哲学から演歌まで  

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2012年 10月 31日

3.11直後の私を「縄文・蝦夷文化・日本の深層」の本が直撃した。

 松岡正剛「千夜千冊」のホームページ番外録に、梅原猛著『日本の深層』縄文・蝦夷文化を探る───の一冊が、この時期に大きく紹介されたからだった。
 この本の初版は1983年集英社文庫から、その後1994年に同文庫より第一刷から第7刷まで発行されており、私が手にしたのは2008年10月の7刷であった。
 この時期に?と思ったのは、私の関心が高まっていたからかも知れない。

 私が、3.11の天災・人災に端を発した東北に寄せた思いには、この一冊の本の衝撃で三つの波動を生み、日々広がっていった。

 はじめに私を襲ったのは、福島原発1号機の爆発に関して、枝野官房長官の「今のところは人体に影響をおよぼすほどのものではない」「今のところ~」という胡散臭い再三の発言に、理由のはっきりしない生理的嫌悪が黒煙のように心の中で沸き立った。それに対する報道は、大衆操作とレトリックが目立ちはじめ、めまぐるしい早さでで負と正の情報が駆け巡った。テレビ・新聞はもちろん、書店に並ぶ本の流れ、新聞・週刊誌の広告欄、マスコミ各社は視聴率、広告収入の行方を見ての空気読み。私は理性的判断を失いかけ、冷却期間をおくことにし、資料集めだけはしておきブログに書くのは休んだ。2012.2.16まで。
 その間に出会ったのが「千夜千冊」の目次「1418夜」の『日本の深層』であった。
 梅原先生の東北への想いは、私の心の深層に呼応して「うかつにとっかかってはなるまい。私なりに発酵させる時間がいる」と思った。
 それは、東北の蝦夷(エミシ)の民と、北海道の蝦夷(エゾ)の民が、同族人種であるかないかの探索で、日本人の心の源流を証すのに欠かせないとの想いから、異種とされてきた学説に疑問をもたれ、その研究に没入された梅原先生。それは、梅原先生の出生の地が東北であったこととも深い関係があったと思われた。
 学者は、どの領域にせよ(哲学・宗教学・民俗学・言語学・歴史学、考古学~)実証の積み重ねで学問としての確立をするという習わしが古くからあるとは聞いているものの、特に古代史の資料などは、消されたり、捏造されたり、神話化、伝説化されたりしたことは、世界各国でなされたことである。時代時代の為政者が異種の民を統治するためには、征服がつきまとう。そこにはまつわらぬ民への殺戮が起こり、支配者と被支配者の関係性が種族ごと、国ごと、国家ごと、に形成される。
 それらの痕跡としての真実は、神話や伝説に化け、実証が非常に難しいのが、古代史であり、民俗学、考古学ではないかと素人の私は思う。この隠された、消された歴史の中に現代でも物言わず、ひっそりと哀しみを心の底に沈めて生きている日本人がいる。それを科学的に実証できないまでも、イマジネーションの世界で生きている。その想像力こそ「梅原日本学」の深い魅力である。


 2つ目は、2012.8.8 のこのブログ「アメリカの合理主義の典型に反発した想い出」のなかで書いた日本IBM社のこと。
 私が2つ目の会社に転職して3年目のこと。マーケティング企画職をやっていて気分が乗っていた時期のある日、オーナー社長が、「頼みがある。3年間期限付でいい、コンピューター部門をみてくれないか」と。当時でもまだコンピューターといえば「電子ソロバン職人のやる仕事」と社内でも蔑まれていた。だから社長は私にそういったのだ。とはいえ問題意識をもった中堅以上の会社では、業務効率化マシンとしてこれからの時代必須。業務標準化が決めてだと、経営者間でも話題になっていた。
 私としても、マーケティング企画推進上でも、これからは必須と考え、ときどき突っ込んでいたので興味もありその場でOKした。そのころその会社では、商・物流拠点を全国に展開途上だったのでトライの好機とみたからでもあった。国内のコンピューターメーカー、そのディーラーのスタッフたちと組んだブロジェクトは燃えていた。当時のコンピューター・ユーザー(主に社内のコンピューター技能者)は、マシンとしての信頼性は、IBMが一番だが、業務標準化の日本特有の問題など、契約工数を越えてでも人海戦術で応援してくれるのは、やはり国内メーカーということになっていた。
 ある日どこから聞いたか日本IBM社の広報スタッフと称する人が私を訪ねてきた。売り込みではなかった。
「このたび、わが社のハウスオーガンを出しましたのでご案内にきました」と。
 彼が見せたA4カラー版のしっかりした冊子の表紙の左上に∞の筆字のロゴがあり、その右に細い長方形の枠に囲まれた「無限大」とい文字があった。表紙のどこにもIBMの文字はなかった。裏表紙の左下に小さめのIBMロゴがあつた。目次を見ると、当時私が怪訝に思ったアメリカ合理主義を日本の企業に払拭してもらいたい意図の内容のものだった。

「私たちIBM社は、日本人のこころを研究し、日本人のためになる仕事をしたいとおもっています」

 そうはどこにも書いてなく、いいもしなかったが、そのためにつくられたハウスオーガンであることを私は悟った。とはいえ時代は下り、2009年発行の第58回日本エッセイスト・クラブ賞受賞の秋尾沙戸子著『ワシントンハイツ』GHQが東京に刻んだ戦後───焦土のただ中に立ち現れた「日本の中のアメリカ」、そこに現代日本の原点があった───。と書かれた帯。
 その本に書かれたアメリカというこの国のしたたかさを思い知らされる。やることが短期ではない、日本の文化そのものを30年60年もの時間をかけて操作する。そこにはアメリカならではの[性善説]と[性悪説]がリアルに併存していた。どちらも本当のアメリカとして。
 私は、当時ハウスオーガンに込められIBMの[性善説]を好感を持って受け入れた。

 私は学生時代から梅原先生には憬れのようなものを持っており、先生の志向はそりなりに知っていた。
 その冊子というものは、いたってアカデミックなもので、国内コンピュ-ターメーカーが考える企業PR誌とは全く違っていた。
 そのスタッフの開いた頁に「アイヌ語の研究」梅原猛とあった。
 現在手元に残っている冊子は4冊しかない。梅原先生の論文の載った冊子は誰に貸したか残っていない。でも、梅原先生の論文の載った号は確かにあった。
 残っている年号の冊子は、昭和55年4~5月号と、昭和56年1~ 2月号と、昭和56年3~5月の特別号だった。
 梅原先生が『日本の深層』を執筆されるに際して、アイヌ語を探索される必要があったことは前述の通り、でも、当時の私には、この3.11に絡んだほどの問題意識はなかった。

 今回残っている4冊の冊子の内、特別号のテーマは、「日本と中国」であった。

 目次は、

  1ページ  天城シンポジュウム(発起人:江上波夫、梅原猛、上山春平、中根千枝) 
  2      日本と中国(`80 天城シンホジウムテーマ)
  5      問題提起Ⅰ/礼と戒律  上山春平
 16      ビジュアル構成/唐文化の情熱と古代留学生  黛弘道
 17      問題討論Ⅰ/シンメトリックなものの変容  司会 梅原猛
 36      問題提起Ⅱ/集団構造の比較  中根千枝
 46      問題討論Ⅱ/「類」の原理と「場」の原理   司会 江上波夫
 72      自由討論Ⅰ/心の動きを大切にした日本  司会 河合隼雄
 94      自由討議Ⅱ/倭は華南とどうかかわるか  司会 尾藤正英
114      総合討議/  官僚優位を理想とする三国  司会 江上波夫
128      まとめ対論/ 文化の虚と実をめぐって    司会 梅原猛
139      資料/ 関連提起資料概要
143      シンポジウム後記
144      THINK(天城に集う人々)

 他の号もすばらしい内容だったが、特にこの特別号は、「今日的テーマがすらり並び、31年前すでにこんなことが議論されていた」ことへの驚きであった。私がこのブログに取り上げた記事ともいくつかかかわっていた。

 日本IBM社は、この冊子を何冊つくったか分からないが、原稿の中には、当時アメリカの大学現場を経験した出席者から、教員と学生の緊張感は日本の学生と比較にならないものだった、との話もあった。日本人の性善説的生き方の弱さ、アメリカ的性悪説のもつリアリティもちゃんと出席者から語られていた。

 それから半年後だったか、さすがの日本IBM社も費用対効果を考えざるを得なかったのか、丁寧な廃刊の知らせがあり、できればこの企画について感想がほしいとあった。私は感謝を込めて長い手書きの礼状を送った。後、礼状に添えて、新しくつくられたらしい「THINK」の楯と、コンパクトな和英辞典が送られてきた。


 3つ目は、

 この『日本の深層』の序章に書かれていた「日本人にとって故郷という言葉が一番ふさわしい東北地方である」「故郷の歌といえば、多くは東北の歌である」「東北は、雪と貧しさに悩まされたずうずう弁を使う人間が忍耐強く住む国である」「文化果つる辺境の地というイメージである」。
 そればかりか、この土地には蝦夷(エミシ)とよばれるまつろわぬ民が住んでいた。蝦夷はまつろわぬばかりか、日本人のほとんどがたずさわっている水稲稲作農業になじまないのである。蝦夷ははなはだ野蛮で未開でそのくせ傲慢で容易に大和朝廷に服従しないやっかいな人間であったのである。
 そのように蝦夷の住む国というイメージが、日本の中央、畿内における日本人の支配者の東北に対するイメージであった。
 東北は幾重かのマイナスをになって、そこに存在していた。そしてその章には、日本の歴史のはじめから背負わねばならぬ運命であるかのようであった、と。

松岡正剛は「千や千冊番外録で『日本の深層』を紹介する文中のかなで、
「梅原の数ある本のうち、今夜、この一冊を僕が取り挙げるのを見て、すでに数々の梅原日本学に親しんできた梅原ファンたちは、ちょっと待った。梅原さんのものならもっとフカイ本に取り組んでほしい、松岡ならもっとゴツイ本を紹介できるだろうに、せめて怨霊がすだくカライ本を選んで欲しいと思っているにちがいない。
 それはそうである。著作集ですら20巻を数えるのだから(中略)梅原猛・「千夜千冊」には、この「番外録」の流れからは、本書がやっぱりペストセレクトなのだ。
 本書が梅原にとっての蝦夷論・東北論になっていること、その梅原が今ちょうど東日本震災の復興構想会議の特別顧問になっていること、この20年ぼどにわたって梅原は原発反対の立場を口にしてきたこと、そしてなにより梅原が仙台や石巻の風土を血の中に疼くようにもっていること───

 そういう松岡正剛の胸の内を察するにあまりある文章が、この『日本の深層』の解説を書いた赤坂憲雄の文にある。
 明治以降の日本史、民俗学、においては、東北に住んだ蝦夷(エミシ)と、北海道や樺太に住んだ蝦夷(エゾ)とは別人種というのが体勢であった。理由は、言語学者の金田一京助や民俗学の柳田国男、なかでも金田一京助のアイヌが語る言葉のイントネーション説。また人類学では髭の濃さ、顔の骨格からして北方からの渡来人説などであった。梅原にしても、その説を覆す学術的実証はなかなか取れない。そこで梅原は、東北の蝦夷(エミシ)が北海道に渡り蝦夷(エゾ)とよばれるようになったとの大胆不適の仮設を立てたのがこの書であったと書いている。仮設というより予言書といえる書であったと。梅原は、アイヌ語のイントネーションのみならず、使った言葉に込められた意味、豊かな東北の自然の中で育まれた豊かな生活感、自然を対象とした信仰面からもとらえなおそうとしていた。

 それはIBMのハウスオーガン「無限大」に梅原先生が書かれた「アイヌ語研究」論文と符合する。

 さらに松岡正剛の魂を震えさせたのは「千夜一冊」の801夜の五木寛之の小説『風の王国』ではなかったか。舞台こそ違え底流に流れるアウトローを徹底的に擁護する精神は、藤圭子や山崎ハコらの暗い歌が好きな作詞家でもあるから風貌や優しい声からして情緒派に思われがちだが、とてもとても硬派の人。
 私は思う。『歎異抄』や親鸞の思想をあれだけ取り込みながら、教理で理解しようとせず、しかも自分の信仰心からでなく、他力の本願で生きている人。とてもとても私の手の届く存在ではないと────
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by kuritaro5431 | 2012-10-31 18:40


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