哲学から演歌まで  

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2009年 04月 27日

私の怨歌の源流はこの和讃にある

 37年前の2月、私は生まれて3つきの長男を亡くした。
 火葬にするとみな灰になり、なにもかも残らなくなるからと、田舎の父が役場に掛け合い、土葬の許可をもらって待っていた。
 小雪の舞う墓地に、友人がくれたおくるみを着せ、小さい柩に入った嬰児は、深く掘られた赤土の穴にロープで降ろされた。
 これだけの年月が経ったのに、その子は、薄紫のおくるみのままでいた。


                       賽の河原の稚児和讃

 1, これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語り 聞くにつけても哀れなり

 2. 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが賽の河原に集まりて親を尋ねて立ちめぐり

 3. 峰の嵐の音すれば 父かと思いよじ登り 谷の流れを聞くときは 母かと思いはせ下り

 4.西や東とかけめぐり 手足は血潮にそめながら 父上こいし母こいしと叫べども

 5.影も形も見えざれば 泣く泣くその場に打ち倒れ 慕い焦るるふびんさよげにあわれな幼児が

 6.河原の石をとり集め これにて回向の塔を積む いちじゅう積んでは父のため 二重積んでは母のため

 7.三重積んでは故郷の 兄弟我が身と回向して 昼は独りで遊べども  日も入相のその頃に 

 8.地獄の鬼が現われて 積みたる塔をおしくずし また積め積めと責ければ 幼児余りの悲しさに

 9.紅葉の様な手を合わせ 許し珠恵と伏し拝む 折しも西の彼方より、光明輝き尊くも

10.大慈大悲の地蔵尊 現れいでさせ給いつつ 眼に見てる慈悲の色 たとえかたなき御涙

11.ようやく歩み近づきて 大悲摂取の手をのべし 幼き者を見衣の 袖に抱えて撫でさすり

12.育て給えば幼児は いまはみ親のふところに こころのままに喜びて 楽しみ尽くることぞなき


  霊山恐山物語より、一部平易に訂正。


 
 2013.2.9追加記事

 恐山については若い頃から強い関心を持っていた。
 2012/04/20出版の、南直哉著『恐山』は、その月に即読んだ。まさに「目から鱗」の思いで読み終わった。
 それは、「死者のゆくあの世はあるのか」という疑問といえば疑問のようなものであったが、まさにだれも経験したことのない純粋の「形而上世界」である。自分としては「あの世はない」との思いのほうが強かった。
 でも生後3月で亡くなった長男の生前の面影は忘れられない。

 南直哉僧は、恐山菩提寺の院代である。
 閉山の冬季を除き、多くの縁者が恐山を訪れる。みな死者を思ってやってくる。生者が死者を思う念力が「あの世があると思わせる」。恐山はあの世と一番近い山。ひょっとすると逢えるかも、と。イタコの口寄せ聞けば、その声はと思い、人の想像力は素晴らしい。

 その本のなかで著者は、「釈尊は、あの世があるともないとも答えなかった」「答えないのが答えだと」「あると思えばあるだろうし、ないと思えばないだろう」と。それは「無記」という、と。

 実は私の一つ上に兄がいて、同じく一年も経たない夏、脳膜炎で亡くなっていた。
 百歳まで生きた私の母は、ずーっと忘れられなかったといっていた。
 87歳で亡くなった父は、孫を亡くした悲しみより、子を亡くした悲しみを一生思いつづけることになる私が、不憫といった。

 私も父の歳まで後7年。母の歳まで20年。
 妙に、死への恐怖はみじんもないが、痛みは困る。

 死後は、長年鯛釣りに通った若狭の海でとめどなく漂いたい。
 30頭ものイルカの群れがいたっけ。

 そこはあの大飯原発の沖。その頃は放射能に村も海も汚染されイルカの群れもいないだろう。
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by kuritaro5431 | 2009-04-27 16:28
2009年 04月 27日

演歌の源流

 1 韓国の音楽に、演歌によくにたものがある。日本人なら共通性を感じるであろう。
パソリとよばれる伝統的な語り物である。パソリを唄えるようになるには、人生の全てを賭け、喉が潰れるほどの修行が必要である。
 演歌との違いは感情表現にあり、演歌は感情表現を抑えて歌うのに対して、パソリは詫びや寂び、人生の苦悩などを思い切りぶっつける芸術で、パソリと演歌の違いは国民の精神的特色の表現だというならば、演歌のルーツは韓国にあといえる。

 2 演歌の特徴「こぶし」は、ビブラートと異なり、心の襞を表現する微妙なふしまわしで、演歌には欠かせない。
 お経の旋律も仏教音楽である。2400年ほど前のインドの声明が原型である。
 西暦552年仏教伝来とともに日本に伝来したこの音楽が、日本の風土のなかで、謡曲、長唄、浄瑠璃などの音階の基礎となり、演歌の音階や「こぶし」となって発展した。

 3 1921年(大正10年)の「船頭小唄」から完全な「ヨナ抜き音階」が確立した。日本の伝統音楽である都節(陰旋法)にもっとも近かったため、日本人の昔ながらの好みにあい、哀愁や三味線調を強く感じさせた。

  
  このように演歌は、日本のみで作られた音楽でないことが分かる。
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by kuritaro5431 | 2009-04-27 15:07
2009年 04月 27日

演歌・艶歌・怨歌

 私は演歌が好きだが音痴だから歌えない。
 哲学の本を読んで、疲れたら演歌をラジオで聞いた。「別れ」「涙」「港」「雨」「酒」「夜霧」「雪」「夢」「寒い「暗い」「寂しい」「荒い」・・・・・・日本海、北国がよく舞台になる。南国ものはない。

 学生のころ、下鴨の電車通りにときに夜店がでて、中古で胴に亀裂のあったギターが安く売られていた。学生の小遣いで買える値段だった。弾いてみると鳴った。
 下宿では人のいない昼間に易しいギター用の楽譜をつま弾いた。初めて弾いた曲が、古賀政男の「影を慕いて」だったか。慣れてくると田端義夫の「かえり船」が弾けるようになった。前奏曲が気に入って何度も弾いたものだった。

 今の若い人は「演歌はダサイ」という。作家の五木寛之さんが講演で、なぜ演歌が廃るのかと嘆いたとの話を聞いた。「あんなに日本人の魂に響く音楽がほかににありますか、残念です」と。
 今年の一月頃、NHK「ラジオ深夜便の歌」に、五木寛之作詞、倍賞智恵子の歌う「冬の旅」というのが流れた。とてもいい歌だったので歌詞を紹介しておきたい。。

    越後はつついし 親不知(おやしらず)
    はるかな波間に 日が沈む
    ひゅるる ひゅるる
    寒い風が 吹くだけ

    あなたと旅した思い出を
    たずねて ここまできたけれど
    ひゅるる ひゅるる
    夜の海が 鳴るだけ

    こんなに愛しても 心がとどかない
    これから私は どうすればいいのでしょうか


    東へむかえば 糸魚川(いといがわ)
    直江津あたりで 雪になる

    ゆらり ゆらり
    遠い灯り 揺れてる

    むかしの瞽女なら迷わずに
    信じて 歩いていくでしょう
    ゆらり ゆらり
    わたし 明日が見えない

    こんなに愛しても 心がとどかない
    これから私は どうすればいいのでしょうか

  演歌には「ヨナ抜き音階」はつきものだ。
 西洋音楽の7音階から第4音と7音をはずし、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする5音階音楽。これが古賀メロディとして定着した。なじみ深いものとして「影を慕いて」「悲しい酒」「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」がある。「ヨナ抜き」は、スコットランド、アイルランドにも多いらしい。
 韓国では日本の「ヨナ抜き」が韓国演歌(トロット)の源流であるという説が1906年ごろ話題になっいてる。
日本では、演歌の源流は朝鮮半島説が有力だ。

 演歌=こぶしをきかせた歌い方で、心情を歌う日本の流行歌。
 艶歌=女の情念を歌った歌。
 怨歌=だれかへのうらみをうたった歌。五木寛之の造語。

 久しぶりに怨歌といわれた藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」を聞いてみた。
 
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by kuritaro5431 | 2009-04-27 13:04
2009年 04月 26日

弁証法 その2

 弁証法を学んだお陰で、闘争的な性格が台頭した。何事においても、健康的で発展的でなければならないと。いろいろの物事には、矛盾や対立するものがあって、それらとの戦いに勝てないと発展はあり得ない。
 その戦いのストーリーは、まさに五段階論理そのものに適合した。
 ここでは、何を正義と考え発展させるか。集団の大小にかかわらず、なにごとにつけても今までの体制をよしとし、そのなかで一部の人間がこころよしとするありかたは、誠よくないと考えた。
 「だれもが平等にこころよくモチベートして成長してゆける集団に変えて行く」べきだと考えた。
 映画クラブ集団でもそうあろうとした。

 その考えは、マルキシズムを学んだことから大きく刺激をうけたことは間違いなかった。

 でも、当時の政治、社会の体制が、資本主義体制の矛盾によって起きているとは思っていても、日本共産党の政治活動には、どうしても共感できず。行動をともにすることはなかった。

 でも、マルキシズムには大いに賛同し、「正義の発展」をこころざし、そうした映画の合評会では、大いに評価し、肯定論をぶち上げた。そうした映画の讃歌論の論文を機関紙によく書き、書くことと主張のための議論に力をつけた。

 サロンのような議論を嫌い、人間・社会発展のための議論に加わらない者は、受け身で消極的な人間としてあからさまに批判した。

 その後就職し、書くことの多い仕事に就いたこと、会議をよくやる会社で、よく参加させられたとき、梯先生の五段階弁証法で論理が組み立てられ、正論らしく発展・繁栄を目的とした議論が組み立てられたこと。参加者たちになるほどとおもわせられたこと、などでどれほど我が身が救われたことか。さらに、転職して、マネジメント・コンサルタント会社に入ってからは、ますます五段階のロジックを実務化させ、構造化し、大型案件の問題解決にも役立たせた。
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by kuritaro5431 | 2009-04-26 22:34
2009年 04月 23日

弁証法 その1

 昭和28年、京都下鴨で二階に六つの和室のある学生下宿に入居した。
 ある日の昼下がり、向かいの部屋で碁を打っていた二人がいて、後で年上の学生と替わった。替わってくれた学生は、年上の学生を、学生劇場という劇団で、アクターをやっていて、日本共産党の党員だと紹介した。
 本棚にはマルクスやエンゲルス、レーニン、ヘーゲルなどの本が埋まっていた。
 一局の碁が終わり、二人から史的唯物論や弁証法的唯物論の話をはじめて聞いた。
 年上の学生に「弁証法論理学は、世界のあらゆる具体的なものが認識できる方法論で、発展に関する法則の科学といえるので、是非関連の本を読むように」といわれた。
 私は、あらゆるものに適用する発展の法則の科学という言葉に惹かれた。
 それからは、機会あるごとに、マルクス弁証法の本を読みかじった。興味のあるところだけ深読みした。理解しがたいところは何度も読み、なお分からないところは、向かいの部屋の年上の学生に聞きにいった。弁証法に一番関心がもてた。弁証法はいろいろな哲学者が論を展開していて分かりづらかったが、疑問のところは、図書館や関心のあるページだけを本屋で立ち読みした。
 向かいの部屋に年上の学生の友人がよくきていて、彼らの話を聞いて磨かれた。
 それからは学生運動も活発化して、2・3度デモに参加したがそれ以降はデモにはでなかった。
 
 2年が経ち、3年が経ち4回生のとき、前述の梯明秀先生の後期だけの特別講座が開かれ、参加した。
 梯先生の話では、弁証法に関する疑問が解け、目から鱗が落ちる思いだった。
 それは、「弁証法の五段階」というものだった。
 1,同一性(同種類の事柄)(同一性のものでないと発展のしようがない)
 2,差異性(それでいて異なったもの)
 3,矛盾(それらが互いに問題を抱えている)
 4,対立(やがてそれらは、紛争の関係になる)
 5,発展(そして、矛盾も、対立も越えて、新しい価値を創造することになる)
 正確だったかどうか疑わしいところがあるが、先生はそういわれたと記憶している。

 でも、どの哲学事典、弁証法の書物を見ても、「弁証法の五段階説」なるものはなかった。書物ではたいてい三段階説で述べられていた。でも、私には、五段階なるものがよく理解できた。

 私は、哲学の研究者として行くわけではなく、弁証法を一つのツールとして、実社会のなかで、仕事のなかで役だたせればこの上もないこと、きっと使えそうと確信のようなものを感じていた。
 梯先生が、その人には論理的相性というものがあるというようなことをいっていたので、そうだ、自分のパーソナリティが呼んでいると思った。
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by kuritaro5431 | 2009-04-23 19:18
2009年 04月 19日

記憶と忘却とバーソナリティ

 この3つの言葉は、私が青年期のこころに衝撃的に刻まれたものだった。76歳になったいまでも、ときに頭をもたげる。良きにつけ悪しきにつけて、終始この言葉に支配されたのは30歳から40歳ぐらいだった。

 記憶という言葉を強烈に意識し始めたのは昭和34年日本で上映されたアラン・レネ監督の原題「ノーモア広島」日本名「二十四時間の情事」。主人公の原爆体験が、時間が経っても意識の奥底でいつまでも把時され、蘇る。記録ではない記憶なのだ。記録は図書館や記録映画のなかにある。でも、人間の記憶は深層の心のながに沈んでいる。それが外界の刺激によって再生される。
 時も同じ頃だったか、ピカソのゲルニカの壁画が京都市立美術館にやってきた。ピカソの祖国ゲルニカがナチスに爆撃され、悲痛に悶える市民が壁いっぱいに描かれている。まさに、ビカソが忘れまいとする心がみなぎっていた。

 忘却という言葉に出会ったのは古い。
「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓うこころの悲しさよ」「君の名は」のラジオドラマがはじまると、この言葉が流れる。
 たとえば、悲しい恋の別れ、愛する人に刃物で刺されるような言葉を吐かれたとき、鬱病が3年も治らず苦しんだ人とか、でも多くは時の経つことで忘れられる。忘却という作用なくして人間は生きられようか。忘却とは、仏が人に与えた救いではなかろうか。

 パーソナリティという言葉を、哲学の論理の講義のなかで聞いたのは、初めてだった。大学四回生の「経済哲学」の特別講義で、当時マルクス、ヘーゲルの弁証法研究で有名だった梯明秀先生に、私は質問した「ヘーゲル弁証法の行く先は神で、マルクス弁証法の行く先は、なぜ現実に戻るのですか」と、すると先生は、「ヘーゲルの論理は、下から上に上昇し、フェティシズムという論理的空洞を通過して神にいたる。マルクスはフェティシズムという過程を通過して現実に戻った」といった。
「フェティシズムという空洞には論理が存在しないとするならば、ヘーゲル弁証法とマルクス弁証法の論理的論証はできないではないですか」と私が問うと、「その通り」といった。 
 「ではヘーゲルとマルクスの違いはどこからくるのですか」と尋ねると。
 「それは、ヘーゲルとマルクスのパーソナリティの違いからきているんだよ」といった。
 その言葉には驚いた。論理的空洞のある哲学があるとは。
 それからというものは、人間その人が論理を選択するとき、バーソナリティが決定するものだと。

 フェティシズム=物神崇拝。マルクス経済学では、商品が人間の労働による価値を通じてではなく、それ自体固有な神秘的な力を持つと考えられて、崇拝される対象になる。崇拝という行為には論理はなぃと私はおもった。だから先生は論理の空洞といったのだと考えることにした。

 パーソナリティもまた生まれつき思考回路が人それぞれに違っていて変わることはない。思考回路や価値観は、ハーソナリティによって規定されている。だから論理としては空洞というのだろう。私はそう考えた。
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by Kuritaro5431 | 2009-04-19 11:15
2009年 04月 15日

仕事のない日

 ある時期、マルクス弁証法、マルクス美学、ヤスパースの本などにのめり込んだ。
 昼は寝て、夜起きて読み、感じたことを日記に書いた。日によって30ページにもなった。
 日記は原稿用紙になっていて、「ポジの日記」と「ネガの日記」に分けていた。日付なしの場あたりのものだった。

 そのころは一般の学生から左翼活動はだんだん弱まり、一部の学生たちだけが独特の字体の看板をだしたり、黄色い声でなにやら唸っていた。
 一・二回生のころ2.3回はデモに参加したものの、活動するより、思索する方が性に合っていた。私の性格は本来内省的な傾向が結構濃かったからだろう。だから外向的性格に改造しようと試みていたのだ。
 マルキシズムの哲学や、マルクス弁証法には、随分共鳴したが、共産党の活動には共鳴できなかった。
 升目の荒い論理で現実を掬っても、その網の目からリアルにとらえなければならない真実が、ザアザアとこぼれ落ちてゆく姿を想像し、共産党とは遠ざかっていった。

 とはいえ、特にマルクス弁証法は、自己改造にも、仲間との議論においても、ものごとを生産的、能動的、創造的にとらえようとする傾向が好ましく、そして動的・発展の論としてますます興味を深めていった。

 その後、若者たちは、マルキシズムという支柱、神通力を失い気力も衰えていった。
 なかには、網の目の細かい掬い玉をもった現象学にあこがれ、映画も文学も抽象化された本質や、典型より、雑巾でなでたような現実のなかに本質があるのではと関心をもちはじめた。

 私にとってのマルキシズムは、哲学と科学的ロマンチシズムの象徴としての憧れを残しながら、論理学としてのマルクス弁証法にどんどん興味が傾いていった。それはさまざまな問題解決のための基本的論理の原理として極めて広い汎用性があると感じていたからであった。
 
 他方、私にとっても、存在論や現象学は、憧れではあったが、感性的才能が要求されそうな論理で、その才能に乏しい自分は、まだまだ勉強不足なことと、使えそうな感触がもてなく、まだ認識論的思考のほうが性に合っているかと、迷っていた。でもこれからの時代、現象学的認識なしに進めないだろうことも感じていた。

 その後、就職し半年ばかり営業の仕事に携わったが、商人的遺伝子が両親のどちらの祖先にもからけしないことを改めて確認し、確証のない根拠とはいえ商人的処世術のなさに、耐え難い思いをした。
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by kuritaro5431 | 2009-04-15 12:27
2009年 04月 15日

昭和32年頃

 私大の経済学部を卒業して、学生時代の下宿をでて、管理人のいないのほうずな下宿に引っ越した。
 就職した会社の仕事が性に合わず、6ヶ月で辞めた。今でいうフリーターのような仕事で食いつないでいた。
 仕事というのは、学生時代映画研究のクラブにいて、卒業した先輩が洋画の配給会社の宣伝部にいて仕事があると呼び出しの電報をよこした。よく仕事をくれた。

 小屋(封切り館でない映画館=2番館を小屋といっていた)のモギリ(入場券の半券をモギリながら入場者数を数え、興業収入を、配給会社に報告する仕事)というのは、配給会社直営の封切館での入りぐわいで、小屋に貸し出すフイルムの貸料が決まる。封切館で大入りになった映画はフイルム代が高くて小屋は借り料が払えない。そんな場合、小屋と配給会社で歩合の興業をやる。小屋は入場者数をごまかして少なめに配給会社に報告しょうとする。その見張り役をするのがモギリである。市内なら日当250円から300円ぐらいだったか。
 地方の小屋でのアルバイトは宿泊代込みだったので、1日に3000円ももらえた記憶がある。当時大卒の初任給が、12.000円ぐらいだったからいい実入りになった。なかには、ヤクザまがいのお兄ちゃんがいて、見張りをさせない。小屋同士で発行しているパスを持たせ、小屋から追い出す。夕方になればそのお兄ちゃんが作文した興行収入の電報を、配給会社に打つ。配給会社もうすうす知ってやっていたのだろう。
 地方のあくどい小屋主のなかには、モギリのアルバイトに女をつけて、汚らしい連れ込みホテルに閉じこめて、酒と女と場末の料理にひたらせる。配給会社からロードマンが巡回してくるときだけあたかも毎日もぎりをやっているように、アルバイトを入り口に立たせる。ロードマンも金をつかまされ、お互いなれ合いのようだった。

 通常は、自分で旅館を探し、朝昼番の食事も自分持ち。旅館代、食事代など小屋持ちなら、日当はかなり余った。一週間の予定の上映が、3週間ものロングランになれば、仕事なしで2ヶ月は食えた。
 3週間もいれば小屋主とも親しくなり、別れ際には結構な金一封もくれた。

 
 そんな時代にも、一流企業志向の者はいた。でもみななんらかの志を高くもち「将来の生活安定のため」を上位においている者は少なかったと思う。中堅企業に就職した者も、たいていは入社してから志の高い目標を設定し、現場の実務を習得しながら上昇志向の弧を描いていた。
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by kuritaro5431 | 2009-04-15 09:01
2009年 04月 13日

目次


2009.4
……………はじめに
……………昭和32年頃  
……………仕事のない日
……………記憶と忘却とパーソナリティ
……………弁証法 その1
……………弁証法 その2
……………演歌・艶歌・怨歌
……………演歌の源流
……………私の怨歌の源流はこの和讃にある

2009.5
……………自主自立してゆくしかない時代
……………日本刀との出会い
……………阿頼耶識 あらやしき
……………弁証法 その3

2009.6
……………方法論の進化

     (しばらく休んでいました) 

2012.2
……………弁証法 その4
……………岸恵子

     (ここから東日本大震災関連)

……………絆・連帯
……………日本人の「絆」と「連帯」の変遷
……………天を恨まず
……………怒らないこと

2012.3
……………つつましく怒らないことがよいとは限らない

2012.4
……………どの情報もあてにならない                  
……………どの人がほんとうのことをいったかいずれわかる
……………地元に残るか 安全な地で暮らすか
……………電気のなかった暮らし (1)
……………電気のなかった暮らし (2)
……………ライトノベルとお仕事小説は水と油

2012.6
……………大飯原発再稼働へ
……………やはり世界を支配するものはシャクティ(パワー)であったか
……………冲方丁氏がコラムに書いたノマド
……………ノマドの可能性と課題
……………今日も気になることが駆け巡る

2012.7
……………権力への欲望がオーバーシュートするとき
……………漱石もマックス・ウエーバーも現代を予言していた (1)
……………漱石もマックス・ウエーバーも現代を予言していた (2)
……………漱石もマックス・ウエーバーも現代を予言していた (3)
……………漱石もマックス・ウエーバーも現代を予言していた (4)
……………「ペンディンク・タグ」を貼りまくる
……………今この時点の私の「ペンデング・タグ」
……………加藤登紀子のこよなき健全性
……………「マルチ」と「ノマド」の意外な関係性

2012.8
……………比叡山麓のお寺の鐘が今年も鳴った
……………東電3.11当日の録画一部公開
……………アメリカの合理主義の典型に反発した想い出
……………名著『大工道具の歴史』の復刊・そして今の私 (1)
……………名著『大工道具の歴史』の復刊・そして今の私 (2)
……………掌編小説・習作  肥後守
……………掌編小説・習作  書斎机
……………掌編小説・習作  首なし塚
……………私の考えた「自立」とは? (1)
……………私の考えた「自立」とは? (2)
……………私の考えた「自立」とは? (3)
……………「沈む大学院」連載記事からの連想
……………新卒ニート3万人───教育・就職 橋渡し欠く

2012.9
…………… 「自立」と「実学」との関係
……………「実学」参考情報
……………3.11あの日から今日で527日
……………震災直後にメモった3つの話
……………世界で自殺者の最も多い日本
……………私の考えたことのある自殺対策
……………世界のなかの日本───尖閣問題
……………大学祭で就活の……
……………[族]と[縁]を考えるその周辺
……………就活に最も有効な「問題解決力」とは

2012.10
……………「チャイナ+1」と「ビルマの竪琴」
……………今日は「体育の日」
……………平野啓一郎氏のアイデンティティ論「分人」
……………世界を五つの社会類型で観る
……………3.11直後の私を「縄文・蝦夷文化・日本の深層」の本が直撃した

2012.11
……………『日本の深層』からとほうもない虚実のイリュージョンが浮かぶ
……………蝦夷(エミシ)の英雄アテルイ  (その1)
……………蝦夷(エミシ)の英雄アテルイ  (その2)

2013.1
……………ペンディングタグがあまりにも溜まって  (1)
……………ペンディングタグがあまりにも溜まって  (2)
       (東洋的「無」の出所は近代西洋にあり)
……………亭主もつなら堅気をおもち

2013.2
……………NHK時代劇の「火怨・北の英雄 アテルイ伝」を観終わって
……………演歌は日本の知識人において蔑視されてきた
……………「演歌」「怨歌」のものがたり
……………今をリアルに生きるとはどういうことか
……………混沌の今、どう生きる…………(前号のつづき)
……………実はこのブログで、ひっくり返しを試してみたのだが

2013.3
……………今日はあの日から丸2年たったのにいまだ「百家争鳴」

2013.5
……………七十四日間ブログが書けなかった理由 (1)
……………七十四日間ブログが書けなかった理由 (2)

2013.6
……………つながりを変えるより現状維持がいい

2013.8
……………戦後第一世代という世代
……………宮崎駿の「風立ちぬ」を観て(前号につづく記事として)
……………「今でしょ」林修の論理術
……………藤圭子が昨日亡くなった

2013.9
……………関東大震災の「記憶」と「忘却」
……………実証主義の社会学と虚実を肯定した日本思想──日本のジレンマ
……………1972年から私が選択した働き方 (その1)
……………1972年から私が選択した働き方 (その2)
……………1972年から私が選択した働き方 (その3)
……………1972年から私が選択した働き方 (その3-2)
……………1972年から私が選択した働き方 (その4)
……………1972年から私が選択した働き方 (その4-2)
……………「半フリー契約」の働き①
……………「半フリー契約」の働き②
……………「半フリー契約」の働き③

2013.10
……………「弁証法的論理」再考①
……………「弁証法的論理」再考②
……………「弁証法的論理」再考③ーー10.27「排中律」に関し記事なかに追加した
……………みずほ銀/から思うこと

2013.11
……………エッセーを数分読めばどんな学生かわかる
……………もう一つの「断捨離」

2013.12
……………「双極性」という言葉の概念化の効用とリスク

2014.1
……………職業としての政治家の倫理・「責任倫理」と「心情倫理」
……………アニメ「風立ちぬ」の3つの評価

2014.2
……………「問題解決力」と就活(その2)
……………「就活」そしてそのさき「問題意識」(その3)
……………「黒白(こくびゃく」)」と「白」(しろくろ)」

2014.3
……………小説 村のお宮
……………デジタル解毒ックス
……………「課題解決力」なんて言葉はない。
……………新入社員のゴーデンウィーク
……………新入社員でも知っておきたい経営用語

2014.4
……………混迷の今、自分の言葉で考えるしかない

2014.5
……………他者を傷つける言動を避ける───こととは
……………「人間の志向性」とは

2014.6
……………いろいろあった「フェティシズム」論 (1)
……………いろいろあった「フェティシズム」論 (2)
……………いろいろあった「フェティシズム」論 (3) 

2014.7
……………いろいろあった「フェティシズム」論 (4)

2014.8
……………日本刀の誕生から量産された太平洋戦争の軍刀まで (1) 
……………日本刀の誕生から量産された太平洋戦争の軍刀まで (2) つづき
……………自慢の「自分史」書きたい男の本能

2014.9
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by kuritaro5431 | 2009-04-13 17:10
2009年 04月 12日

はじめに

 このブログの題名を考えたとき、こうしょうと思ったのです。「哲学」という言葉と「演歌」という言葉を入れようと。

 私の「哲学」にもった期待というか、印象というかは、学術的な興味ではなく、私がそのときときに悩んでいたことや、やっかいな疑問についての解釈・解決のためのネタ探し、ヒント探しでした。いろいろなネタやヒントがあるので選んで試してみる。
 その悩みとは、いたって個人的なものから、いたって社会的なものまででした。
 そのなかには、私が、また人間が命をつないでゆくことのむつかしさとか、生活の糧(収入)を得るための知恵に何が必要かとか、また私のまた人間だれでも持っている生命賛歌のエネルギーを支配し抑圧したりする権力への怒り、などがありました。
「これらの悩みに押しつぶされてはならぬ」が、私を「哲学すること」=「自分流でもいい、とにかく考えること」のエネルギー源でした。その結果得られた仮説を試してみる。現場で、「自分にとっても集団にとってもなんらかの建設的効果が得られる方法が見い出された」かを自己評価基準としました。
「哲学する、とはとめどなく考えるエネルギーの持続によって己の命のモチベーションを高揚する作業」と私は考えました。思考のプロセスも、結果も自己責任の下で。
 自分のいる現場で役立つ知恵を、時代時代の流行りのハウツウに求めても空しい。いたってベーシックな知恵こそ汎用性の効くものと体感してきたからです。そのことは間もなく80歳になる今も変りません。

「演歌」についてのイメージは、日本的情念を内包した感情領域の典型のように私には思えます。
「情念」という言葉には「抑えがたい愛憎の感情」と「感情から湧く厭世的イマジネーション」の2つがあるようです。そのなかの「愛憎」には、男と女の不条理と、古代世界史も物語る支配者と被支配者の何千年もの怨み、日本人にも古いDNAに意識を越えて記憶された悲しみがあるのでは。
「感情から湧くイマジネーション」には、恐ろしく厳しい自然と優しい恵みの自然。原始共同体的社会のなごりと掟。そして遡れば渡来民族の旋律・音階とつながる演歌。

 そして「哲学」←→「演歌」との間に何万もの人間の生の営みに纏わるのっぴきならない事柄が3次元的に存在し、そんな曖昧模糊の世界が境界なしに存在している。

 これから書こうとするこんな内容が、ブログに適しているものなのか、メールマガジンに適しているものなのか、それともホームページがいいのか分かりません。きっとブログらしくないブログになってゆくと思います。

 この形式は、ブログとはいえ、時系列になっておりません。そのつど思いついた関心事を、ランダムに取り上げてみる予定です。時間は改行なしに、過去・未来・現在に飛ぶかも知れません。ノン・ストーリーの出たとこ勝負、よし!と。

 関心事には「かなり長期間継続してもっていたもの」「自己の成長過程で変わってきたもの」「時代の影響を受け変わったもの」「短期的ではあるが強い衝撃を受けたもの」などがあります。
 それらを列記してみると次のようになるかと思います。

 ・パーソナリティと自己アイデンティティの関係
 ・社会的存在としての私と、他人が代行できない私
 ・他者・社会への役立ちの大きさにリターン(金銭的報酬・精神的心理的満足)は比例する?
 ・ポジティブシンキングにあるリスクとは
 ・他者の悲しみのわかる人間=ネガティブシンキングの肯定→清らかな厭世→演歌 
 ・説得のコミュニケーションと共感のコミュニケーションの違い
 ・マクロコスモス(宇宙)もミクロコスモス(人間)もすべて「力」(シャクティ)によって定まっているという説?
 ・自己に内包する毒を排除しようと考える人は、己の生命力を弱める?
 ・どのような社会形態の国でも経済成長なしに存続できない?
 ・経済成長の必須要件は「人口」と「イノベーション」?
 ・イノベーションには文明的(工業化)技術のみならず、文化的技術も含む 
 ・イノベーションの源泉はその国の、その会社の個々人のモチベーション力の総和?
 ・個々人のモチベーションは、いたってパーソナルな思考構造で決まる?
 ・パーソナルな思考構造は、深層の心(例えばあらやしき=魂の住み処)の働きで決まる?
 ・経済を成長さす原点は、問題の気づき、問題解決、改善活動から(帰納法的)
 ・システム(制度)設計は、あるべき姿とか目的を定め、それを達成するための手段計画(演繹法的) 
 ・専門化・精密化した学問領域を哲学が統合できるか?
 ・成果・結果(OUTPUT)のでない知識は合理的といえない?                 
 ・ストレスの多い世の中で生きるには「しなやかに、バランスよく」がポイントか?      
 ・「怒らない」国民が多い国はリスクの大きい国と他国が見る?            
 ・草食系・肉食系。これからの日本の若者男子は雑食系に? 
 ・「銭に対する感覚」が、生きざま、品位、プロ意識、幸福感、など重要な生活意識を決めている 
 ・利権者、支配者の都合で民衆心理を操作する者を憎み、闘う?

  などです。 

 原稿に対するご意見、ご感想はメールでお願いします。 fmc@ma3.seikyou.ne.jp 福島丞(すすむ) まで。
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by kuritaro5431 | 2009-04-12 17:17