2012年 11月 27日
『日本の深層』のなかでも、大和朝廷に服従しなかった蝦夷(東北ではエミシ)(縄文人の血を色濃くついでいる原日本人系の[族])をまつわらぬ民と捉えられている。大和朝廷による蝦夷征伐にまつわる「蝦夷の英雄アテルイ」についてはそれほど触れられていない。この本では、東北にいた蝦夷(エミシ)と、北海道にいた蝦夷(北海道ではエゾと読む)は、歴史学者・人類学者・言語学者・民俗学者の間では北方からきた別人種とみなされていた。それに対し、梅原日本学においては、言語学的見地からみても同一人種とする説に大きなエネルギーが注がれている。 私もそこに原日本人としての縄文魂の深層があることに強い関心をもっていたものの、東北の地で大和朝廷軍と戦った蝦夷の英雄アテルイにまつわる実話か伝説かないまぜの物語に強い関心を寄せた。 これ以降のこのブログ原稿は、梅原日本学をバックボーンにしながら、私が漁った資料・情報(あえてここではそうしておく)からの推測・憶測であったり、仮設であったりするものである。 歴史学(ここでは特に日本古代史)においては、発見された資料(書き物や発見された物)に基づく実証性の積み重ねが歴史学の論拠であり、想像とか文学的推測は、特に嫌われる世界であることも、今まで以上に強く認識するにいたった。 特に記紀以前の歴史的資料は実証性に乏しく、文学的推測の域をでないものとされている。言い換えれば弥生期以降の資料などは歴史資料として使えても、それ以前の縄文期1万2千年の資料は確証性が乏しいとされてきた日本史があるようだ。縄文後期から弥生時代にかけて、原日本人系の生き方を色濃く残したエミシと、その後弥生人と交じり合って定住型の生活に移行していった縄文人は曖昧となり、日本正史から薄れ、やがて大和朝廷により抹消されたとも考えられる。 私は、3.11後間もない時、ひょんなことから久慈力著『蝦夷・アテルイの戦い』を読んだ。 その本の冒頭の、「エミシの英雄、アテルイ謀殺から1200年」小見出しの中の文に、次のようなものがあった。 今年、2002年は、大和朝廷による侵略と戦ったエミシの族長アテルイと、モレが斬首されてから1200年になる。このためアテルイを顕彰する長編アニメーション映画「アテルイ」(製作・「アテルイ」製作上映運動推進岩手県民の会)の上映、アテルイ没後1200年記念企画展「甦れアテルイ」(主催・アテルイを顕彰する会)など、岩手県を中心にさまざまな記念行事が予定されている。 とあった。 この本の初版は、2002年7月10日であることから、2011年3月11日に発生した東日本大震災の9年前に発行されていたことになる。 また、長編アニメーション「アテルイ」のDVDがあることを確認し、すぐさま取り寄せたDVDとともに送られてきた案内パンフレットに記された日付けが2001年6月29日となっているところからしても、当然東日本大震災前ということになる。 この物語は、震災後ミュージカルや小説でかなり有名になり、ご存じの方も多いと思うが、映画およびミュージカルに添えられていたパンブレットから、あらすじなど紹介することにしたい。 DVD「アテルイ」のパンフレットより、 日本の歴史上はじめて、私たち国民が「主権者」として迎えた21世紀。わたしたちはこの21世紀をどのような社会に創り上げることができるのでしょうか。この21世紀初頭にあたって子どもたちに、どのようなメッセージを贈ることができるのでしょうか。 最近の子供たちを巡るさまざまなできことに、すべての県民がこころを痛めています。こうした子供たちの心の叫びを、私たち大人が全身全霊を注いで受け止めることが今こそ求められているのではないでしょうか。子どもたちの多くは、今、孤立し、さまよい、諦めや人間不信を募らせ、他者とのつながりと自分のしっかりした存在(居場所)を求めています。先生・友達・家族との気持ちを通わすつながりや絆を、真剣に求めているのでしょう。 私たちは今こそ、21世紀の主人公としての子どもたちが、グローバル化した激動の時代を力強く、誇り高く、健全に生きていけるのかを考えなければなりません。特に岩手のように、社会的、経済的に必ずしも恵まれなかったというという地域性を考えると、子どもたちがもっと誇りと勇気をもった生き方ができるようなメッセージが、今こそ必要ではないでしょうか。 『自分の生まれ育った地域(ふるさと)を好きになり、誇りにおもえる子どもたち』 『自然や歴史・伝統とすすんでかかわり、岩手の地に生まれ育った自分に誇りを持てる子どもたち』『人間にとって自然の営みを大切にし、農業をはじめ自然にはたらきかけることによる「知恵」がいかに大切かを知り、「知識」だけでない「知恵」の豊かな子どもたち』。21世紀を素晴らしい社会に築くために、多くの子どもたちがこのように育つために、私たちはこのアニメーション映画「アテルイ」の製作上映運動を企画しました。 2002年は「アテルイ没後1200年」「胆沢城築城1200年」の記念すべき年になります。 7~8世紀、古代東北に暮らす「蝦夷」の人々は、遠く縄文の昔から受け継いだ自然界と心通わせながら、お互いのつながりや絆を大切に豊かな精神生活を謳歌していました。四季折々、ときには厳しい自然の猛威をふるいながらも、人々のために沢山の恵をもたらした豊穣の北の大地。争いを好まず、遠く大陸の異民族にさえ心を開きながら展開された交易の数々、「蝦夷」の先人たちは豊かで平和な暮らしを力を合わせて創り上げていたのでした。 しかし7世紀中頃、大化の改新によって成立した新しい政権は、それまで大和朝廷の直接支配でなかった「蝦夷」の地を支配する政策をとり、侵略しはじめました。古代東北の人々は「まつろわぬ人」・「俘囚」・「蝦夷」とさげすまれ、「征夷大将軍」の名が示すように「征伐」の対象となり、10数年にわたって何万人もの朝廷軍と戦わざるを得ない状況に陥りました。豊かな自然に恵まれた北の大地、祖先代々、汗と涙で切り開いた農地を、親や子どもたち・同朋をいわれなき侵略から守るために、敢然と戦いを挑んだ蝦夷の勇者たち、789年(延歴8年)5万人を越える朝廷軍を打ち破った蝦夷の族長・アテルイ(阿弖流為)とその勇者たちは、何のために、何を願い、この大軍と戦い勝利したのでしょうか。しかし、アテルイとその勇者たちは「鬼」・「悪路王」として、その後の歴史の中での評価は逆転して伝えられ、今岩手で暮らす私たちや子どもにさえ、彼らの「熱い思い」がつたわってないのは本当に残念なことではないでしょうか。敵・坂上田村麻呂のすすめで、友人モレと一緒に和議のため上洛(注1)したにもかかわらず、斬首された悔しさや怨念を「辺境の地」・「日本のチベット」・「白河以北、一山百文」といわれた現代の東北、岩手のわたしたちが忘れてはなりません。 「地方分権一括法」が成立し、今新たな地方の時代がはじまろうとしています。 こうした時こそ東北・岩手の歴史を掘り起こし、中央権力の価値観にとらわれず、岩手を起点として未来につながる新しい、大きな価値観を見いだし、これらを子どもたちと共有し、全国に発信してゆくことは極めて大きないみをもつものと確信いたします。 映画「アテルイ」はアニメーション技術をフルに活かして、子ども(注2)たちが生まれ育った岩手の地に深い理解と誇りをもつ、素晴らしい作品になることでしょう。 今こそ多くの子どもたちに、希望と勇気をプレゼントできる映画を製作し、その上映運動を県内で大成功させ、全国に発信していきましょう。 すべての県民の皆様のご協力・ご尽力を重ねてお願い申し上げます。2001年6月29日 長編アニメ「アテルイ」映画製作委員会より とあった。 このパンフレットに記載されていた映画「アテルイ」の製作母体は「岩手県民の会」となっているものの、県民の会の組織・代表者など不明であった。名誉会長 当時の岩手県知事 増田寛也、代表委員および事務局は岩手県の行政・商工業・金融などを統治しているお偉方と見えた。 2001年1月に、当時岩手県知事だった増田寛也知事は、「がんばらない宣言いわて」を出している。 「岩手県はまず、『時間・余裕と安らぎ・自然環境』など、これまで評価しえなかったものを大事にすることから始めたい。そのモノサシで見たとき、とかく『遅れている』といわれる東北、あるいは岩手県の地は『日本のあるべき美しい姿で、限りなき可能性を秘めた大地』という大いなる資産に変身する。 従来の経済成長一辺倒を反省し、私は昨年、あえて『がんばらない宣言』を提唱した。一人ひとりが、より人間的に、よりナチュラルに、素顔のままで生きていけるような取り組みである。モノサシを変えれば、日本各地に大いなる資産は残っているはずだ。受け継いだ資産を浪費することなく、地域の幸せのために活用しなければならない」 といっている。 増田寛也氏は、東京生まれの建設官僚出身だったが、宮沢賢治ほか岩手の文化人から影響されていたこともあったようだ。この映画製作にどれほど関与したかは不明。 上記、映画のPRパンフを見る限り、いくつかの疑問を私は感じた。 ・(注1)DVDでは、アテルイとモレが田村麻呂と一緒に京に向かうところで終わるが、文中にもあるアテルイとモレが京で謀殺されるという最も肝心なところなしで終わっている。 ・(注2)アニメーション技術を駆使しているというも、子供の観客を意識してか、まろやかで気の優しい甘いマスクのアテルイとして描かれている。「鬼」とか「悪路王」とはほど遠いつくり。 ・3.11以降に見たせいもあるが、県民の意識操作のような政治的意図を感じずにはいられなかった。製作時点であの福島原発の人災が起こるとは想定されていなかっただろうし、以後の東京電力の東北人に取った態度も、これほどとは思っていなかったであっただろうから。 この記事は、(その2)にづつく───
by kuritaro5431
| 2012-11-27 21:37
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