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2013年 02月 02日

NHK時代劇の「火怨・北の英雄 アテルイ伝」を観終わって

 先にこの4回連続の時代劇の感想であるが成功しているとは思えなかった。

 この作品を作るにあたって「NHK番組のみどろ」というNHKのホームページのなかで「火怨・北の英雄 アテルイ伝」ドラマのみどころ、があるので、この作品に関心を持たれた方このホームページを一応読んでみてください。原作者・高橋克彦氏(以前にも紹介し、私も観劇した劇団さわらび座のミュージカル「北の燿星・アテルイ」の原作者でもあり、同じ原作であった。岩手県釜石市出身)、脚本・西岡琢也氏、演出・佐藤峰也氏からのメッセージをどうぞとある。
 ノンフィクション劇としては扱えず、時代劇(フィクション)として唱われ描かれている、資料に乏しく、日本史観や現代の政治に対する思いの違う視聴者にどうドラマ化して見せるか。難しさをつくづく感じた。

 そのホームページの製作意図として「~東北復興支援の一貫とし、大震災後、復興に向けて誇り高く生きている東北の人たち」という言葉が入っているが、主旨は同様でも、岩手県民の会で作られた「アニメーション・アテルイ」と「ミュージカル・アテルイ」と、「NHK時代劇アテルイとでは、同じ原作者なのにそれぞれ趣がかなりと言っていいほど違う。
「アニメーション・アテルイ」は震災前の製作で、震災・津波・原発被害のメッセージは当然のこと入っていない。だが県民の会製作とあるもその組織や活動は不明。
「ミュージカル・アテルイ」は震災前から上演されていた。
 この天災・人災(原発放射能被害)後製作されたのはNHKのアテルイのみである。

 この3作品は、どれも原発放射能被害については、触れることなく「東北復興支援のキャンペーンの一環として」このドラマの上映・上演が日本人の絆の証のように進められている。「花が咲く」キャンペーンと同質に。そのこと自体を非難しているのではない。東北の人たちでは、日本の歴史から疎外された「怨み」と「怒り」がこのたびさらに深く深く沈んでいったのではないかと思うのみである。

 しかし、私は軽い脳梗塞の後遺症からか、足がふらつきすぐ疲れることで、遠出できなくなっていた。仕事において現場感覚の把握がどれほど大切かを知った私にとって、一度も震災以後の東北にはいれなかったことはこの上なく悔しかった。
 かといって、体調もよく震災以降の東北にはいれていたとしても、東北は広い。ちょっとの取材気取りで、東北の人たちがこころを開いて語ったくれるとは到底思えない。蝦夷(まつらわぬ民・エミシ)という血の流れを隠し、定住していた弥生人と同化し混血化していった人も多かったことだろう。むしろ表向きはそれが主流であったろう。日本人は単一の農耕民族との声にもあえて反論せず、ひたむきに耐えていたのが東北の人。と私は思った。関心のおもむくまま本や資料を探り東北に思いを馳せる。それしかできなかった。
 瀬戸内寂聴さんは得度されて以来、東北とは深い縁の人となっておられた。その寂聴さんが平泉で法話されたおり「なんでもいいんですよ。自分のできることでこの東北を思ってくだされば……」と。その言葉に私は救われた。東北を思う気持ち=イマジネーションは、微力=マイナーでもパワーになると信じることにした。

 だから寂聴さんには、飛び入りの支援者には語らない本音を、東北の人は語ったのだと思う。受け取った寂聴さんは、作家として尼僧として、東北をまた日本人を愛する人間としての「裏作業の糧とした」していたと私は思う。「裏作業の心情や過程」を作品にする人もいるが
寂聴さんは、東北の人と共に「心の底に沈めておく」ことで、東北の人との真の「絆と連帯」を得た人と思う。

 もう1人の作家五木寛之氏も、ずっと以前から東北の人たちにこころを寄せていた。
 表の顔は、どこか厭世的な雰囲気を感じせ、演歌の作詞もやり、NHKラジオ深夜便では「わが人生の歌がたり」という長寿人気番組をやり、「親鸞」を書き、優しい風貌を漂わせている。一般的には軟派の作家とみられている。ところがどうしてどうしてとてつもない硬派の作家である。
 YAHOO!で「五木寛之」を検索すると、1頁の中央どころに[801夜『風の王国』五木寛之 松岡正剛の千夜千冊]が表示される。それをクリックすると、松岡正剛氏の『風の王国』の素晴らしい書評の全文が現れる。蝦夷・アテルイに関心のある方必見です。東北を舞台に書かれた小説ではありませんが、国家制定のために動いた権力側の人間と、その権力に支配され、後々まで心の深層で「怨みに燃えた人たち」。「動物と陸続きのアジア人・シナそして日本人」と見ていた欧州の理性中心主義が蔑視した「情念」。ペシミズムの向うの見えない世界でのレジスタンスの炎が今も。それが五木寛之氏が感じた演歌ではなかったか。と思えたりする。そんな裏作業をこつこつ気骨にやっていて、『遠野物語』では聞き書きできなかった声なき声や、古神道とつながる原日本共同体時代の匂いを残す各地の祭りなど拾い集めた作業がそれであったように思える。そのストックされた「情念」が、フィクションとしての小説『風の王国』に秘められたのだろう。そのことによって東北の人たちは被害に合うこともなくいられた。だから東北の人たちは五木寛之氏にこころを開いたと私は考える。

 私は3.11以降の情報収集の中で次のような情報も見聞きした。

 1つは、1988年(昭和63年)東京から首都機能移転問題がテレビで扱われ、その際、当時サントリーの社長だった佐治敬三氏(大阪商工会議所の会頭)が「仙台覇都などアホなことを考えている人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲(くまそ)の産地。文化的程度も極めて低い」と発言した。この発言は、特に東北地方で大きな反感をかった。熊襲とはご承知の通り、九州南部にいた反朝廷派勢力のこと。この発言で、企業メセナに熱心な企業としてのサントリーは、ブランドイメージを大きく失墜し、東北・北海道・九州から反サントリーの凄まじい騒動が起きた。その感情は澱のように長く残り、2004年(平成16年)の東北楽天のプロ野球参入時の宮城球場でのサントリービール扱い拒否にまで市民感情は膨れ上がり、サントリーはエントリーを断念した。

 2つ目は、民主党鳩山内閣の折り、岡田外務大臣の決定により、中国の習近平中華人民共和国副主席(当時)を「天皇特別会見」として実行した。当時幹事長だった小沢一郎氏の働きは大きかったといわれている。宮内庁長官をはじめ、各方面からの激しい非難があったが、小沢氏は乗り切った。識者から「岩手出身の人だから、朝廷について考えもちがうのだろう」といった人もいた。

 3つ目は、3.11の震災後しばらくして、雑誌『世界』の5月号に「ルポ・被災地を襲うギャンブル」「人災としてのギャンブル依存」の記事か出た。
 それは、日本国中で今一番パチンコ店出店の多い仙台。この時期なのに繁華街は煌々と明かりがつき賑わっていると。多くの被災者が「こんなに苦しいとき、息抜きするぐらいしかやることない」と、配られた義援金でパチンコをやっていると。パチンコは、風俗営業なので、許認可は警察となっている。
 ルポライターは、ギャンブル依存症は、スリルを楽しむ「アクション型」と、辛い現実からの「逃避型」に大別できるという。ギャンブルは逃避型と相性がいいと。辛さを紛らわすためためパチンコは自然なことだが、「連続逃避」の果てのギャンブル依存症の恐ろしさは麻薬と同じと語る。
 奈良・薬師寺が読売新聞社とやっている「まほろばの会」は、東北支援の義援金募集をし現地へ送金していたと、その会場で聞いた。だが、通常ルートで義援金を送ると、パチンコ資金にも流れていることを知り、その方法は止めたと。
 これもまた悲しいことだが現実であった。



 話を戻すと、3作品の主役アテルイの表情・イメージは「怨みの炎に燃える」とはほど遠く、柔和でおだやかな主役たちであった。ただミュージカルの案内チラシに使われたアテルイの[面・つら]は、東北のどこだったかの神社に保存されているという「まさに野蛮でまつろわぬ民の頭[悪路王]そのもの[面]であった。はじめの段階で紹介した久慈力著「大和朝廷を震撼させた 蝦夷エミシ・アテルイの戦い」の本の表紙にも、この[悪路王]の写真が装丁に使われていた。

 このような古代史から、現在の原発問題まで複雑で難しい問題の絡む材料をモチーフとして東北復興支援イベントに取り上げるのは大変な難しさがあると感じた。なかには一歩踏み込めばタブーと偏見、差別の世界に触れかねない。
 古代史に付いての見識のある人(その人たちもそれぞれの立場での見識であろう)、原発事故問題にしても(揺れる政局絡みの立場・大企業と小企業との立場の違い、欧米合理主義の立場、科学の限界を知る学者の立場、電力村・御用学者、テレビ局ごとの立場)、などなど多様で、「大和も蝦夷も同じ人間」という情緒的テーマでは到底カバーしきれない現実の生々しさを内包しているモチーフである。フイクション仕立ての興味本位の時代劇には重すぎるテーマと思えた。

 地震国日本において古代からの日本人が対処した自然との接し方、西欧的自然観でなく、厳しいが自然に生かされ、恵を受けているという日本人の自然観。現代に生きる東北の人にとって重要な精神性である。そのような人、そうでなく西洋的合理主義に染まり、日本経済や、生活のありようを先導してきた人もいる。
 今の政治は、長かったデフレ経済を、アベノミクスによって抜け出そうとしている。国民は期待している。成功への道は狭い限られた条件下でのことだが、その可能性にみんな賭けているところがある。
その反動として5%の選民が国民をあれこれ操作するような時代に向くことは健全とはいえない。

 これらの認識を前提としてドラマを作ってほしい。中途半端な歴史観でなく、フィクションであっても本流を示すこともできると思う。

 それは、五木寛之の『風の王国』は同種のカデゴリーに入る小説と思われるが、スゴイ作品とはいえ極めてマイノリティである。テレビドラマともなると、脚本担当の西岡琢也氏のいうようニューシネマの西部劇風のエンターテーメント性を持ちながら深読みする人には、それなりの見応えがあり、現代への警告なり提言があるといいのになどと思いながらながら、この時代劇を見終わった。

 一番気になったところは、3回目までの方向性と、4回目(最終回)の方向性があまりに違っていたところだった。
 4回目のシーンのいくつかに、「大和朝廷軍は途方もなく強い。勝てるはずがない」というような台詞が聞こえた。体制になびくことへの肯定のメッセージと聞こえた。
 アテルイが津軽の首領に、蝦夷の族を匿ってくれるよう頼むシーンがあるが、あれは高橋克彦氏が1992年~1994年に書いた「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」を題材にして書いた『炎立つ北の埋み火』他『炎立つシリーズ5部作』だろうと推察した。でもその誌の真偽は史料として認められていないようだ。


 私は3.11の関連課題として、上記の他、アテルイとモレが処刑されたという胆沢の野山を思わせる河内の地は探しようもなかったが、アテルイの首塚のある大阪の枚方公園を昨年訪ねた。公園内に盛り土された小山があり、太く茂った楠があった。その根元にアテルイの墓石があった。墓石まで質素な石段があり、登れるようになっていた。
 当日はアテルイ死後1200年祭が催され、大阪に住む岩手県民の会の皆さんやら、岩手県からきた役員の人たちも参加して、田村麻呂の末裔という石清水八幡宮の巫女が剣の舞を奉納した。その巫女は普段は石清水八幡宮にいるとのことだった。
 NHKの時代劇「アテルイ」では、話に出なかったが、他の2作ではアテルイと田村麻呂は幼な友達で、幼少の頃は蝦夷の里、胆沢の野山でともに遊んだ仲だった。田村麻呂が騙してアテルイとモレを京に連れてきたとはなっていない。田村麻呂は朝廷にアテルイの命を懇願した。ところが、虎をまた野に放すようなものと公家たちは許さず、処刑となった。田村麻呂はせめてもと胆沢の野山と似た河内の地を処刑場に選んだと。
「ミュージカル・アテルイ」では、処刑前に市中で晒し者にされ、処刑後は生首を市中に晒された。

 でも、岩手県の人たちは、田村麻呂を悪人扱いしていない。
 京都の清水寺は、平安覇都以前からあったお寺である。奈良の興福寺や薬師寺と同じ法相宗である。あの唯識のお寺であった。その清水寺創建のとき、田村麻呂は寄進している。その縁で昨年のアテルイ1200年忌に岩手県民の会の懇願で、境内にアテルイとモレの石碑が建てられた。また、田村麻呂は、今でも皇室との関係は良好な人物として、鎌倉期に隆盛していた東山の知恩院の北隣にある「青蓮院門跡」別名「粟田御所」の飛び地「将軍塚」に田村麻呂と陶像が埋められている。その高台から京都市内が一望できる。今、田村麻呂はどんな思いで奈良がら京に都が移された頃の京都を想っていることだろう。

 あれだけ大和朝廷に燃えるような怨みまで抱いたその征夷大将軍田村麻呂に、なぜ東北の人たちは親しみさえ感じるのか。そこにはアテルイと共に生きたかったことが叶えられなかったことを共有した悲しみがあったからだと私は思う。



 NHKの「アテルイ伝」では、「風の縄文Ⅱ 久遠の空──姫神」に収録されている「神々の詩」(縄文語で唱われている)と同じかと思えるほどの旋律が聴けた。それは喜多郎の「古事記」とも似ていて懐かしささえ感じるものであった。

          神々の詩   縄文語 崎山 理

  A-ba, naa-nga MAPO 私はなまえがマポです。

  A -ni, nono to, aya to, ine to, ye to 私に祖父(祖母).父.母.

  oto si bu-i-bu-mu 兄(姉)と弟(妹)がいます。


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by kuritaro5431 | 2013-02-02 12:33


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