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2014年 12月 14日

岸恵子さんへのその後の思い

 このブログの若い読者の方々にも、2012.2.9に書いた「岸恵子」の記事へ長い支援(いつも記事ランク上位)をいただき、私に取ってはある驚きでもありました。

 話はちょっと古くなりますが、興味深い、初期「岸恵子」記事へのコメントがありますので掲載させてもらいます。この読者コメントは、本文記事操作ミスで消える前の原稿を09.12.5に読まれ、コメントいただいたものです。年齢は不詳の匿名の女性からでしたが、文面から若い女性と推察します。
 とても真摯なコメントでしたので感謝を込めて紹介します。この時期を暖めていたのです。紹介するコメントは、書き手のニュアンスを尊重するため、句読点も含め原文のままにさせてもらいました。
 以下が全文です。
 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………                      コミュニケーションが上手下手というよりも、主張が好き嫌いといったことも、「窓がない」という言葉の中から、感じます。
グローバルという、一種の押しつけに対して、私たち日本人が、独特の「型」を持って、今日まで、国家を存続してきたことに、真実があると考えています。ウェブ上であれだけ、もてはやされたSNSの中でも「~疲れ」という事態が起こってきているようです。「コミュニケーション過多」。人類が、はじめて、世界中の人たちと、繋がることができる可能性を持った時代を経験しているので、とまどう、のは自然なことのように思います。
「何事も過ぎたるは及ばざるがごとし」勝手なコメント失礼しました。
 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 ところで、初期の記事は、東北大震災(2011.3.11)の前の、2009.6.27でした。
 そして今日は、アベノミクス成果の成否を国民に問う総選挙の日。朝10時です。

 3.11の報道が世界中を駆け巡った日は、冷静沈着で秩序正しい東北の人たちに世界からエールと義援金をいただいた。あの日から今日までたったの2年と10ケ月。その間の世界。日本の変わり様は凄まじかった。
 地震直後に寄せられた日本人への評価に、そうでなかったものもあったことが最近明かにされたりした。


 私は、あの記事を書いたとき、京都で近日「サルトルとボーヴォワール哲学と愛」の上映がされると聞き、その記事を観たら感想を書く予定と書いた。
 その週だったか観に行った。観客層は昭和はじめ世代(昭和一桁から団塊の世代)が3/4。1/4は若い女性が座っていた。3/4の男性たちは、多分実存主義に憧れた時代と、現代という今のフランスのサルトルの存在感がどうなっているか知りたかったに違いない。
 3/4の若い女性は、ボーヴォワールの『第二の性』を読んだ層と窺える。

 スクリーンからの映像は、かつての二人のオーラは光らず、諦観ともシニシズムともいえぬものが漂い、感想を書く気力を失った。

 岸恵子と川端康成の関係は、主としては、「雪国」の駒子役の岸恵子の印象が一番強い。川端康成は岸恵子の媒酌をし、後ノーベル賞を受賞後自殺。三島由紀夫の人工的美学とは対象的、彼も日本の美学と国家を憂い自殺。
 川端康成自身どこかで、「私も自然主義文学の支流のひ孫か、やしゃ孫」と聞いたことがあるような気がする。
 当時、左翼の連中は、自然主義文学とは蔑称の代名詞のように使っていた。

 自然主義文学は、19世紀末にフランスでエミール・ゾラが提唱した文学理論。周知の通り、ゾラの「居酒屋」が源流と言われている。
 日本では、写実主義が多様に変遷し、その一派では、自我意識の目覚めの内面を赤裸々な性行為を写実で描く流れもあった。私は、日本で一時発展した私小説の根でもあるように思える。
 川端康成は、その支流の支流といいながら、文体において、川端美学を形成し写実的ロマン主義を越えた。

 そんな川端康成と懇意にしてもらっていた岸恵子が、幻冬舎の見城徹氏に煽られて『理なき恋』を書いた。岸恵子の憬れた、川端康成の遠い昔の「念」とどこかで繋がっていたのかも知れない。
 見城徹氏といえば講談社時代から出版界で名だたる編集者であった。本のタイトルは幻冬舎らしいうまさに惹かれて買うには買ったが、途中で読む気が失せ全部は読まなかった。

 ある日、五木寛之のもつ「風のカフェ」というテレビ番組に、五木氏と美人のガイド役と、見城さんと、岸恵子さん4人で『理なき恋』の出版に至った経緯を見城さんが話した。岸恵子の返事のなかに、迷いが残ったまま書いてしまった後悔に似た雰囲気を感じた。見城氏の編集力でもヒットせず、書店では平積みから降りた。

 そのとき見城氏は、紙媒体しかやり得ないエディションの技を幻冬舎は左前になっても死守したいといった。
五木さんも、同じ原稿でも順列の組み替え一つで売れ行きは全然違うと『大河の一滴』の例で、二人話されていた。


 その後私は、2014.8.18のブログ「自慢の[自分史]を書きたい男の本能」の記事の最後に、有名ブログ「政経電論」に載っていた[幻冬舎・見城徹×作詞家・秋元康×政経電・尊徳編集長]のなかで、前二人とも自己嫌悪(時代適応性欠如意識で苦しんでいることなどないと思われいることへの)をモチベーションとしていると。語ったことにとても共鳴した。

 そのときの見城徹氏の発言と関係あるのか、「紙媒体と編集力」についての新しい試みか、この一ヶ月インターネットでの幻冬舎の広告露出がいやが上にも増えた。広告内容は、
「自費出版しかやらないが、内容については幻冬舎の磨き抜かれた編集者が、あなたの原稿に命を吹き込みます」というような意味のもだった。
 10年も前になるか、「企画出版」というのが流行り、詐欺で刑事沙汰になった出版社もありその後その火は消えたと思っていたが、またくすぶっているところもある。
 幻冬舎は、そんな詐欺まがいのことはしない。自費出版を望む人に幻冬舎の編集力を生かす。と言っている。

 最近よく講演会で聞く話に、
「これからの時代、人間がコントロール不能になるものとして[20世紀は、原子力][21世紀は、金融とITの超進化(予想だにしないグーテンベルクなみの)][22世紀は、人工頭脳だと]。

 見城さんは、そんな時代と紙文化にとても危機を感じているように見えた。

 
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by kuritaro5431 | 2014-12-14 09:34


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