哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 02月 ( 6 )   > この月の画像一覧


2012年 02月 25日

怒らないこと 

『怒らないこと』20万部突破、『怒らないこと2』36万部突破、『生きる勉強』4万部。と日経朝刊全5段の広告がでたのは、3.11の震災前の2月でした。いずれもサンガ新書のお得意領域のものでした。
 前2冊は、釈迦直伝の教えが伝わるといわれているスリランカの上座部仏教(もと小乗仏教)の長老アルボムッレ・スマナサーラ僧の著。もう1冊の『生きる勉強』は、アルボムッレ・スマナサーラ僧と香山リカ氏との共著でした。前2冊のどちらにも精神科医の名越康文氏と香山リカ氏の推薦帯がついていました。前5段広告の枠内には、香山リカ氏は「自我が錯覚だとしたら、精神科医は商売あがったりですね(笑)」のキヤッチコピー。ボデーコピーに「精神科医としてみていると、今の人たちは、世の中のさまざまな雑音や比べ合い、非現実的な目標に縛られて、自分の持っているものまで見失っています。「アイデンティティ」や「自分らしさ」を求めて苦労し、混乱する人たちが本当に多い。人は、「今、その人が持っているもの」を見直すことでじゅうぶんに生きていけます。今の自分の良さを再点検することが〈生きる勉強〉なのだと思う」と。

 この3冊の本を読んでいる最中に、東日本大震災が起こったのでした。大地震・大津波・原発事故が。天災だけでなく、原発事故という人災が。

 NHKラジオ深夜便で、福島原子力発電所に勤めたことのある女性が、子供を連れてすぐに舞鶴の実家に避難したといっていた。福島原発に勤めた経験のある人なら、あの事故を見て、だれでも原発施設で爆発が起きたと悟ったはずです。そうなれば放射能漏れ、とてつもない非常事態。そのことは、たとえパートの女性でも分かっていたと語っていた。

 ところがテレビでは、枝野官房長官が会見し「今のところすぐに人体に被害をおよぼす状態ではない」と再三国民にスポークスした。
 経産省傘下の原子力保安院も記者会見で、官房長官の見解が、原子力の専門家の立場からみて、科学的にも正当な解釈と聞こえる見解をしいて付け加えていた。

 そんななか、日本在住のアメリカ人は、福島原発から遠くに住んでいる人まで日本を脱出しはじめていた。それはあまりにも曖昧な日本政府からの回答にアメリカ政府が危険を感じ指令をだしていたのだ。他の外国の人たちも続いた。とそのときは思っていたが、実はそのときアメリカ政府は、福島原発がメルトダウンを起こし、人体に危険な放射能が漏れだしていたのを知っていたことがわかった。だから日本脱出の通達を出していたのだと。

 私は、今まで原子力発電は安全で、コストの安いエネルギー源だと聞かされ、まるっきり信じていたわけではなかったが、いつしか疑いは薄れていた。ところが今回の原発事故で、疑念が一気に噴き出した。

 しかし、テレビ・新聞の各局、各社も、官房長官をはじめとする政府見解、東京電力および原子力専門の科学者の見解を概ね支持するものだった。なかには、その見解ははなはだ危険という学者もいたが。

 そんななか多くの国民はなにかうさんくさい疑いをもちながらも、とてつもない危険が隠されているとは思ってもいない様子だった。

 しかし福島原発周辺の住民は、その危険の深刻さは知っていたはずなのに原子炉爆発についての住民の怒りは、どのメデイアにもほとんど現れなかった。
 海外の人たちが称賛したように、また「天を恨まず」との答辞を読んだ少年の心情への共感から避難を余儀なくされ、見えない恐怖に怒る住民の姿は放送されることもなく日が過ぎた。怒っていた地元住民はいたはずなのに、その映像は撮られなかったか、カットされたのではないかとの疑いをもつようになった。大津波による夥しい屍の姿も。

 書店に行くと『東京電力の大罪』(週間文春・臨時増刊・「週間文春」取材スタッフが総力で暴いた「黒い独占企業」東京電力の正体!)とか、経済産業省大臣官房付・古賀重明著『日本中枢の崩壊』講談社(「日本の裏支配者が誰か教えよう」「福島原発メルトダウンは必須だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは⁉ 家族の生命を守るため、全日本人必読の書) 同じく、古賀重明著『官僚の責任』PHP新書(辞職を迫られた改革派官僚〝覚悟の証言〟優秀なはずの人間がなぜ堕落するのか) ほか数えきれないほどの関連本が列ぶ。
 インターネット情報においても、『国の原発事故対応に満身の怒り』児玉達彦氏。カレル・ヴアン・ウオフレン氏の『人間を幸福にしない日本というシステム』などなどここでも数えきれない情報に、人災=原発の災害を生んだ背景が書かれていた。

 こんな状況下で起こった放射性物質がもたらす、とほうもない生命の危機を被っても怒らず、黙々と生きる人間が尊いのだろうか。
 
 バブル経済崩壊後、新自由主義を一層すすめなければならなかった日本的経営からの転換。それに絡んだ政局の思惑。失われた20年のなかで、もうだれにも頼れなくなくなった当時の中高年世代。身を切る思いで「個の自立」「他人が代行できない自己の確立」「固有の売り物磨き」それこそ「自己アイデンティティ」の問題だった。かっこうつけてやったことではなかった。生きて行くために必死だったのだ。失われた空白の時代に思考停止を誘導されたか。その結果、茹で蛙や多くの草食系人間を生み、自殺者の多い国になり、不正を正す怒りのエネルギーも萎えた。それでいいのだろうか。


『怒らないこと』の本の表紙の裏に、

 昨今では、怒って当たり前、
 ややもすると怒らないと不甲斐ないとでも言われんばかりです。
 ブッタは、これに真っ向から反対します。
 怒ってもよい理由などない。怒りは理不尽だ。怒る人は弱虫だ。
 怒らない人にこそ智慧がある。怒らない人は幸せを得る。
 人類史上最も賢明な人は、なぜ怒りを全面否定したのでしょうか。
 最初期の仏教であるテーラワーダ仏教(原始仏教・小乗仏教)の長老がその真意を明かす。

 と書かれています。


 目次から「怒ることの悪さ」を私なりに拾ってみると、

 「怒り」が生まれると「喜び」を失う。
 世の中の破壊の原因は「怒り」
 仏教は感情を人格化しない
 怒りが私たちの命を脅かす
 正しい怒りは存在しない


 そして、怒りの治め方の章の終わりに

 「怒らないこと」は奇跡をもたらす
 平和を語る人は強者
 誰もが幸福に生きられる

 と。


 そして2012年2月24日現在でもこの本は書店に並んでいる。

 その翌日のテレビで「たけしの日本人白書」という見過ごせない番組があった。
 その番組は、今回の大震災で外国人が日本人と接触したなか、日本人をどう思ったか、どのような民族と感じたかのドキューメンタリー風の映像と語り。それに対し、番組に出席した日本で暮らしている外国人のコメント。司会はビートたけしと宮根。
 内容は「絆・連帯」の号で書いた外国の人たちの反応と同様であったが、違うのは実体験者の語りと映像でリアリティのあるものであった。「なんて日本人はずらしい民族なのか」といういくつかの話のなかで、とくに印象深かったのは、ドイツ人家族を押し寄せてくる津波のなか、危機一髪で救って自分の家に避難させ、刻々の水位が高まるなか、不安と恐怖におののくその人たちに声をかけ、窓ガラスに危険水位の目安となるラインをマジックペンで書き、安心させた30歳過ぎの日本人男性。自分は瓦礫で怪我をした足で、腰まで水の中にい、寒さに震える女性に布団を掛けていた。
 夜が明けドイツに早く帰りたいというその人たちを、見ず知らずの日本人たちがリレーで空港まで送った話。
 帰国したそのドイツ人家族は、その出来事を新聞記者に話し、大きく報道されていた。救った日本人男性は、そんな扱いを好まず黙々としていた。その日本人の心情は、1890年に起きたトルコ海軍エルトウールル軍艦遭難のおり、串本の村人たちがとった行動とまったく同じに思えた。
 司会のビートたけしは「日本人はまだまだ捨てたものではない。かならず復興をなしとげる」といいこの番組を終えた。

 私も1人の日本人として「無意識の深層に擦り込まれている人間同士の原始共同体的連帯意識」と「原発事故という人間の生命おも奪いかねない事故の実態を隠し、まっとうな対応もしない責任を逃れようとする」2つの人種が確かに日本には併存していることを実感した。
 後者の人種および彼らが守りたい体制について怒らないということは、世界の各国からみれば日本国のリスクであると思われるのもまた事実であろう。

 
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-25 00:26
2012年 02月 21日

天を恨まず

 平成二十二年度の文部科学白書に東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市立階上(はしかみ)中学校の卒業式で梶原裕太君が読み上げた答辞が全文掲載された。極めて異例のこととして。
 悲しみの中で十五歳の梶原裕太君が示した決意は今も全国の人たちを勇気づけていると。

 全文を掲載しておきます。


今日は未曾有の大震災の傷も癒えないさなか私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます。

ちょうど十日前の三月十二日。
春を思わせる暖かな日でした。
私たちは
そのキラキラ光る日差しの中を希望に胸をふくらませ
通い慣れた学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。

前日の十一日
一足先に渡された
思い出の詰まったアルバムを開き
十数時間後の卒業式に思い出を馳せた友もいたことでしょう。
「東日本大震災」と名付けられる天変地異がおこるとも知らず……
階上中学といえば「防災教育」といわれ
内外から高く評価され
十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし
自然の猛威の前には
人間の力はあまりにも無力で
私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには
むご過ぎるものでした。
辛くて
悔しくたまりません。

時計の針が十四時四十六分を指したままです。
でも時間は確実に流れています。

生かされた者として顔を上げ
常に思いやりの心をもち
強く正しく
たくましく生きて行かなければなりません。
命の重さを知るには
大きすぎた代償でした。

しかし
苦境にあっても
「天を恨まず」
運命に耐え
助け合って生きていくことが
これからの私たちの使命です。

私たち今
それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。
どこにいても
なにをしようともこの地で仲間と共有した時を忘れず
宝物として生きて行きます。

後輩の皆さん
階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が如何に貴重なものか考え
いとおしんで過ごしてください。

先生方
親身のご指導
ありがとうございました。
先生方が
如何にに私たちを思って下さっていたか
今になって良く分かります。

地域の皆さん
これまで様々なご支援をいたたきありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

お父さん
お母さん
家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を見守ってくたさい。
必ず
良き社会人になります。

私はこの階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。
最後に
本当に
本当に
ありがとうございました。

平成二十三年 三月二十二日
第六十四回卒業生代表 梶原裕太


 これを読んで涙が止まりませんでした。「天を恨まず」東北の人たちの強さを垣間見た気がします。悲しみにうちひしがれるのではなく克服し、乗り越えていくたくましさを。
 しかし「天を恨まず」なんていう表現は、一度でも運命を呪いたくなるようなことが起きないとでてこない言葉です。

 などなど多くの感動のメッセージが送られてきたそうです。私も情感に響くところ呼応しました。

 それにしても文脈が大人っぽ過ぎる。大人が添削に手を貸したか、筋書きををつくったか。そんな疑念に加えて唱われているのは「天」=地震と津波=天災のみで、「原発事故」=人災については言葉のかけらもありません。極めて異例といわれる流れがここにありそうです。この文章は「文部科学白書」のお墨付きなのです。科学の粋を結集した文科省公認の原子力発電所が、天災を越える大惨事を起こした。そのことに一切触れず、「未曾有の天災にもまけず」というフレーズが「◯◯科学白書」、文科省の官僚にとって都合のいいことだったことは違いないでしょう。官僚の企みを疑えばエスカレートするばかりですが、その当たりの大衆感情操作の企みと手口は善良な民衆からなかなか見破れるものではなかった歴史があり、今日があります。

 私がこのようなことを書けば、そこまで疑うこともないだろう。梶原裕太君の心情をよく表しているから多くの国民の涙をそそったのだと。それが日本人の共通した心情だ。といわれそうです。

 今日はそうともいえる、ということにしておきます。後々述べる政府・御用学者、東京電力を含む原子力村、との正常でない関係を読まれ、納得される人々も増えると思います。

「絆」は民衆間のみでは成立するものではありません。ことに高濃度放射性物質を扱い、安全検査し、認可する機関や組織に対する国民全体の信頼こそ現代における「絆の原点であるこが3.11で判明」しました。それは原発問題に限らず、民主主義政治の根幹であることを明らかにもしたのです。
 


 
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-21 15:05
2012年 02月 19日

日本人の「絆」と「連帯」の変遷

 戦後貧しかったが「りんごの歌」を歌い、みんな同じ思いで戦後復興に希望を抱き、名もない民衆が長屋や、安普請の狭い木造アパートで隣の人と、朝の味噌汁の味噌を用立てしあい、町内のばあさんが誰の子であろうと悪いことは悪いと叱った時代。農村では家族で食べるものはなるべく自給し、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、息子夫婦、5.6人もいた兄弟、そんな家族が団子になって暮らしていた。でも子や孫たちは、おじいさんや、おばあさんを敬い、その家に伝わってきた漬け物の味、まむしやむかでに噛まれたときの応急処置、風邪の症状にあわせてつくってくれた薬草の煎じ薬、みな見よう見まねで伝承していた。不便なことも多かった。嬰児、幼児の死亡率は高かった、人生50年といわれた時期だった。医療費も貧しい人にはあるとき払いの催促なしの医者もいた。良くも悪くも、当時は家族制度を基盤とした社会システムとしての規範があり、規範に反した者やその家族は村八分とはいわないまでも、集団社会からはじかれた。
 
 やがてアメリカ型の生活スタイルに日本中が憧れるようになり、「便利」「快適」「肉体的負荷の多い労働苦からの解放」「封建的風土の残照の払拭」「なに人も自由で平等な人権」「民意を尊重する政治」などなど、いいことずくめに思えていた=それが当時の「幸せ像」で、シンプルでわかりやすくもあった。
 その幸せを手に入れるには「民主主義という思想」を前提において、「便利」「快適」「効率」に役立つ道具類を機械でつくる。工業化社会を目指した。「生活を豊かにする生活道具の大量生産の実現」。生活者は安くつくられるようになった生活の道具を揃え=購入し、生産・供給する会社の売上はどんどん上昇する。そうなると製造業の若手工員が不足してきて、各社大量の若手社員を採用する必要が生まれ、貧しい地域の若者をターゲットにして集団で採用する「集団就職」システムの出現となった。「ああ上野駅」に象徴される若者人口の大移動と、家族制度崩壊の第一次現象であった。
 やがて都市部では、ブルーカラーに限らずホワイトカラーにおいても、高層集合住宅が団地として国策で開発され、三種の神器=を揃えた核家族の誕生となる。
 この段階で古くから伝承されてきた家族制度は崩壊した。家族制度を中心としたコミュニティのなかで育まれていた「絆」と「連帯」は、実生活から消えた。

 次にやってきたのがバブル経済崩壊後の「日本的経営の崩壊」であった。前段で述べた家族による「絆」と「連帯」は崩壊したが、日本のサラリーマンたちは、会社=昔の藩のような組織のなかで、会社をたより、組織をたより、労働組合の仲間と連帯し、かろうじて「絆」と「連帯」を保ってきた。
 それがバブル景気崩壊という機に、経済成長の見込みがたたなくなり、「終身雇用」「年功序列」「労使協調」という日本的経営を支えた3本柱が維持できなくなった。本来日本の雇用契約では、暗黙の内に、若いうちは労働価値より低い賃金で、実質賃金との差は会社に預けておく。やがで家を建てたり、子供の学資が必要になった頃に、会社に預けていた賃金分を、現行の成果にオンして支給してもらう。そして定年まで解雇することはないという契約。定年の時は、余生を暮らせる退職金、企業年金、厚生年金を用意する生涯保証のシステムであった。
 日本企業の社員たちはそんな会社との「絆」を信じ、世界にまれに見るモチベーションの高い仕事をし、一時は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とまでいわれた。仕事は苦ではなく、仲間と楽しく働ける生活の場であった。
 その時期、私は大手国内系の経営コンサルタント会社で、マネジメント系コンサルタントをやっていたからその当たりの事情、当時のサラリーマンたちの心情もよく承知している。なかには「これほど家庭(家族との絆)を犠牲にして会社に尽くしたのになんということか」と転職勧告された夫婦は抱き合って泣いた。
 日本が世界経済のなかで繁栄していたころは、会社全体であれ、部であれ、課であれ、チームであれ統制のとれた集団主義てあった。工業化社会の模範として、職場における品質改善、作業効率改善、工場内の整理整頓、などいわゆるQC職場内活動で成果をあげ、やがて部分部分の改善から、全体的アプローチに移行し、「改善」から「革新」へと進化していった。
 ところがそれらの経営手法のもとは、アメリカ的合理主義の応用であり、アレンジメントであった。日本はアメリカに学び、アメリカを追い越し、見習うモデルを失った。答えの見えないトンネルに入った。

 そのころアメリカの経営学においても、日本の経営学においても、2つの流れが顕著になっていた。
 1つはいわゆる文系の学者連中で、個々の人間の能力・個性を最大限に生かし、組織とか連携とか絆とかではなく、その人の「個力」を優先して仕事をする流れを勧めようとする人々。「個力」を発揮する条件として、組織とか、会社の制度とか、他者とのつながりとかを頼りにせず、まず自分が自立していること。自己アイデンティティを確立していること。その上で各々の個性・スキルをもってチームとかプロジエクトに参加するという考え。プロのオーケストラの個々の団員と指揮者というような新しい集団。
 私は、日本的経営が破綻してはじき出された多くのサラリーマンを対象に「これからの自主自立のありかた」を企画化して、商品化できないかとコンサルタント会社在籍中に考えたことがあった。
 クライアントの幹部何人かと取材をかねで話し合ったが「いままで会社の方針にさえ従っておれば、会社は何とかしてくれる、という甘え意識を変えない限り無理だ」とみなくちを揃えていった。
 それでもと思い、前掲したこのブログのなかで「PI(personal identity)の確立」とか「自主自立」とか、PIコアの確立方法こそ最も大切と唯識仏教の「阿羅耶識」の概念をアレンジメントして企画したが、大手商社のリストラ候補者ですら、アメリカ的経営学に慣らされたひとたちには理解しがたく相性はよくないだろうといわれた。
 もう1つは、理系の学者識者の科学技術における世界人類への貢献である。文系のイノベーションよりいままでは、はるかに社会貢献、企業貢献は多かった。◯◯テクノと称するコンサルタント会社から、技術を売り物にしている種々の会社。経済学においても、金融工学においても、ファンドの企画設計においても高度な微分積分が使われる。
 聞くところによると、理系と文系を区別して考えるのは日本だけだそうである
 今回の福島原発のアメリカ人設計者は、想定外に起こる事故のためにいくつものバックアップを用意しておくことが科学の限界に対処する科学者の良心だというようなことをいっていた。この考えの根底には、科学技術でつくられた科学の信頼性は、確率論などで判断するものではない。といっているようでもあった。

 民衆同士、隣近所の「絆」は称賛しても、被災者と政府・東電との「絆」の話は一切でない。
 それが日本の「絆」の本性であるろう。
 私はその嘘が剥がれる時期をまっていた。
 だいぶ剥がれてきたようである。
 

 本来日本人が持っていた「絆」とか「連帯」の生活慣習は、このような変遷のなかで潰された。なのに今日の自民党のスローカンに「絆」が掲げられてる。
 そして前号に挙げたように、世界各国からの「絆」の美意識は今日も称賛のメッセージとして早朝のNHKラジオ深夜便のレポーターから流れていた。アメリカのテレビでは、3月11日の東北の被災地の当時の写真と、現在もう片付けれられている同じ場所の映像を放映し、カトリナのハリケーンの被害がまだ片付いていない映像と比較し「日本に勉強にいけ」という被災者の声があったとか。
 その日本人のレポーターは、日本人として誇りに思うという言葉でしめた。

 経産省は、原発事故の対策の報告がでない内に大飯原発の再稼働を決めようとしていた。
 IAEAのストレステストへのチェックは、検査は手順通り行われていた、といっているだけで、原発再稼働を保証したわけではない。

 そんな状況なのに外国からの「絆」「連帯」のエールは、電力各社、政府にとってどれだけありがいとおもっていることか。

 国内での政府・東電に不利な情報は、陰の力で抹消されている可能性は充分ありえることである。

 
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-19 14:59
2012年 02月 16日

絆・連帯

 東日本大震災の一報は、轟きうねる大津波の怒濤ではなく、黒い飛沫が海面をひときわ高くして、岸に向かって何もかも押し流しながら寄せてくる映像であった。それほど速い波には見えないのに、とてつもないエネルギーが堅牢な二階建ての家屋をぼりぼりと飲み込み、なぎ倒しながら形状を崩しやってくる。横倒しになった家屋と鉄製のコンテナーが入れ替わりながら破壊力を一層増している。

 この映像はリアルタイムに全世界に流された。
  
 老人ホームの女看護師が、身に迫る危険もかえりみずお年寄りを車椅子に担ぎ乗せ、男子職員につないでいる。外国人研修工をぎりぎりのところで避難させ、自らは波に飲まれた地元工場経営者。

 これらのニュースを目の当たりにした各国の人たちは、テレビ、新聞、インターネットやブログなどで溢れんばかりのエールを送ってくれた。

 翌日は津波が引き、基礎のコンクリートの残る更地に仮設のテントを張り、ボランティアによる炊き出し、緊急物資の配給が行われている映像が流された。電柱は傾き、電線は垂れ、昨日までの生活の匂いのかけらもなく無機質に広がる大地のみ横たわっていた。遠くに見える静かな海が映っていた。

 そこでの住民は、炊き出しの食べもの、緊急物資の毛布など、配給が全員にゆきわたりはしないと知りながらも、順序よく一列になって自分の番のくるのを待っている。

 またそんな映像を見た世界の人たちは、秩序正しく、冷静な日本人に感激しとてもすばらしい日本人と。他の国の人ならわれ先にと列などつくらず群がり奪い合うのが普通の人間の本性ではないでしょうかと。他の国、他の民族ではとても考えられないことといった人もいた。

 本当の日本人を外国の人たちは知っているのだろうかと、私は思う。
 確かに、日本人はどの国の人でも隣にいる人たちを大切にし、助け合って生きてきた。ある時期を除いて。1890年(明治23年)和歌山串本沖で起きたトルコ海軍エルトウールル軍艦遭難事件。乗員に多くの犠牲者がでた。そのとき串本の村中の人が命がけで乗員たちを助け、暖かい各々の家に向かい入れ、介護した。今も日本とトルコの親交の語りぐさとなっている。江戸の下町の人情は、八っつあん、熊さんの落語のなかで今でも生きている。日本人より日本研究に詳しいドナルド・キーン先生も日本人のすばらしさを再度3.11で再確認して日本に永住されることをきめられたと聞いた。
 私も日本人の遺伝子のなかには、貧しくても、絆と連帯をよりどころに生きてきたという血が民族のなかに流れていると思っている。そのことについては、後々このブログで触れることになるが。

 ところがである。今回の3.11の天災(地震と大津波)と、人災(福島原子力発電所の爆発)はわけが違う。と、私は腑に落ちなかった。

「こんな非常時でも、日本の民衆は絆と連帯を大切にし、怒らず、黙々と足下からの復興を祈り励んでいる」と。そう国内メディアも外国メディアも報道していたが、真実と、隠された嘘が混在した匂いがし、容易に信じられなかった。

 普段なら私は疑いもなく東北の人たちの生きさまに感動し、エールを送れたはずなのに、どこかそれは違うという私の触覚が躊躇させていた。
 ブログに書くとしてももう少し時間が経てば違った確証とか、誰かが情報操作していたこととかが明るみに出るのではないかと、その時期を待つことにしていた。

 そして3.11の日から今日の2月16日になっても疑いは晴れず、そのエネルギーは疑問を追った日々となっていた。

 この9ケ月で各メディアの報道傾向も、書店に並ぶ夥しい数の3.11に絡む書籍も、書店を訪れるたびに刻々と変わっていった。エンドレスの変化を追っているだけでは、書くタイミングも逸するので、取り合えず、この9ヶ月集めた数々の情報と「思索した連想」をシークェンシャルにはならないとしても、アドリブで書き残すことにした。

 
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-16 15:21
2012年 02月 09日

岸恵子

 実はこの原稿、2009年6月27日に掲載していたものでしたが、今回操作間違いで消えてしまい、再度掲載することにしたものです。といいますのは、いま若かりし頃のサルトルとボーヴォワールを映画にした「サルトルとボーヴォワール哲学と愛」が全国上映巡回中で、まだ観ていませんが、この時期この二人が話題になるのは何かの因縁と思ったからです。

 先日NHKのBSで、岸恵子のインタビューがあった。
 彼女は1932生まれだから私と同い年である。
 若い頃観た映画「女の園」木下恵介監督・1954年、「ここに泉あり」今井正監督・1955年・「あなた買います」小林正樹監督・1957年、「雪国」川端康成原作・豊田四郎監督・ヒロイン駒子役・1957年……を通してしか知らなかった素顔を見た。
 1957年に、フランス人監督イヴ・シャンピと川端康成立ち会いの挙式で結婚。以降バリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優をつづける。
 その頃、パリではサルトル、ボーヴォワール、マルローという当時のフランスを代表する思想家たちと親交していた。イヴ・シャンピが自宅に招いての語らいの輪に混じって。そのなかにはたまにイブ・モンタンもきていたと。
 インタビューの言葉のはしばしには、彼らから影響を受けたと思える実存主義的・現象学的匂いを漂わせ、成長し、成熟し、大人の彼女がいた。驚いた。

 当時日本では、マルキシズムに挫折した多くの若者たちがサルトルによりどころを求めて彷徨い、『存在と無』『弁証法的理性批判』小説『嘔吐』などを訳も分からず読み漁っていた。サルトル夫人ボーヴォワール著『第二の性』上下は、多くの若者の支持を得た。

 岸恵子の住まった家には、それらの思想家が集い語っていた。彼女はどれほど大きな影響を受けたか、彼女自身も想像していた域を越えていたのではないか。 
 夫であり監督でもあるイヴ・シャンピを彼女は敬愛し、一女を産んだ。ところが詳しくは語らなかったが、即断行動の彼女は1975年離婚。一人娘は彼女が一人で育てた。

 インタビュアーが「その後はお一人で?」と問うと、すかさず「それでは寂しすぎますわ、本気ではなかったけれど」。ただそれだけのやりとりにサルトル、ボーヴォワールの影響を色濃く受けた大人の女の存在を見た。
 主体性と、自由とあるがままの女。私はボーヴォワールの『第二の性』の記憶をぼーと、やがて鮮明に蘇らせた。

 インタピューは続いた。
「今日の日本をどう見るか」という問いに、彼女は以前イスラエルの首相にインタビューしたときの言葉を例にだし、「日本という国には美しい宝物や、みごとな伝統がある。でも入り口が見えない。窓がない」といったと。
 サルトルは哲学者であり、作家であるが政治に関心の強い思想家であった。そして彼女も政治に関心をもつ女になっいた。そのことが印象的であった。

 これからの日本は窓を開き、風を入れ、日常の風に混ざる非日常の風を掴み、胸一杯に取り込んでほしい。その風のなかには危険もあろう。毒もあろう。でもそれを恐れず世界に向かって両手を広げ、受け入れてほしい。
 今の日本の若者は、携帯電話を手にして下ばかり見て歩いている。上を向き、遠くを見ながら歩こう。そうすれば世界が見えてくる。
 日本人はもっと大人になって欲しい。
 そうすればいつか平和な日々がやってくる。と

 (注)この文章はインタビューの模様を思い出しながら書いたもので、言葉などに間違いがあるかも知れません。たぶんあるでしょう。意味合いは間違ってないとおもいながらも、私というフィルターがかかっていることは事実です。ご容赦ください。

 私は考える、なぜ日本の国に窓がないのか、欧米人に比べてコミュニケーションがへたな民族で、話さなくても態度で分かりあえると思い込んでいる。日本から世界に向かっての発信も少ない。まず日本人としてのアイデンティティも覚束ない。コミュニケーション力の向上とは「思考・感性の外的化のオクターブを高めること」という岸恵子の警鐘と受け取れた。

 ある日本の哲学者が、ギリシャから始まった欧州の哲学は元は同じ。自然とのバランスを失い、行き詰まっていると。
 欧州におけるルネサンスは「自我の確立」であった。それは、自己主張を重んじ、説得のコミュニケーションの確立でもあった。自然との関係においては、人間゠ヒューマニズムが優先で、自然は人間に征服される対象であった。今でも。
 それに比べ日本を含む仏教を重んじる国は「人間は自然によって生かされている」との考えが日常的であり、人間より上位に自然がある。→自然法爾(じねんほうに)
 
 それはさておき、今回のアメリカ大統領選でオバマ氏が勝ったのは「説得のコミュニケーション」から「共感のコミュニケーション」にチェンジしたからという説も聞かれる。

 (注2)もとの原稿は3年前のものであり、3.11の大地震・大津波・原発メルトダウンを経験した今とでは大いに思考モードが変わっていることは確かである。

 3月には京都でも「サルトルとボーヴォワール哲学と愛」の映画が上映されると聞いている。とても楽しみにしている。観ての感想はこのブログに書く予定。
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-09 05:16
2012年 02月 07日

弁証法 その4

 しばらく休んでいましたがまたはじめることにします。
 そしてまたまた弁証法についてです。

 といいますのは、前出のブログにも書きましたが、私にとっての弁証法は決して学術的なもの、オーソドックスなものではありませんでした。自分の世界観、アイデンティティ論、さまざまな企画のコンセプト設定、ピジネス企画ロジック、創造性開発のアイデア、などなど私流の考え方の総体が論理的に整合するものだけピックアップし、勝手な解釈をし、整えるのに大変便利だったからです。別の見方をすれば、私といういたって我流の理屈を本物らしくみせかける方便というか、レトリックといわれてもしかたがないものかも知れません。
 でも私は、この論理のお陰で79歳の今日まで飯を食わせてもらった原点と思っています。

「たとえそれが虚であろうとも、完遂すれば実となる」

 そんな意味のことをいった人がいました。
 いくら学術的に評価される哲学であったり、論理学であっても、実用化しようのないものは私にとっては興味が湧きません。アメリカでいわれる実用主義゠プラグラティズムに似ているのかも知れません。成果主義に似ているかも知れません。新自由主義的かも知れません。
 でもここでは、あくまで私にとってということです。先に挙げたものに似てはいてもきっと少しづつ違うでしょう。また私が無用と思っても他の人がその知識をアレンジメントして実用化することもあるでしょうから。

 私にとっての弁証法とは、私というパーソナリティにデフォルメされたレトリックも含む論理です。

 このような私流の弁証法でも私が得をした例

1.学生時代一時期マルキシズムに傾倒し苦悶はしたものの、この論理を使って健康的、生産的に 社会適応ができたこと。
2.戦略的問題から戦術的問題および作業レベルの問題まで、問題解決を実行する論理的ストーリーの原理を提供してくれた      
こと。
3.問題洗い出し法とか、KJ法とか、VEの目的と働きの展開法、などと組み合わせが容易で、これらと統合すれば実行性の高      
いプログラムがつくれたこと。
4.問題解決のための手順が組み立てやすいこと。
5.対意語、対意概念およびテーゼ対アンチテーゼの連想訓練などで創造性開発に役立てられる。

  など

 ご存じの方も多いと思いますがここで一般的に唱えられている弁証法について述べておきます。

       テーゼ゠あるものごと(ある事柄)──────────────── 問題の提起(正)
       アンチテーゼ゠テーゼに対して矛盾する事柄───────── 問題の発生(反)

       この相対する事柄を対立させる、闘わせる

       アウへーベン゠止揚 そうすることによって矛盾が解決する

       ジンテーゼ゠統合する─────────────────────── 問題の解決(合)

 これでは使いにくいです。

 そこで前掲ブログの「弁証法 その1」の下の方に「弁証法5段階」というのがありますのでご覧ください。これは瓢箪から駒がでたときの私の理解した五段階でした。説ではないので説とはしていません。

 再掲しますと、

 1.同一性
 2.差異性
 3.矛盾
 4.対立
 5.発展

 1から5までをストーリー化しますと、
「黄色と三角は比べようがない、従って矛盾も対立も発展もしない。発展までゆくための条件としてやはり同種類の事柄でなくてはならない」(いま考えるとややむりがある) 
「同種類ではあるが違いがあって、相性が悪く矛盾を内在している」
「その矛盾が噴出して互いが対立しあうようになる」

 ここでアウへーベン(止揚)

「そうして新しい価値が創造される」

 これが私流にデフォルメした弁証法でした。

 1から5までのストーリーは、健全に問題解決していくための大筋であって、ネガティブな問題でもポジティブに解決しようという意志が込められているものです。
 したがって実践で活用する場合、アドリブ的さばきの技量は求められます。

 こういう思考をしていた私ですが、論理のスケルトンをプロジエクトの現場とか、会議に持ち込んだことはありません。これは背景にもっていたいわばセルフマネジメント、セルフコントロールの方便でもあったのです。

 この思考の鬱陶しさはあります。好きな人嫌いな人、いや好まない人の方が多いかも知れません。
とくに若い人たちには。
 鬱陶しさの最大の特徴は、概して現実の散逸した問題であったり、現象であったりするものと、ありたい姿との論理的距離が遠すぎて、実現可能な計画には、幾重ものブロセスを用意しなければならないところにあると思います。

 日本人は特に面倒なことを嫌い、長期にわたった計画の遂行はへたのようです。
 アメリカの合理主義には限界が見えたといわれながらも、今回の原発に対するアメリカの科学者は、幾重ものバックアップの必要性を感じ用意すべしという強い意志を持っていたことは事実のようでした。


      

 
[PR]

by kuritaro5431 | 2012-02-07 19:30