2013年 10月 10日
この「~再考」の必要性に迫られた最大の理由はに、私が惹かれた「弁証法の五段階」の第一前提にセットした「同一性」を「質的同一性」と理解していたことに起因していた。最近そう思うようになったことだが、当時はまったくそのことに気づかず、気にもめていなかった。 このことはこのブログを書きはじめてから、さらには、3.11以降の最重要な私のペンディグ・タグとして浮上していたから。 ではあるが、この②の記事においては「弁証法の五段階」のもつ《発展するストーリー性の魅力について》書くことにしたい。というのは、弁証法とか、マルキシズムとかとは関係のないところで、最近このことを健全な立場で話された人から多々聞いた。また、そうでない人からも〈ストーリー性の魅力について〉聞いたところからの困惑の自己点検としてである。 そもそもこのブログの「はじめに」の記事に書いたところでは、安保闘争に挫折した当時の若者の多くは、マルキシズムという支柱を失って彷徨い、実存主義とか、現象学に関心を示したものだった。その傾向はフランスやイタリアに起こったアンチ・ロマン=物語性の否定=あるいみで《近代》の否定、でもあったと私は感じていた。その流れは小説や映画にも反映していた。 だからブログタイトルを「哲学から演歌まで」とした。哲学は欧州で生まれ、理性こそ人間だけがもつ力とした古代からの流れのなかにあり、他方、演歌は理性を重んじる哲学とは対峙的にある東洋的、いや日本的情念の肯定とみていたからであった。[理性]という極限から、[情念]の極致までには、宇宙の星の数ほどの概念や論理や価値観や倫理観やら感性が存在し、無数の認識のあり方となり、それらはいつも脈絡のない無秩序の世界で刹那に変化しているもの。一個のバーソナルな個人の内面・内部においても、刹那に右に左に上に下に、ランダムに定まらずノンストーリーで変化しているもの。 そんなセッティングで書きはじめた私は、この年になって悩んでいる。 姜尚中著『悩む力』と、同じく姜尚中著『マックス・ウェーバーと近代』にでてくる漱石はロマンを〈浪漫〉と訳した人でもあり、マックス・ウェーバーは、〈近代〉の危うさを予言した社会学者だった。2012.7.14から「漱石もマックス・ウェーバーも現代を予言していた」の記事を(1)(2)(3)(4)と書いたこともあるし──── ということで、《発展するストーリー性の魅力について》の「~再考」の話に戻したい。 私が前号の記事で書いたように学生時代[クラブの映画研究部]にた。その頃、映画や演劇界で話題になっていた《ドラマツルギーという概念》と《スタニスラフスキー・システムという演技理論》が、ロシア・当時のソ連の演出家・俳優の間で広がっていた。 ドラマツルギーという概念は、物語性(ストーリー性)が人間個人の成長発展においても大きく関与する手法といわれていた。スタニスラフスキー・システムは、フロイトの心理学などを背景にもつ「内省と肉体でありのままの表現を目指す」方向性に、演劇論を越えて唱えられたものだった。 両方とも、後の私の関心事となるアイデンティティ論(社会的自己と個人的自己および共同体社会と人間)と深い関係もあり、大いに私は触発された。 当時は、マルキシズムを思想的背景にもつG・ルカーチとか、日本では佐々木基一などが映画の分野でわれわれに影響を与えていた。 佐々木基一・高村宏訳『視覚的人間───映画のドラマツルギー』ベラ・バラージュ著(1884年ハンガリア生まれの詩人・作家・劇作家・映画批評家・映画理論家)が今も岩波文庫から発刊されることを知り、当時を思い起こそうと先月買った。 この本の序言のなかにドラマツルギーに関するバラージュの思想が端的に表れている「創造的享受について」の中の一節がある。 ────自分が子供のように無垢な人に、知恵の罪の樹から果物を与えようとする蛇みたいに思われるのである。映画はたしかにこれまでは素朴そのものであり、幸福の楽園であった。 映画館の闇の中では、魔窟のある麻薬に酔いしれた雰囲気の中と同じく、どんなに教育を受けた、どんなに生真面目な人も、その格式張った教養と厳しい鑑識眼とを恥ずかし気もなく脱ぎ捨てて文字通り子供のむかしにかえり、ただぽかんと我を忘れて眺めることができたのである。そこでは、人は仕事ばかりでなく、気取りからも解放されて心からくつろぐのである。(中略)文学として軽蔑をもって拒絶しなければならないようなものに大粒の涙をながして─────(中略)。 私はあなた方の楽しみを邪魔しにやってきたのではない。反対だ。わたしはあなた方の感覚と神経を享受能力がより大きくなるよう刺激すべく試みようと思って────── この一節は、今の日本の姿をとてもよく表しているように思う。 「健全な立場で話された人からの《物語性》」 京都大学春秋講義(秋季)にて 「心の時代を生きる」 京都大学教育研究科 皆藤章教授の話。 最近、うかがわしい話題の多い、短期早成資格の臨床心理士、SC(スクールカウンセラー)と呼ばれる人たち、クライエントといわれる臨床心理士の受診者への対応能力、 この人たちへの疑念は日々拡大している。 ところが皆藤教授の臨床心理士はやっぱり別格だった。千差番別の人格のクライエントにSCがいくら学習したからとて心的障害改善・治癒の方程式が示せるものではない。全人格で聞くだけ、といい、何十年来のクライエントは、毎年やってはくるが、私に何かを求めるわけでもなく、過ぎた一年を語り、報告にくる。あたしはただきいているだけ、と。 そして皆藤章教授の肝となる話は、最初の自己紹介としで自分は多様な価値観をもった人からの影響をうけ、私という人格が形成されたこと。神谷美枝子「人間学」、ユングの「夢と人格論」「精神神話学」、加藤清「心理療法論」、宮本常一「民俗学」→忘れられた人間学、クライマー博士「医療人類学」、そして河合隼雄「いつか科学で捉えられないことが起こる」村上春樹との対談など。 2つ目の肝は、「ひと一生(サイクル) 」=周産期→乳幼児期→学童期→思春期→青年期→成人期(ここまでが前半)→中年期→初老期→老齢期→継承期(次世代へのつなぎ)これが循環するサイクルチャートで示されていた。人生のあらゆる時期において、現代人の「こころ」は他者との関わりを望んでいる。「心」ではなく、深層も含む「こころ」。この関わりを通して「生と死」を体験する。 3つ目の肝が「鍵概念」としての「物語というパラダイムの必要性」→特に「継承期における次世代への語りかけの必要性」=老齢期を過ぎ80歳を過ぎた人を継承期の人といい、そのサイクルを迎えた人は、次世代に自分の人生のすべてを語る責任があると。その世代はこんな生き方をしたという主張などではなく、一人芝居のような語りがいい、と受けれた。 (私の共感)「人間は生まれてこの方、ずーと他者との心底からの関わりを望んでいる」「共同体の一員として社会の中の習わしや、ルール、掟をどう守ればいいのかの、建前上の関わり」と、もう一つは「一個のかがえのない存在としての命が望む本音からの関わり」。この2つは、「人間本来の健全な願望」であると私は思う。 とはいえ、人間だれしも一生のうちのどこかで、「社会から」また「本音でこころを開き関わってくれた人から」の拒絶や存在否定を受けることがある。その衝撃は、政治的なものから、いたって個人的なものまでさまざまなもの。そこには自分の「こころ」と「命=生と死」にかかわるものから、日常の中の感情や意識のすれちがい、肉体的に受けた傷害の深さ浅さにいたるまで、加害者の感性の個別性と、被害者の感情や意識や感受性によってさまざまに変化し増幅もされる。 「やさしい関わりや絆は美しい」そんな関わりで生きている人は憬れの人であり、尊敬の対象の人でもある。 3.11以降その傾向がメディアにで浮き立っていたが、最近は中立的に取り上げる局も増え、視聴者の声が聞こえてのことかと思えるようになった。東日本の震災と、福島原発の問題に絡む情報とか、また児童いじめ問題と教育行政問題にからんだ領域では変わらぬ状態が続いている。 ところが洋の東西・古代・近代・現代を問わず、詩人や小説家、劇作家、映画作家、俳優などさまざまなクリエーターたちは「優しさだけの美しさ」に人間賛歌の焦点を絞りすぎると、人間本来の存在の姿を間違えるといわれてきた。 社会的存在としての人間に迫害を加えた勢力に抗し、死を賭して戦った歴史の語り、記憶、ドキューメントの重要性もあり、。同時に、人間の「こころ」に潜む不可思議な望みとしての「魂の叫びとしての他者との関わり」のこと。形而上世界ともいえる主観の世界でイマジネーションという「虚」の思考を媒介して、人間ならではの創造を可能にするともいっている。 このあたりは、特に私の感性と重なり共感した。 (飛び入り余談)今、2013年のノーベル文学賞が決まった。期待度一位の村上春樹が落ち、カナダの82歳(私や岸恵子より1つ年上)の女性の短編作家というより文人(詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・劇作家・放送作家・随筆家・コラムニスト・文芸評論家)のアリス・マンリーが選ばれた。まさに継承期の人。そして、ドラマツルギーを唱えたベラ・バラージュに近いプロフィルであった。 次の京都大学春秋講義(秋季)にて 「豊かな老いを求めて───フィールド医学の現場から」 京都大学医学部卒、京大医学部神経内科医、その後、京大東南アジア研究所 松林公蔵教授 研究分野→フイルど医学・老齢医学・神経内科。 ここでも、専門化して全人格アブローチ型の医療ができない体制下日本を飛び出し、東南アジアの医療支援でフィールド医学をこころざし。各国現地・現場で活躍。 最後の言葉がとても印象的だった。 フィールド医学=全人格的アブローチ医学→そのキーワード「科学+アート+哲学」と。 「まやかしや欺瞞が臭う《物語性》」 つぎの話は、趣を変えて、東京大学 安冨歩教授著(京都大学大学院経済研究科、人文研出身)の『原発危機と東大話法』。批判的健全性の本。話法=語りと捉えた。 こちらに入れる類ではないが、前者にいれるわけにもいかず、こちらに入れた。 三島由紀夫(東大卒)が、作家になる前大蔵省に入り、官僚文書の特殊な完成度に驚いたという話は有名である。「霞ヶ関文学」といわれたものだろう。官僚のいろいろなステークホルダーたちに向けて細部まで気配りしたディフェンスの効いた文章のことだが。こごで書かれている東大話法とは別物。 この本の話を取り上げようというのではない。 最近一連の政府自民党と、「アベノミクス」「オリンピック・フレゼンテーション」「原発プラントの外国への売り込み」「消費税アップの意思決定プロセス」などから感じる《物語性》についてである。 なんといっても、この話にぴったりなのは「東京オりンピック招致のメンバーが仕掛けた綿密な組み立ての《物語性豊かな》プレゼンテーションであった。フレゼンテーション・コンサルタント(当然あり得る専門のプロ採用)の支援を今回は受けたと漏れ聞いた。ここにもドラマツルギーという理論・原理が適用されている。 山崎豊子ばりの綿密な個別取材や、それぞれの委員の人脈を使っての受け手側のパーソナリティの調査。プレゼンテーターの順番、〘導入・受け手の疑問の提起・受け手の意表をつく山場・締めくくり〙(起・承・転・結)の組み立て。作家でもある猪瀬直樹東京都知事は「東京への招致にこの日本を挙げてのチームプレーとしてストリー性の組み立てと、【転の山場】での「原発の安全宣言」が功を奏したと。 国内報道、海外のメディアでは、毎日のように「福島原発の汚水漏れが報道される中、「そこまでは言えないだろう」と思っていたマドリードは「裏を搔かれた」。IOCもそう思っていたところ、日本国の最高責任者が「危険水域にはいたってなく、湾内で完全ブロックされている」「一部の危惧も7年後までには日本の技術で完全ブロックしてみせる」といい切った。 IOCにしてみれば一国の総理が世界に向かって約束した。「国際常識では守られるもの」と判断できた。IOCも財政の不安なマドリードよりはましとの判断の顔がたった。 安倍総理にしても、猪瀬東京都知事しても、7年後現職にいる可能性は薄い。まして安倍総理はその可能性なしといってもいいくらい。 これほど日本の原発稼働の危険性、放射能漏れ問題が取りざたされているのに、それを逆手にとって原発事故の経験を生かす信頼できる日本の技術といって、輸出外交までやるアベノミクス。廃炉問題にしても日本の技術力は必ず世界の難問を解決するであろう、と。 消費税問題にしても、日本の財政事情から、多くの国民は引き上げる必要性を感じてはいる。いずれヨーロッパ並のの高額の負担の時代は覚悟している。先進国の中で一番負担率の低い日本と、報道も流す。ところが、どこの国も品目別負担率を変えいる。生活必需品と、贅沢品、中間的品目にしても各国はいろいろと工夫している。そこらのことは、ほとんど報道しない、されない。たまに報道したとしても、運用で各国は失敗している話、手間にとてつもないコストが掛かる話が出る。 先だっても、キャリア官僚が「東北復興不要論」を匿名のSNSに流した話。公僕としての官僚の言語道断の話として、どの層の国民も怒った。元キャリア官僚の古賀さんが、テレビの中で、公の発言や、発信文書にはとても用心深い官僚だが、仲間内の会話では、日常茶飯事に語られること、といっていた。その結果、その官僚は発覚し、懲戒処分をうけた。官僚としてはとても重い、2ケ月の停職処分?だったとか。さらにあきれてそれこそ「開いた口が塞がらない」。 これがもう一つの 「まやかしや欺瞞が臭う《物語性》」であった。 これをまともに書いた「裏ブログ」に、こんなのがあった。「お・も・て・な・し」とは「表がなくで裏ばかり」と。 そんな陰謀説を流す国賊がいるから国は滅びると。 ストレートにいえばそうなるが、虚実ない交ぜのストーリーで書けば、嫌味のない皮肉になる。 《物語性の魅力》についてのもうちょっとの余談。 ★CI=Corporate identityの内訳=Mind identity 経営理念 Behavior identity 社訓・行動指針 Visual identity ロゴマーク等 もう一つのBIは、→Brand identityに求められる物語性。古くからいわれたことではあるが、コンテツビジネスが叫ばれる今日 Brand contentsを物語に託し、ブランド政策の基幹にしようという潮流は復活してきたといえる。 その背景には、ナショナル・ブランドもさることながら、地方から起こるさまざまなコンテンツビジネスの基幹(コンセプト)として使い勝手もよく、多様な「異機能抱き合わせ商品」とか「コラボレーション企画商品」にも、活用できる。 ★あの「陸前高田の一本松」が、「千の風になって」の訳詞・作曲でも知られる新井満氏が「希望の木」と名付け、写真詩集を出版したことがきっかけで、「ここから未来へ」と、さまざまな被災地復興のプロジェクトや、活動が盛り上がっている。ここにも、「ものがたり性」の豊かで深い情動と人間の持つ「創造への期待」を感じる。 ★奈良から京へ都が移る頃、京では疫病が蔓延し、三条粟田口に「宗近」という刀鍛冶がいた。一条天皇より作刀の勅命を受けるも向こう鎚を打つ若者がいなかった。ある夜どこで聞いたか、弟子入りを乞う若者が戸を叩き、向こう鎚を担ってくれることになる。そしてできあがったのを機会に若者は稲荷山(現・都ホテル裏山辺り一帯・祠あり)に帰って行く。この話は謡曲「小鍛治」となり、この刀には「小狐丸」という名がついた。この一帯にはいまも残る祠が幾つも現存する。祇園祭の長刀矛の長刀は宗近作で有名。疫病祈願だったと。 この種の話は、京都のあちこちに埋もれている「通り一遍の話なら京都の人なら誰でも知っているが、京都人も知らない伝説が山ほどあるのも京都」。京都にきたいという外人観光客は、深く眠った京都を訪ねてくる時代となっている。 ★ドラマツルギーと関係のある話としては、イタリアのネオリアリズモ(社会主義リアリズム)からフランスの、ヌーヴェルヴァークへの系譜が私には関心事であった。ネオリアリズモの先兵となったのが「無防備都市」の監督で有名なロベルト・ロッセリーニは、戦後の混沌の社会(戦争・大震災・不況・世代や人種・宗教)にドキューメンタリー映像でストレートに社会現象を実写した。彼の言葉をいまも忘れられない「中心のない構図」があった。それは戦時中ファシスト党のブロバガンダ映画への反撃であったのだろう。ドキューメンタリー映像といえども、カメラマンの恣意がどうしても含まれる。たがら映像に中心をおかないことと自制した。 しかし戦後に平和が訪れる時期、混沌社会実写のドキューメンタリー映像は下火になった。 そこでドキューメンタリー手法の被写対象を心象比喩に向け、その映像化で「新しい波」ヌーヴェルヴァーク運動へと繋がった。それは1950年ごろからのフランスでのとことだった。フランスでは映画に限らず多くの文化領域で新たな動向が勃興しつつあった。それはサルトルを中心とした実存主義や現象学を一つの発端とするもので、文学においてもひろまった。そのなかで精神的父となったロッセリーニは、当時も映画理論の祖とされたモンタージュ論を否定している。 またヌーヴェルヴァークにはもう一つの側面があった。当時撮影所の下積みにいた助監督たちが経験なしでデビユーしたい若い監督の願望がくすぶっいた。その連中はロケ撮影中心、同時録音、即興演出など一連の共通性をもっていた。 そしてヌーヴェルヴァークといわれる群のなかには、映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』(アンドレ・バサン主幹)で活躍した作家たちを「カイエ派」もしくは「右岸派」と指し、ドキュメンタリー(記録映画)を出自の面々を「左岸派」と呼んでいた。両派を総称してヌーヴェルヴァークと総称していた。 「右岸派」の監督としては、ジャン=リュック・コダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルなど。ジャン・コクトーは、アンドレ・バサンとともに「右岸派」の推進者の一人だったよう。 「左岸派」の監督としては、アラン・レネは、「二十四時間の情事」「去年マリエンバードで」で有名。 両派に属さないヌーヴェルヴァーク監督として、ルイ・マル「死刑台のエレベーター」「恋人たち」がいる。 ということで、「右岸派」の唱えた「カメラ万年筆」。「左岸派」アラン・レネの」「去年マリエンバードで」で見せた過去・現在・未来(三界)にカツトだけで自在に飛ぶあの物語性の否定=アンチ・ロマン=〔近代〕の未来への危うさ。、「右岸派」、「右岸派」共通する何かを感じていた。それはサルトルの実存主義や現象学と重なって感じていたからであった。 ★現代音楽の代表格のストラビンスキーの「春の祭典」。以前このブログにもちょっと登場したドストエフスキーにのめり込んでいた男の家で、21歳のころ聞かされたスイス・ロマンド管弦楽団 エルネスト・アンセルメ指揮の舞踏曲「春の祭典」の2部「犠牲」(いけにえ)のクライマックス。大型の真空管のオーディオはボリームをあげていた。 そのときの心身への振動と衝撃は、感動とは全くことなる驚喜であった。 凍土の大地シベリアに春を呼ぶ村の祭典。老若男女の村人が輪になって踊る。踊りは緩やかな動になり、おだなやかな静になり、その強弱はトランペットやティンパニーの不協和音の波に乗り、ときに止まったりしながらまた動く。長い祈りの踊りはつづく。 突如ティンパニーの連打とトランペットの不協和音の高揚。踊りの輪の中の一人の娘が神に指名された。やがてその娘の踊りはひとり激しさを増してゆく。そのうちほかの村人は踊りの輪から離れてゆく。一人になった娘は、狂乱の神に憑かれたようにますます高揚する不協和音の渦のなかで娘は踊り狂ってゆく。ますますテンポは早くなる、ティンパニーとトランペットの不協和音。その音がMAXに高揚し、娘はエクスタシーに達し大地に倒れた。それはエクスタシーの果ての[死]の瞬間であった。あらゆる動が静止し、静寂が凍土の大地の上を流れた。そうしてシベリアの大地に春がくる。 私は、この世にあるMAXの〔動〕と、おなじくこの世にあるMAXの〔静〕の極限から極限へ移行した〘落差のパワー〙に驚喜した。娘のエクスタシーに同調した。 その指揮者エルネスト・アンセルメは、スイス西部のフランス語圏にあるレマン湖畔の町ヴヴェイに1883年生まれた。父は数学者であり、彼も大学で数学を学び、フッサールの哲学に絶えざる関心を寄せていたらしい。 最近の新聞記事によると、もともとクラッシック音楽は、清らかな音を好むパトロン貴族に抱えられ形成された音楽であった。不協和音は清らかさを求める人間のからすれば雑音に過ぎなかった。 それに対してストラビンスキーは、地方に住んだ土着の民族の叫びを不協和音の音楽に託したのでは、と書いていた。 今年、NHK時代劇・山本周五郎原作の「五瓣の椿」の、燃えさかる火災のシーンに、この「春の祭典」のクライマックス・シーンがバックに使われていた。私はすぐそれとわかった。 私はこんな経験を迷いなからもこれからも重ね、「弁証法の五段階」に潜む《物語性》の健全な感性と論理として、ビジネスにおけるロジカルシンキングにも加えブラシアップしたいと考えている。
by kuritaro5431
| 2013-10-10 11:11
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