぞ知る裏切り者である。

 そんな国民の風の流れを知ってか、無視してか、野田首相は記者会見した。
「国民の生活のために電力は必要です」「国民のために」という言葉を会見中何度使ったことか。「抽象的なきれいごとでは国民の生活は守れません。現実対応するのが政治の努めです。停電にでもなれば命の危険な患者もいます。供給が止まれば、倒産さえしかねない町工場もあります。夏場だけの緊急稼働では国民の生活は維持できません。継続稼働が必要です」といった。
 そして京都出身の民主党幹部のいった「大飯町のみなさんにいまこそ恩返しを!」と同じことをいった。
 会見終了後の記者質問は、原発推進派で知られている読売新聞の記者だった。国民が迫られている「再稼働か」「停止か」の苦悩を代弁する質問ではなく、なにごともなくシナリオ通りに時間が過ぎればとの態度がありありと伺えた。その質問に対して、野田首相は、会見で述べたことをことさら長くじゃべっていた。
 二人目の記者質問は、どこの新聞社か聞き漏らしたが、原発問題とまったく関係のない国会運営の質問をしていた。それについてまた長々と野田首相は答えていた。
 その局での会見放送は、首相の話も終わらないうちにコマシャールに変わった。
 
 大飯原発の真下に、活断層がある、もし放射能が漏れ飛散するような事故が起きれば、福井の地元住民、滋賀県、京都府、大阪府までも被害は拡大する。琵琶湖の水が汚染されれば滋賀県、京都市、大阪府の水源はアウトである。
 幼い子供のための生活にも電力はどうしても継続的供給が必要だといった。
 それこそ国民が一番心配しているのは、放射能漏れが起きたときの大きなリスクに対する不安であり、幼子の被る甲状腺被害である。
 それら一番の国民の関心事には、科学の力を信じ、できる限りの対策を講じます。といたって抽象的な話しかしなかった。「政治には抽象的言葉は通用しない。現実的対応あるのみ」と一方で言いながら、ここではまったく科学的根拠も、論理的納得性もない、上滑りの言葉遊びか、稚拙なレトリックかしか感じなかった。

 6月8日の野田会見までに、関西広域連合の知事たちと、発言力を増してきている橋下大阪市長維新の会は、再稼働によるリスクの大きさ(命の重さ)と、稼働停止による経済活動のダメージ、産業界からのつきあげ、これに苦悶していた。その経過はいたいほど伝わってきた。
 そして再稼働容認とも取れる宣言を政府に提出し「橋下市長は、実質再稼働容認です。敗北です」と、会見で述べた。
 その翌日だったか、大飯町長だと記憶しているが「勝った負けたの大人げない」といった。
 その発言にどれほどの国民の感情を逆撫でしたか計り知れない。あの黒い噂の町長が、大飯町の住民に感謝し、恩返しせよ、といった二人の民主党幹部の言葉に悪のりして。

 野田会見によって再稼働するか否かの、決定へのボールは、福井県知事に投げ返された。
 福井県知事は、再稼働派であるから多少のぎくしゃくはあっても、再稼働を県民意向としてごりおしでもまとめるだろう。反対派を実力で排除しても。

 その後の様子も刻々と変わっている。
 先に述べたように「大飯原発再稼働阻止運動」は、滋賀県、京都府、大阪府の地元より、3.11で原発被害を体験した東北の人たち、さらには関東の知識人、学生、などの方が真剣にアクションをとっている。
 一番正常な判断をしてくれそうに見えていた滋賀県知事。このかたも関西広域連合の意見に苦渋の決断だとはいえ、同意した。この行動に対して一番非難の反応をしたのは東北の人たちからだった。
 大変考えさせられてしまった。
 震災後、政府や東電がどんな対応しかしなかっかを一番よく知っている人たちからであるから。報道もインターネットにも載らなかった「絆」の言葉とは裏腹に、政治不信、政治家不信、そして人間不信までに閉塞した東北の人たち。
 東北は古代から不遇な対応を受け、堪え忍んだ日本人である。
 東北人からの叱咤は「騙されるな、電力会社と、政府、そして利権に群がる御用学者や、利権者たちに!」そんなエールとして聞こえる。

 
 今日の晩、いましがた経団連会長から野田総理の大飯原発再稼働の決断を称える記者発表があった。経団連の会員会社のほとんどは、20世紀の日本の経済成長を成し遂げたリーデング企業たち、製造業である。
 
 その業種への未練か、まだまだリーディング企業であり得るとの幻想か。先進国は、いずれ第2次産業から第3次産業に移行するといわれてきた。戦後の第一世代は、ハングリーに働き、これらのリーディング企業を中心とした産業社会で社会・経済のインフラを築いた。
 つぎの団塊の世代は、築かれたインフラの上で、カジユアルに楽しく豊かな生活を甘受した。だがバブル経済崩壊後それまで機能してきた日本的経営が崩壊し、転籍・リストラの辛酸を嘗めた。いつしか会社だより終身雇用の風土のなかで生きてきたその世代は、転職しても使いものにならない階層になっていた。自立・主体が叫ばれた。そして小泉内閣を機に、競争による市場原理が、経済のみならず働く人たちにも適用され、経済成果で人も評価するようになり、人件費も製造コストと同じ変動費とみるのが当たり前との風潮が蔓延した。その結果非正規社員が世にあふれ、所得格差は拡大し、失業者・自殺者はふえてゆく。
 だからなのか団塊の世代の子供たちは、親の勧める安定志向の生き方を擦り込まれている。
 偏差値を高め、有名校の高校・大学に入り、大企業に就職する。その大企業とは先に挙げた企業群をイメージしてのことらしい。
 アメリカ的資本主義・グローバリズム・金融資本主義・民主主義・覇権国家としてのアメリカの衰退などなど世界中深刻なクエスチョンを突き付けられている。
 そんな変化の激しい、早い変化の世紀のなかで安定志向で生きられるだろうか。団塊の世代が学習した辛酸はどう生かされればよいのか。
 20世紀のリーデング企業団に塩を与えたとしても、今後も国民生活を豊かにしうる保証はない。むしろそれへの期待は幻想となる日も遠くない。

 つい大飯原発再稼働問題が、大き過ぎる問題にまでに波及したが、これはこの機での問題意識としておき、別テーマのところで再度考えていきたい。
 
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by kuritaro5431 | 2012-06-13 07:11