哲学から演歌まで  

fmcfmc.exblog.jp
ブログトップ
2014年 08月 18日

自慢の「自分史」を書きたい男の本能

 昔(バブル景気崩壊まえまで)の会社員は60歳定年、役員は65歳定年。今は後期高齢者になってからが実質の定年。半年、一年も経てば現役時代「退職したら……」との奔放な夢は失せ、一日中家にいる濡れ落ち葉に。奥さんは手慣れたもので子育て育児時代からの友達付き合いやら、あれやこれやの付き合いごとで外のネットワークはひろがっている。習い事などでもで闊達に出歩いている。
 なかには濡れ落ち葉を嫌悪し、現役時代のキャリアを生かし、どこかで、誰かに、地域に役に立ちたいと動きはじめる男たち、旦那たちもいる。再就職も含めて。ところが永年勤めた会社社会しかし知らない男たちは、困惑する。
 ほかの社会、ほかの会社・組織習慣で暮らしたことのない者が、ほかの社会でのコミュニケーション経験者としっくりいかない。それはあたりまえということをこの歳になってはじめて知る人も多いようだ。。永年いた会社の生活習慣を変えてコトをおこすということは、実は並大抵のことではないのだ。大変なことだったなのだ。 その証拠に学生時代同じクラブやゼミであれだけ意気投合していた友が、顔では懐かしく微笑んでも、腹の中で僅かな会話のズレが、口には出さないまでもそれは違う。と反応してしまう。転職経験もありほかの会社の雰囲気を経験した者ならいざしらず、真っ当な人間は一つの会社で出征してきている。
 親父の会社を継いだ小企業の経営者をやっている昔の友と、上場企業の役員になっている者とでは、ライフスタイルも組織管理に関するする価値観も、階級意識も、交際費の使い方についてもまるで違う。
 昔、真っ当といわれたひとたちは、大抵定年までその会社にいて、この組織習慣、組織風土、組織文化に馴染み一応の成功の人生を一区切りした。家も建て、子供全員大学を卒業させ一応納得のいく会社に就職させ、孫もできた。日本人の同世代の平均的成功者、いやそれ以上とさえ自負している。

 ここまではその世代の平和で幸福だった一般的モデルで、私のことでない。でも一つ同じ認識のところがある。それは会社が変わったらまるっきり組織社会としての習慣が違ったことである。これらのコトはブログのあちこちに書いたのでここでは割愛する。

 人はそれぞれ歩んだ道で、交友関係ができ、所属階級も自ずと決まり、どの〈族〉の人間かまわりの人間が決める。今でもかも知れないが、いい大学に入り、いい会社に入り、出征して世間がいう〈できるだけ上位の族〉に入り、一生を全うしたいと思っている人は多い。その過程で誰しも苦労する。実際は一人一人によって苦労の質が全然違うのだが、誰にとってもその人の苦労はかけがえのないものであることに違いない。

 そこで後期高齢者になると、自分の人生の苦労を振り返りたくなる。「来し方のノスタルジーである」。だから納得できた人生が今日まで送れたのだ。そこまではいい。それには「私の美談話?がある」と。結局自慢話にもっていきたくなる男の本能。それも肯定したとしょう。
 問題は「自慢の話のネタである。ネタ次第である」そのネタによって、その男の気がつかなかった魅力が浮かび上がるか、ゲスな不快な空気をまき散らすかになる。

 私ごとだが、定年制のない約束で入った三度目の会社だったが、定年制ができ、私は62歳で退職した。一般の会社員が退職後に体験したといわれる虚脱感をもたなくてすむワークスタイルの仕事だったので、仕事のない日、大阪の朝日カルチャーセンターの「小説実作教室」に通うことにした。
 その頃の、定年退職後のおじさん達は、文章センスを磨きたい。話仲間も増やしたいという婦人達のニーズも増え、各種の文化教室は花盛りで、特に「文章教室系」の講座は盛況だった。その系統には3つの流があった。

 ①類の講座は、ビシネス文書は書き慣れてきたが、時々の思いを「随筆やエッセイ」に短い文章で書き残してみたい。そのために゛ビジネス文と、散文の違いのポイントやリズムなどを、習作・添削・講義を通して書けるようになりたい。多くは、父や祖父が残した人生の体験談、苦労の末の成功談などに触発されてというのが多かったようだった。
 女性の参加者は、「洒落た短文を一筆箋や絵手紙に書きたかったり」「同じ趣向同士で語り合える仲間を増やしたい」だったりのようだった。

 ②類の講座は、どこかの文芸同人誌のメンバーだった経験者とか、同人誌に参加したいレベルの人たちで、すでに40~60枚(400字原稿用紙で)の小説を何作か書いているレベルの人たちで、メジャーな文学賞に挑戦できるまでの力はまだない人。

 ③類の講座は、実力は別として、将来文筆業で食っていきたいという強う意欲をもっている連中の多い教室。大阪でいえば「大阪文学学校」、東京でいえば有名だった「駒田信二小説創作教室」他。とはいえ、参加者の90%は、筆力過信のうぬぼれ屋で、純文学系での「文学界新人賞」「群像・新潮・すばるなどの新人賞」に、エンターテイメント系では「オール読み物新人賞」として多くの新人賞があった。ミステリー系では1000枚の「江戸川乱歩賞」は別格で、受賞すれば、即新人作家として登場できるといわれたもの。
 ところがその実態は、全国に何百という文芸同人誌があり、また一匹狼の修行者がおり、裾野は何百万人ともいるといわれたもの。芥川賞・直木賞他メジャな賞は年二回で、「3億円の全国宝くじ」よりはるかに格率の悪い作業。それでも出版不況・本離れ、といわれながら夢見る文学青年・文学少女・女子は結構いた。

 という流れが、1990年ごろまで続いた。
 そこで登場したのが、ひまを持てあましている定年退職者向けに「自分史づくり」ブームが起こった。それに乗った連中の多くは、「散文には全くの素人の」①類の族が多かった。自分史づくりのマニュアルも多々でた。
 それを機に、2つの社会現象が現れた。

 1つは、「懸賞原稿募集月刊誌」5~6誌の登場。もちろん「自分史(掌編もの)」「地域の民話などを題材にした掌編小説」「兼題の付いた俳句」「短歌」「写俳」「写真コンテスト」なかには「和菓子や旅館などのコピー募集もあった。
 懸賞金は三千円~一万円低度。それでも一時期たくさん「懸賞雑誌」は売れていた。

 2つ目は、「本格的自分史の原稿募集」由緒ある公的機関の募集で、原稿用紙250枚・梗概3枚以内。現役作家の選考。入賞者一名。ハードカバーの単行本に製作。出版部数五百部。3年の実績あり。

 3つ目は、「あなたの原稿が本になります」。広告を見られた方もあると思いますが、問題を起こした出版社もありました。
 そのシステムは、「自分史」「小説」「エッセイ」などの完成原稿または企画書や・構想メモを送ってもらえば、プロの編集者が、推敲、編集、代筆までおも行い単行本に仕上げます、と。製作部数500部。自社契約の全国書店の棚に並べます、というもの。出版費用は、完全原稿で優秀と審査されたものは、印刷・広告費とも出版社持ち。それに準ずるものは、出版社と著者との共同企画として、総費用折半。個別に見積もる。というもの。
 原稿枚数は、300枚から500枚。
 私は実際、完全原稿の企画出版契約の見積もりをしてもらった。著者負担ハードカバーで300万円、ソフトカバーで250万円。実質自費出版以上なのでやめた。ユニークなモチーフと、鋭い感性の文体なので是非世に出したい、ついてはと前述の勧誘だった。編集者らしいセールストークだった。原稿は確かに読み込んでくれてはいたが……
 それにそっくりの企画が「超・知の巨人」で有名なあの人が、これまた超大手出版社と組んで「自分史を書こう」との運動をはじめた。NHKラジオ深夜便でも紹介された。送られてきた原稿はその巨人が全部目を通すと。どんな人の人生にも必ず教えられるものがあると。出版社のホームページには、出版費用についてはぼやっとふれられているだけだった。同じ自分史を出すなら権威のある人のフィルターを経て、有名出版社から出れば、ステータスは保証される。出版費用の高低ではないとの特別<族>は確実にいるのだろう。


 ところで、自費出版をするにせよ、商業出版をやるにせよ、「自分史」に絡む記事にせよ、自分の企画を提案主張する際にも、「絶対やってはならないコトがある」それは、自分の不利な情報は拾わず、書かず、好意的に扱ってもらった話や記事ばかり引用しょうとする負の欲望。そんなことをすると、すべての登場人物のリアリティは極端に欠如する。どうしてもあのときの事件では、嫌いな人物だがあの人だけはずせない。そんな人物こそリアルに書くべきだ。
 自分史は、散文です。実証を決めつける論文ではありません。散文とは結論、結果は書かず、読者が想像して読む文体のことです。そのさじ加減に作者の影が滲む。それが日本のエッセイ。

 恐らく自分や家系、先祖、血統に絡む事件を書いた文章を読むと、取り上げた人物=書き手によって、その人がどれだけ真摯で謙虚で、また傲慢な人かも分かるというもの。また左の価値観にも、右の価値観にも相対的対意があるものとして疑問符をつけて考え・観察することが、リアルに人物を描くコトになるもの。

 日経新聞の「私の履歴書」は、まさに筆者の自分史です。どれも散文(読み手に任す)で書かれています。押しつけがましさはありません。それは筆者達のインテリゼンスです。バランス感覚です。日経の記者のアドバイスがどの程度あるのか知りませんが、筆者によって書かれる内容も、立場も違うのに、押しつけがましさのないインテリゼンス・ラインはみな揃っています、それでいて筆者の個性はあらわれています。

 昔、エッセイは、有名人の「余芸だ」といわれたものですが、今は「エッセイ」という文芸カテゴリーができあがっているかのようです。プロの作家あり、経営者あり、学者あり、俳優あり、それぞれのテイストでありコンテンツが表現されています。
 ある文章教室で、受講者が他の受講者から提出した習作に講評を受けると「この文は、文章家で定評のある◯◯銀行の◯◯頭取に添削してもらった文章です」と、不快な顔を露わにした。時にこんな場で出くわすことがある。先の傲慢と通じる感性である。

 こんな話もあった。以前の会社で経営企画室にいたときがあり社長が、「君、私の[自分史]つくろうと思うんだが、インタビュー形式で原稿起こしてくれんかね」といった。
 昨年は黄綬褒章をもらったものだし、創業者として年商400億円の会社にまで成長させた功績を後世に残したいらしい。黄綬褒章申請の時、随分納得のいかない話を書いた記憶もあった。(この話は社長と私だけの話で今日まで一切口外していないので社内のだれ一人知るよしもないことであるが) その企画なら外部の専門のディレクターに頼んだ方がいいですよ。その道のプロだから巧くやってくれますよというと。
「聞いたんだよ。そしたら5000部で400万といわれたよ」
「私の[自分史]なら、原糸メーカーやら商社やら、機屋やら小売店やらで5000冊は売れるでぇ、売れたら200万だす、どゃ」といわれたことがある。私はY部長のほうが適任でしょうと断った。
 どうせ気分の悪くなるようなつくり話、自慢話を書いてくれというに決まっているから。

 今はその社長は、私が辞めてから亡くなった。
 今でも退職した役員経験者を中心に「◯◯◯創業者を偲ぶ会」を毎年開催していると聞く。
 現社長は娘婿である。最盛期には年商400億円もあって2部上場も計画した時期もあったのに、今は年商130億。時代時勢は変わったのに、創業者時代の自慢話の会ではいたたまれまい。
 アベノミクス推進の「日本アカデメイア長期ビジョン研究会」における「価値創造経済モデルの構想」で話題のLIXILの藤森義明CEOの「空き家増加を見込むリフォーム戦略」に新しい住生活企業グループのM&A(ファブリックスでは川島・セルコン)────インテリアのファッション化から、「センスのいい住み心地・使い心地」「住む人優先の住」へのイノベーション。私は必ずしもアベミクスの肯定派ではないが、確率の悪い賭けを信じたい気持ちもないではない。

 経営の神様といわれた松下幸之助のカリスマ性は、今も根強く、その後の3代の社長は、幸之助イズムの払拭に大変な腐心をしたと聞く。
 ところが後進国タイでは、小島の多い国柄、松下幸之助商法の精神が、これぞクールジャパンのおもてなしと歓迎されているとか。時代は巡る。「時代適応とは?」考えさせられる言葉。
 ダイエイの落日にも、中内さんがどうても手放したくなかった「中内の自己自慢・男の本能が災いしたか」。


 アメリカでは「エッセイ」は論文に近いプレゼンテーションの一形態と、以前にこのブログに書いた。
日本人には、 プレゼンにおいても 情=文学的なもの→曖昧なおもしろさ→アナログ→クラウド→決めつけない→などをコンセプチャルな領域にまで持ち込みたがる。それをテーストとしたがる。それは合理性、スピード、コスト効果には反比例する。ところが、スピード文化に疲れたアメリカンスタンダード=プラグラティズムからすればクールジャパンと見えることにもなる。

 エッセイ1つとっても、普遍性のない自慢は、嫌われる。エッセイも含め、ブレゼンの形式形態は多様になっている。パワーポイント+レクチャーもあれば、散文的エッセイで疑問を気づきかせる喚起もあれば、批判的論文もあれば、比較評価論文もある。ただ昔の象牙の塔の内のみのアカデミズムは敬遠される傾向にある。
実行性と実利性を織り込んだフレゼンテーションが求められることは確か。
 同時に、プレゼンの形式・形態、編集の知恵=エディター効果の知恵はますます複雑化し、重視されよう。

 
 政経電論〈政治・経済を武器にする“解説”メデイア〉
 ヒットメーカー!の憂鬱 本当の自分はそうしゃない!

   幻冬舎・見城徹×作詞家・秋元康×尊徳編集長
 


 是非必見2014.7.10の記事。バックナンパーも多々。
 
 











          
[PR]

by kuritaro5431 | 2014-08-18 12:58


<< はじめての「詩」・習作      日本刀の誕生から量産された太平... >>