哲学から演歌まで  

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2015年 07月 10日

なでしこジャパン宮間あや選手の「意」

 3ケ月ぶりです。休んでいたわけではありません。その理由は後段で───

 なでしこジャパンとアメリカ戦の闘いを終え、帰国会見で記者が問うた「決勝戦で得たこと、なんでしたか」という言葉に「なにもありません」とはっきりいい、そのあとの言葉は付け加えなかった。

 以下は、私の感想。

 さすが日本の「なでしこ」。仲間をおもいやり、応援してしてくれたなでしこサポーターの人たち、そして私たちに力強いエールを送ってくださった日本人のみなさんに心からのお礼を───その言葉も伏せて、佐々木則夫監督の話を聞いた。慎ましく強い本来の日本女性だ。
 そう思った人も、多かったことでしょう。情と心でつながる絆、集団・チーム力に強いニッポン。その真似をしたのがこんどのアメリカチーム。それにプラスした大型選手の体力で。さらに~が。

 私の感想は、こうだった。なでしこチームをとことん分析したアメリカチームの立てた戦術は、決して日本的情と絆を学ぶことではなかった。一言で言えば、「情と絆のチーム力」を砕くために、「機能的組織戦術と軍事的戦闘行動をとった」ことだつた。
 「大型選手の持ち前の体力を軍事装備力と見てたて、なでしこの弱点分析をし、弱点モデルを絞り、それに向かう機能的組織を組み立て、徹底的訓練をやった」
 「それは、試合開始のわずかの時間で、瞬発集中の先制波状攻撃を仕掛け、一気に勝負をつけるやり方だった」。それは初代ブッシュ大統領のときのイラク戦争のとき、一週間で勝負をつけてみせるといった戦術と似ている。アメリカモデルの戦術だ。
 恐らく、宮間はアメリカでのプレーで承知していたことだったろう。予測していたことだろう。
 それで「負けは,負け。負けに理屈はない」といったのだ。
 それが私の感じた宮間。だからスゴイ。
 グローバルの闘いとは、ということを知っている。
 彼女は、もっと深いところで、アメリカと日本、西洋と日本、の強さ、弱さ、を静かに反芻しているように見えた。
 


 ブログを休んでいたわけでない理由。

 このブログ、2009年から初めて今年で6年。
 そしてこの5.6.7月の政権の変わりよう。読者の関心記事も変わった。
 2009年スタートの日、「はじめに」に書いた、時空を越えてその時々の私の関心事をランダムにを良しとして書いてきた。
 
 そしてスタート時の関心事を列挙した。それも変わった。

 右肩に掲げたこのブログのテーマらしきものを、はじめには、「中間所得層をいかにして増やすか」としていた。中間所得層とは、暗にホワイトカラー(文系のサラリーマン)を指していた。
 
 その後、理系も文系も含めて、ビジネスマンとか、ビシネスパーソンと呼ばれるようになり、働き方も様変わりした。そのニュアンスには、好きなように能動的に生き、働く、と意味が込められるようになった。そんな意味もあってその後このブログテーマも、「混迷の時代所得格差といかに対峙するか」に変えた。
 これは、だれと対峙するのかという意味も込めた。「自分自身」「競争相手」「ステークホルダー」「経済欲求の同族と協働」「政党の綱領」「ピケティのr族とg族」さらに「政府の所得再分配政策」など,どちらにしても、「対峙」には、発信する方も,受ける方も、全人格的アプローチが求められることを読者は意識してきたとおもえる。

 そこで、今までランダムに書いてきた多くの記事を、一度シークェンシャルにまとめ直してみる必要性を感じた。そうすると、コンテクスト=文脈も違うコンテンツが混在し、迷っていた。
 そして激変する、世界的政争のなかの日本。

 書店では、やたらと「日本史」「世界史」「戦後日本を振り返る」本が、日替わりのように並ぶ。
 
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by kuritaro5431 | 2015-07-10 09:23


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