哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ
2015年 02月 28日

貝葉経と般若心経と唯識学

 貝葉(ばいよう)とは、椰子の葉を加工して、紙の代わりに用いた筆記媒体。紙がまだなかった時代に、東南アジア、南アジアで多く使われた。
 この貝葉にサンスクリット語で書かれた般若心経を、中国の四大翻訳家[玄奘(げんじょう)602~664=三蔵法師]が、アビダルマ論、唯識学を原点として簡潔に漢訳したもの。彼以前の漢訳を旧訳といわれたのに対して新訳といわれた。

 唯識学は紀元前3.4世紀ごろインド南部(セイロン島ではなかったと思われる)で起こったといわれるもの。

 現スリランカ(上座部じょうざぶ佛教[元・小乗仏教])では、小乗仏教の経典といわれる、阿含経が(サンスクリット語で書かれたもの)今でも上座部佛教の原典となっている。スリランカは、元・セイロン島のこと。

 古代、釈迦族の皇子として生まれ釈迦の開いた佛教は、イスラム教の偶像破壊に遭遇し、南部に逃れてきたともいわれている。したがって北部系のシンハラ人の祖先が、スリランカの人口の70%ともいわれる。とはいえ、スリランカの原住民との紛争は絶えないとの噂もある。
 また、小乗仏教はインド南部、すなわちセイロン島あたりで起こったという説もある。

 上座部仏教とは、釈尊が入滅後100年、部派仏教(小乗と大乗の2派)の時代に、仏教の教理を悟ることこそ肝要と唱えたエリート集団によってつくられた仏派(宗派ではない)。誤解を恐れずいうならば、釈尊はいっていないことだが、理性的、あるいは論理的に教理を理解し、仏教とはなんたるものかを悟った者だけ乗って極楽にゆける小さな乗り物という意。
 それに対し、大乗仏教とは、どんな人でもみんな乗れる大きな船。仏の願いとしての「みんな極楽にゆける」を信じる人は、みんな極楽にゆけるという派のことであり意である。


 ここで取り上げたいのが玄奘(げんじょう)の「般若心経」訳。長々と貝葉の裏に書かれた「般若心経」を簡潔に訳した「般若心経」のこと。

 私はこれをここで紹介できる力量はない。引用したのはインターネットで紹介されていた「貝葉に見る般若心経の秘密」という記事からのもの。関連記事に「中観の哲学から見た空の思想」がある。解説はそちらをご覧いただきたい。関連記事というよりも、唯識学は、「般若心経」の中核思想としての空の思想を受けて誕生したという説と、梵字で書かれた貝葉経・般若心経の原典を玄奘が漢訳する際、ビルダルマ論と唯識学を原点として訳したとある説があるようだ。私は後者に関心をもった。ビルダルマ論を知らないせいもあり。

 ここでの私は、いたって自分流の感性反応としての感想と、書かれている熟語への反応です。

★貝葉では、絶対服従の意味をもって仏の教えを信じます、というところから入っているのに、なぜ玄奘は最初に「般若波羅密多心経」とい言葉をもっきたのか、おそらくタイトルを設けるべきと考えたのでしょうか。

★玄奘の般若心経における最大の秘密部分は、つぎの部分だと思います。
梵字では「自性空観」のところが「皆空度一切苦厄」になっています。梵字ではまだ、すべてのもの空であるという説明をしているとき、玄奘はこれを簡単に表現し苦厄からお救いになされたと言い切っている。

★もしかしたら、この貝葉経と違うものがそのときあったかもしれないからです。
しかしそのような心配をしていたらなにごともできませんので、数学的絶対証明にはなっていませんけれどもおそらく玄奘の見た原文もこうなっていたであろうという前提に立っています。
(ブログ筆者・「数学的絶対証明になってない」は、形式論理学における「排中律」。科学哲学でも同様な見解)

★貝葉では「空と色は同一である」というということをあちらから、こちらからとにかく繰り返し述べています。これを玄奘は必要な程度に切り捨てるべきところを切り捨てることによってすっきりまとめ直しています。
(ブログ筆者・心理学における「自己同一性」=アイデンティティ。形式論理学における「数の同一」「同一律」。「質」「族」などの同一と、数学的「数の同一」の違い)

★おまえは理屈ばかり言っている。理屈なんかどうでもいいんだ。身体でおぼえなくちゃな。と。山はやまではないから山というんだ。えっ?どうしてですかと尋ねたら、だからお前はまだ身体で分かってないんだと。

★「色」というのは物質的現象のことであり、「空」とは実態がないという意味。物質的現象には実態がない。実態がないところにこそ物質的現象がある。

★永遠に変化することなく存在するものはこの世にはなく、すべて変化しているものであり、その変化を司っているのは自然の力である。その変化を司っている自然があるからこそ、この世があり得るのでしょう。人工工作物、などとよく言われますが、ほんとうの人工物は無いとおもいます。なぜなら、この人間自身が自然の力によって生み出され、それがこうしてパソコンを打っているのです。だから結局人工といってもその上に親方がいて指図しているのではないでしょうかね。私の脳みそをがパソコン打っているいるのですから……
(ブログ筆者・これが東洋的思想の「諸行無常」となったのでしょうか。特に西洋から見れば東洋のどん詰まりの日本で。ところがインドから中国に帰った玄奘によって唯識学は信仰の対象になる宗派「法相宗」として確立します。インドの南部の時代にすでに法相宗しての宗派は確立していたという説もあるようですが……)

★玄奘が法相宗を確立した段階で「諸行無常」観を、貝葉は「不減」に対して玄奘は「不増」とし。つぎのページとあわせると「不減不増」に対し、玄奘は「不増不減」と反対になっている。このように見解がわかれた。日本に入ってきた段階で、法隆寺は貝葉経のほかに梵文般若心経もあったが、梵文もすべて貝葉と同じく「不減不増」といわれている。
 いずれにせよ玄奘漢訳の般若心経は、唯識学の魂をいっぱい含んだもののようだった。
(ブログ筆者・それはそれとしても、当時の大和朝廷では聖徳太子と馬子の二頭立て政治となり世襲王権の危機が始まり、その争いを度外視して、玄奘漢訳の般若心経は法隆寺政争問題と絡んだとみれる。法隆寺を除く、鑑真和上ゆかりの唐招提寺もふくむ南都六宗は、唯識学を宗派共通の学問と位置づけ、玄奘漢訳の般若心経は、宗派を問わない経となった)(だが異例として、今日まで浄土真宗は唯識学は学ぶも般若心経は扱わなかった。その理由として親鸞聖人が京都の六角堂で、夢枕に、聖徳太子が現れて浄土真宗を開祖したことにあったのかと)
(南都六宗のうち、興福寺と薬師寺は、法相宗として唯識学を重んじた。その中で興福寺は唯識仏教の根城として飛鳥時代から藤原氏の強力な政治的バックアップを受けて平安時代を越え、室町時代まで権力を振るった。これらの経緯は2015年1月5日の「阿頼耶識の再考」のなかで触れた)


 このようにして中国より渡来した般若心経は、日本には大衆部(だいしゆぶ)仏教[元・大乗仏教]をもたらした。以後上座部仏教は、渡来してくることはなかった。


 話はごろっと変わるが、2012年2月25日のこのブログに、スリランカの上座部仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラ僧が日本にやってきたとき、精神科医の香山リカ氏と語り合った話として「怒らないこと」と題した記事を書いた。この関連本が3冊でてベストセラーになった。アルボムッレ・スマナサーラ僧著『怒らないこと』20万部突破、同じ著者の『怒らないこと2』36万部突破、アルボムッレ・スマナサーラ僧と香山リカ氏との共著『生きる勉強』4万部。と日経朝刊に全5段の広告がでたのは、3.11の震災の2月。いずれもサンガ新書・お得意領域のもの。詳しくは当日のブログを見ていただくとして、驚いたのは前冊のどちらにも香山リカ氏推薦帯がつき、さらに全5段広告の枠内に、香山リカ氏のキャッチコピー「自我か錯覚だとしたら精神科医は商売あがったりですね(笑)」ボデーコピーには「精神科医としてみていると、今の人たちは、世の中のさまざまな雑音を比べ合い、非現実的な目標に縛られて、自分のもっているものまで見失っています。「アイデンティティ」や「自分らしさ」を求めて苦労し、混乱する人たちが本当に多い。人は、「今、その人が持っているもの」を見直すことで十分に生きていけます。今の自分の良さを再点検することが〈生きる勉強〉なのだと思う。とあった。

 そして、この3冊を読んでいる最中、東日本大震災が起こった。大地震・大津波・震災としての原発事故が。

 香山リカ氏は1960年生まれ、バブル景気崩壊時33歳ごろの勘定になるので、バブル崩壊で多数の大手企業のリストラされ族が一番苦悶した時期が1995年ごろだったから、その時期彼らが生き延びるためにとった手段は、自立と他者との差別化しかなかった。そんな中でも有能なエリートたちは、高額年俸でヘッドハンティングされた。そんな族に似ていたのが小乗の小舟に乗れた古代のエリートだったのかもしれないと思ったもの。

 ところが2014年11月同じ香山リカ氏が『堕ちられない「私」』精神科医のノートから 帯に「たまには私も堕ちてみたい」ダラダラ、グズグズ、ちょっと淫靡で不道徳。それが正解! この本と書店でてあって中身も見ずに即レジに向かった。やっぱりそうだったと。五木寛之氏と仲良しらしく、交流があるとの話、腑に落ちずにいたが、その理由が分かり安堵した。


 こうしてみると古代より「神仏習合」であったり「国家形成にまつわる宗教・信仰の力」の絡み→強い統治力をもった為政者でなければ国家形成も、国家統治も民衆統治もできなかった歴史がある。
 それは政教一致の典型としての一神教=ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(3兄弟)でもある。統治による均衡、力による均衡が崩れると闘いとなり戦争が起き、勝者と弱者=敗者に分かれる。敗者は奴隷となり、勝者による敗者の絶対服従の掟が適用される。それは、神の掟であり、、法となる。掟を犯した者は排除=処刑される。そうした止めどない権力・統治のオーバーランは、神の持つ倫理によってセーブされる。どの宗教にもそのシステムが仕組まれているはずなのに、あるとき、ある一部が、ある地域がそのシステムにシステムトラブルを起こし、倫理の箍が機能不全を起こす。
 何が善で、何が悪かは、別としてあのイスラム圏を統治し、均衡を保っていたフセインが死んでから、アメリカによって殺されてから、地下に抑制されていたイスラム教のもつ危うい制御のシステムが、むっこり地上に頭をもたげた。誰が味方で、誰が敵か? それらが平気で入れ替わる。
 それがイスラム国=ISなのであろうか。それともキリスト教との闘いか、はたまた長い歴史での白人支配への怨念か。


 塩野七生(作家・在イタリア)氏が、2015年3月号の「文藝春秋」の恒例の巻頭コラムシリーズで、「日本人へ・百四十二」「一神教と多神教」のコラムを(1月25日記)書いている。見開きの記事を読むと、どこを読んでも省くところがない。それといって全部引用するスペースはない。残念だが、その一部をここに引用する。

★(書き出し)日本人の多くが抱いている「宗教はイコール平和的」という思い込みは捨てた方がよい。宗教とは、それが一神教であればなおさらのこと、戦闘的であり攻撃的であるのが本質である。平和的になるのは天下をとった後からで、それでも他の宗教勢力に攻められると感じるや、たちまち攻撃的に戻る。

★自分の説いた「教え」がアラビア半島から北アフリカにまで及んでいく大拡張時代を見ずにマホメッドは死んだのだ。敵に囲まれて戦闘的で攻撃的にならざるをえなかった時期のマホメッドの「教え」を21世紀のイスラム過激派は、1400年も過ぎても踏襲すべきと主張している。
 宗教上の教えといえども、砂漠に向かって説くわけにはいかない。人間に向かって説くのである。その人間は、信ずる宗教にかかわりなく、生きていくためには変化する時代に応じて変化せざるをえない。

★われわれ日本人は、宗教的には寛容な民族である。なにしろ神の数だけでも八百万もいるうえ、政教分離でも、比叡山を焼き討ちした信長によって早々とカタがついた。だから日本はその面での問題に苦しまなくて生きてきた。だからといって、世界の他の地域ではそうでないことを知っておくべきでだろう。善意で出て行ったのに足をすくわれた、という事態にならないためにも、である。

 通して感じたことは「政教分離」の統治こそ、人間が、日本人が編み出した最高の知恵といっているように思えるところ。

 太平洋プレートに押されて浮かんだ日本列島。アルプスの連山と豊かな水。山林と草木が育む小動物から牛馬まで、そんな自然環境で、再度の天災に襲われながらも生きてきた日本人に、有史以来の危機が迫っている。
 


 











                

            
[PR]

by kuritaro5431 | 2015-02-28 11:22


<< もうひとつの日本刀の源流は伝説...      説教じじいに過干渉ばばあ >>