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2012年 08月 15日

私の考えた「自立」とは? (1)

 今日は終戦記念日。
 この日に「自立」という言葉を想い起こし考えるのはとても重苦しい。

 戦前の日本人。戦争に突入した日本人。本土決戦から終戦を決断するまでの日本人。原発を投下された日本人。このあたりの事情をNHKが多くの特番を組み放送した。そのなかには今まで知られなかった秘密情報や秘話も語られた。
 終戦後、民主主義と資本主義をセットで受け入れた日本人。アメリカ文明と近代思想に憧れるマインドコントロールを仕掛けられた日本人。高度成長途上の時期の日本人。高度成長が最高になり物質文明が輝いたときの日本人。そしてその景気がバブルとなって崩壊し、わずかばかり残っていた日本の連帯と絆(悪くいえば他者依存による社会システム)も放棄せざるを得なくなった日本人。そして「自主自立してゆくしかない時代」と認識せざるを得なくなった日本人。その後幾多の経済危機に襲われて、失われた20余年のなかでデフレの恒常、GNPは高まり経済は成長しても、賃金は横ばい、一向に豊かさが実感できない社会を資本主義という経済システムのなかではじめて経験した日本人。デフレ恒常の時代しか知らない世代のシニシスズムの広がりとインスパイヤーの喪失。その親たち団塊の世代は、デフレ崩壊以前の経済を主導した経団連所属の製造業がやはり安穏な生活を保障してくれると息子にも薦める日本人。アメリカにおいてもほんの一握りの富裕層だけとなり、中間所得層がいなくなり、残りは貧困層=その現象を「9:1」といい、高い失業率はさらなる格差社会へと進んでいる。日本もすでにそうなっているのに省思考者の多い日本人。若者の多くは今が「幸せ」とパライト・シングル───
 
 そんな中、天災と人災がセットで襲いかかった3.11という不条理なできごとに否応なしに向かい合わざるを得なくなった日本人。
 経済はグローバリズム、政治はナショナリズムという構図のなかで、世界の覇者であったことを守りきろうとする勢力と、これからはわれらが勝ち取る番とする国家間で、国益こそ正義という巧妙きわまりない政治のレトリックが原発問題をも含めて民主党政権下で政治の不条理を知った知らされた日本人。その民主党が、ロンドン・オリンピックで「なでしこジャパンとアメリカと決戦の日」めくらましで消費税法案を3党合意で可決した。3党合意の旗頭自民党は、政党として必須の党内ガバナンスもとれない民主党を非難し、こまごました政策論議より長期ビションこそ必要なことと主張。ところが谷垣氏中心の今の自民党は、実にこまごました政策以前の政局目的のつっつきばかりやっている。ここにきて既成政党すべてに不信をつもらせた日本人。外交においては、オフエンスのないディフェンスばかり引くことばかりの野田姿勢。ここぞとはがりどんどんつけ込んでくる中国、そして韓国。それがもともとの中華思想であり、アジア圏韓国起源説でもある。それがあの広い他民族国家中国の国家統治・大衆統治の思想であり、長く日本の植民地としてあった屈辱への怨念晴らしの思想をもって国民統治をしようとするものでもある。どちらも引けばつけ込んでくる民族であることはわかっている。なのにぬるぬるするナマズのようにはっきりせず、いずれいずれと先延ばし、外交でタイミングを逸することがその国家にとってどんなに危険なことかわかっていないんではないかと。

 そんな時期、ロンドンオリンピックに向けた日本人の心は、一時的にせよ盛り上がりった。日本人が飢えていた同僚・隣人家族・地元の人たちから受けた支援に対する感謝。どの競技のメダリストもみな「感謝の言葉」を心と身体と涙で発信した。
 ヨーロッパではこれほどオリンピックに熱中する国はないと聞く。
 日本人は省思考者も含めて、混迷した現在の世相から抜け出したい光を求めている。
 選手一人一人が血の滲む想いのなかで挫折しかけ、一時オリンピックへの夢を諦めたこともあったが「みんなに支援され、助けられ、みんなのお陰でとれたメダル」とみないった。
 その選手たちの言葉は、原始共同体時代にもっていた懐かしい土の香りの残った「本当の絆と連帯のDNAのなごり」。そこにいたパプル崩壊以後に産まれた若者たちが発したパッションとインスパイヤーに日本国民は感動し。共感したのだろう。
 私は想う。自民党のポスターに使われた「絆」とか、「今の人たちは、世の中のさまざまな雑音や比べ合い、非現実的な目標に縛られ、自分のもっているものまで見失っています。アイデンティティや自分らしさを求めて苦労し、混乱する人たちが本当に多い。自我が錯覚だとしたら精神科医の商売あがったりですね(笑)」と自分の著書の広告のボデーコピーに書いた精神科医。この人たちとはまったく違っていることを前段で長々と私は書いた。のっぴきなららない変遷した現実のなかで、意識、無意識を越えて、他人が代行できない「個」として技と心を磨き、その上での連帯と絆だった。(笑)の絵文字などふっ飛ばすリアリティ、それはアイデンテイテイの確立と決して無縁のものではなかった、と思う。

 それをシンボリックに身体で表現したのが柔道の金メダリスト松本薫選手だった。あの闘志を臆面なく、顔前面に現し、相手に向かっていく姿。それを誰がつけたか「アサシン」と呼んだ。(「アサシン」とは暗殺者、アメリカでは政治家の暗殺者を指す)その後彼女のあだ名となった。
 帰国後彼女は3.11の被災地を応援の感謝に訪れた。理想の選手はだれですかとの子どもの問いに、即「ドラゴンボールの孫悟空」と答え、子どもたちを笑わせた。このセンスにも(笑)の絵文字をふっ飛ばす感性を感じ私は讃えた。そのセンスには「なでしこジャパンのメンバー」にも共通するインスパイヤーと覚めた目で見ている「対象」への適切な距離感をも感じた。


 私は「戦争前の日本人」から今日まで、幾多の政治的・社会的・経済的変化のなかでのっぴきならない状況下で「自分と社会」についての関わりを、この(1)で考えた。

 実は、この(1)の原稿を書く前に、あまりやらない下書き原稿を(1)(2)(3)と書いていた。ところがその下書き原稿を読み返すと気に入らない。書き直した。2回目の原稿も気に入らず今回3回目の原稿になった。
 すでに送信していた前の原稿を読んでくださった皆さん「すみません。みな書き換えました」。

 お盆が過ぎた今日(8.18)も、書き足りなかった事柄がつぎつぎ湧き、1951年以降マーケティング用語として日本に導入されたCI(Corporate identity)という考えが、後「自分と社会」という概念に大きくかかわったこと、1940年頃政府も推進したCSR=企業の社会的責任(Corporate Social Resibilty)という概念も、企業という集団に所属する者たちに大きくかかわったことが思い出される。

 私自身の仕事にとっても、CIという概念を用いて企業を活性化させようとJ・コンサルファーム退職後自営でやったコンサル業の柱としたものだった。(福島マネジメントコンサルタントのURL「人と組織の活性化」チャートで)


 (2)以降については、戦後の近代化へ通じた「自分のなかの私」を考えるウエイトが増してきた、その流れを考えてみたい。その流れのなかで私が考えた「阿頼耶識」についても考えたい。

 

 

 
 

by kuritaro5431 | 2012-08-15 13:06


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