哲学から演歌まで  

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2013年 08月 15日

戦後第一世代という世代

 この世代(昭和6年~昭和13年・当年81歳~75歳をおおよそとして)を私が勝手に「戦後第一世代」と呼んでいる。戦時中、特攻隊にはいかなかった今の後期高齢者。

 昭和7年申年生まれの私と同い年に、
 石原慎太郎、大江健三郎、開高健(芥川賞3人男・多少前後あり)、五木寛之、小田実、大島渚、仲代達也、萬屋錦之助、有馬稲子、岸恵子、渡辺美佐子、山本直純、富田勲、神津善行、小林亜星、船村徹、青島幸男、平岩弓枝、江藤淳、奥田硯、稲森和夫、立石孝雄、船井幸男、などがいる。

 一人一人にはそれぞれのドラマがあり、そのドラマと私とは切れない縁もある。

 父の弟の一人子一人息子で昭和3年生まれの特攻隊の生き残りの従兄がいる。当時中学を卒業すると親に内緒で予科練(海軍飛行予科練習生)を受け、通っていってしまった。周知の零戦にも乗り、特攻隊で散った仲間の生き残りである。帰還後は、教員になり、今はひっそり美作東北部の生家で生を繋いでいる。とはいえ脳梗塞で不随となり、車椅子で入退院しながらの暮らしである。弟のいない従兄は、幼い頃から私を可愛がってくれたものだ。

 私は、昭和28年京都の私大を卒業後、2年ばかり今でいうフリーターの仕事をしていて、初めての就職先が今の京都三菱自動車販売だった。創業者竹田稔は、戦時中三菱重工名古屋製作所で零戦のエンジン・テスターだった。専務に小澤正太郎がいて、その人も戦中同じ職場で零戦の設計メンバーの一人だった。二人とも今は鬼籍の人となってる。
 二人からよく聞いた話に、アメリカの戦闘機は軍人とはいえパイロットの居住性、安全性を優先していたと。それに比べ零戦は性能一辺倒の開発だった。だからあの素晴らしい性能の戦闘機となったと。

 そして今年零戦をテーマとした宮崎駿の「風たちぬ」。国内外から賛否両論の評論を受けている。早く見に行くつもりでいたが、体調悪くまだ観ていない。

 終戦後68年目の広島、長崎への原爆投下の日。マンガ「ハダシのゲン」が見直され世界各国で翻訳されている。
 昨年まで広島に原爆投下されたあの時刻、比叡山麓にある拙宅の裏の寺の鐘が鳴っていたのに今年は鳴らなかった。そういえば戦後第一世代だった住職が亡くなられたと聞く。

 世代が違うと体験が違う。体験が違えば価値観も違う。

 妻もギリギリの戦後第一世代。岡山市の焼夷弾空襲をもろに受けた体験者。妻の母親が幼い妹を背負い逃げる途中、妹に焼夷弾が直撃し、妹は即死。母は背中に大火傷。亡くなるまで傷は残っていた。妻の戦争の記憶である。


 この7月25日『「老人優先経済」で日本が破綻』 注意! 高齢者は読んではいけません! アベノミクスが若者世代に押しつけた罪!  と衝撃的な本が出た。著者・AERA経済記者・山下努・ブックマン社。

 私は「自称中道左派」と問われれば答えることにしているが、現政権の政治家はこの私の話も、以前このブログに書いた「蝦夷(エミシ)の英雄・アテルイ伝」の話も、「原発奴隷」の話も、「やたら陰謀説が多すぎる。国民をを惑わすような根拠のない話は禁物だ」だと、片付けることにしているらしいことは知っている。そしてそう思う人は偏りのない人と多数の人が思っていることも知っている。


 後期高齢者、すなわち戦後第一世代の人間たちへの福祉政策が、先の「NHK日曜討論」のなかで、政府側と国民側・現場側での討論があった。
 政府側の見解として、今後は世代を越えて高齢者も[負](税収減の福祉予算)の負担=マイナスの配分も受けてもらうしかないと、とのこと。

 後期高齢者福祉は、介護保険枠から地方行政としての市町村に予算を渡し、施設介護から在宅介護へシフト。[自助・共助・公助]と左寄りにウエイト変更させて進めるとのこと。
 市町村の自主的裁量でアイデアを出し、民間の力も活用して株式会社も含め幅広い福祉活動を望むというものだった。
 ケアマネージヤー・ルートに詳しい識者の発言では、実態は必ずしもそうなっていない。この流れに名を借りた営利志向の医療機関もかなりあると。介護ビジネスも成長戦略の一つとするアベノミクスは分かるとしても、現状では施設介護でないと病院の収益には繋がらないという矛盾を抱えていると。


 われわれ戦後世代としては、なるべく後期高齢者健康保険を使わず、自力でやれることはやる。われわれなりに在宅介護のありよう、あり方を総合的に考え実行性のあるものにすることが[自助]に繋がる社会貢献といえそうである。


 [共助]については難しい問題がある。私は100歳になるまで母が美作の地で気ままに暮らしたいと言い張り、知らぬ土地に行けばすくぼけたという話はよく聞いた。頑固な母のしたいようにさせることが母にとって最もいいことだと考えた。親戚、隣近所、民生委員の人たちの親切に甘えて過ごした。極端に過疎化していった美作は、まさに老老介護の共助だった。向かいが老健という公助に恵まれた地の利であったが、公助では充たされず、共助には限界があった。
 私の友人のなかには、定年後は田舎に帰り、老いた親の面倒みるのが当たり前と、ある者は熊本に、ある者は彦根に帰り退職金で家を建てた。ところが私の場合、どんどん人口が減り商店もスーパーも店じまいしてゆく過疎地では、母も帰ってくるなといったものだ。
 そして限界の時は母が100歳のときにやってきた。100歳までひとりでよく頑張ったと思った。
 そして京都に発つ朝、老老の人たちから花束を渡され、手を振り別れた。行く者も送る者も最後の別れと分かっていた。
 
 京都にきてからは、美作の老老の友によく電話していた。ことさらのように元気な声をだして。
 母の在宅介護が私の京都の家ではじまった。客間を母の部屋として介護保険を使ってのリースのベッドは助かった。訪問介護は私が30年来世話になっている中型病院の院長にお願いして週一回の看護婦の訪問を受けた。訪問中の看護婦は携帯電話で院長といつも連絡を取っていた。
 
 そんななか母の終末はどこで迎えるか思案した。そのときいくつかの介護施設を訪ねた。大抵は医療機関と併設されていて、終末は安心してお任せいただけます、とどの医療機関もいっていた。一件の病院が終末病棟の現場を見学させてくれた。それはひどいものだった。極度の痴呆(今は認知症)老人は檻の格子のなかにいた。そこまでいたらない人も老醜漂う大部屋のなかにいた。いま思えばなぜその病院がそんな現場を見学させてくれたかの意味が分かるような気がする。
 そのころから設備の行き届いた高額のマンション風の終末医療が流行りだしていた。なかには今までの住まいを売り払い、その資金でその施設に入った人もいた。入居してすぐ亡くなった人も、終末までの期間を見込んだ高額の契約金は一切返らなかった。なかには倒産した老後施設があり、帰るところを失った悲惨な老夫婦もいた。

 そんな見学をしていたある日、訪問介護にきてくれた看護婦が、院長と携帯電話で「脱水症状が現れています」といった。看護婦は在宅で毎日の点滴は無理なので入院しましょう、ということになった。そしてその日看護婦の車で病院に搬送され入院した。その日から大部屋での点滴がはじまった。向かいのベッドには、植物人間と化したふやけて太った白い肌の婦人が、延命治療の流動食をビニールパイプで胃に流し込んでいた。
 私は院長に延命治療はしないようお願いし、院長は了解してくれた。
 私と妻は毎日交互に病院を訪れた。なにもすることはなかったが、点滴の針が痛いと勝手に外す母を監視した。岡山市にいた実姉と姪がよく見舞ってくれた。
 入院して2週間目の深夜当番の看護婦が危篤状態に入りましたと当直医師に伝え、医師はハートモニターを私にも見せ、「今夜かも知れません」といった。
 そして明け方の2時15分、1900年ちょうどに生まれ、101歳の年を母はまっとうした。

 
 私は今考える。父が亡くなったのが87歳。母が亡くなったのが101歳。私は今80歳。父まで生きて後7年。母まで生きたとしても後21年。振り返ればあっというほど短い年月だ。
 でも私は死に対する恐怖はみじんもない。それは学生の頃思い当たった「人間の意思はその人のパソナリティによって決まる」と。私はそんな性格なんだ思っている。

 とはいえ、戦後第一世代の人たちは、日本人が古来からもっていた「情による絆」を肌身につけていた。今もかなりの人がどこかでその心情のなかで生きている。
 ところが、戦後68年の時間のなかで、西欧的論理による合理性を背景とするアメリカ文明により日本は世界に類を見ない経済成長をどけた。そのことにより多くの日本的良さが失われた、とする人たちと、いやそうでなく西欧文明の恩恵を受けた人たちもまた多いのではないかという若者世代もいる。
 経済と政治、経済と国民の生活、国民の生活と政治。これらがのっぴきならない状態で複雑に絡み合う「正解のない時代」になった。それは経済中心とするグローバル時代。良くも悪くもそうなってゆく必然のなかにいるのかも知れない。
 若者のなかには、戦争の悲惨さを知らないわけではないが、戦争がもつ効用について相当の経済効果があるとの意見に、50歳代のキャスターですらめをぱちくりさせている。それでいて彼らは右翼でもない。

 
 そんな意味も込めて「哲学から演歌まで」とこのブログのタイトルとしている。
 哲学とは西欧文化文明のこと、演歌はなにもかも曖昧がいい情念の心、「和」のこころ、一神教でない八百万の神を敬う日本人古来の心のこと。
 その演歌は、若者に嫌われる代表格の感性。
 でも戦後第一世代には、次世代を担う若者を理解し、彼らとバランスを取りながらたくましく生きたいと思っている者もいる。
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by kuritaro5431 | 2013-08-15 19:56


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