2012年 08月 13日
肉厚の刃をした肥後守は売っていない。私が小学校四年生のころ、鍛治屋で作ってもらったものは研ぎ痩せてはいるものの、いまも健在である。 小さいころから道具類に興味をもっていた私は、昔から家にあった金槌や鑿を手入れしたり、研いだりしていた。ことに刃物には自分の弱さを切り捨ててくれるみたいな魅力をもっているように思えていた。 当時はまだ田舎には鍛冶屋がいて、火床の炭を鞴で熾し鉄を打っていた。男は貧乏ひげを口とあごに生やした小柄で痩せぎすの貧相な風采をしていた。五十は過ぎているように見えた。風采とは違い敏捷な仕事振りに私は興味をもっていた。その仕事場を覗くのが楽しみで二時間も三時間も見ていたものだ。 ある日頼まれものと思える肥後守の材料が五、六十本仕事場に置かれていた。その一つを取り上げてしげしげ見ていた私に、 「ぼーず、肥後守が欲しいか」 とおやじが聞いた。 「だれももっとらんようなものが欲しい」 「だれのものよりよう切れるものが欲しいか」 「ぶ厚い刃のものがええ」 「よしわかった。いつか作ったろう。わしの刃物の切れ味は村一番じゃ。だれにも負きゃせん。ヒマなとき作ったるけん待っとれ」 私はワクワクした。羨む太一ちゃんや、常ちゃんの顔が浮かんだ。 ある日鍛冶屋を訪ねると、 「きょうはヒマじゃけん作ったるで」 とおやじが迎えてくれた。 「よう切れる刃物にするにゃあ出雲で採れる堅い鋼を入れるのがコツじゃ。それを柔 い鉄で巻く。研ぐとき楽じゃけんなあ」 そういいながらおやじは仕事場の隅から小振りな材料を拾いだした。 それからは、私のためにやってくれる仕事がうれしくてたまらず、座り込んで一部始終を見た。 火床に入った鉄が真っ赤に焼け、ヤットコでつまんで金台で打つ。チンチンカンカンと連打された鉄はだんだん形になってゆく。鋼の部分ができてゆく。胴の部分も同じように打っていたが、形が整ってから縦に割りを入れ、その部分に鋼を抱かせた。 また火床に入れ真っ赤になるまで焼いてから金台で打った。細工は器用にやっていた。小刀の形になった。 その間三十分はかかっただろうか。 「こんどは焼き入れじゃ」 そういってもう一度火床に入れ鞴を掛けた。鉄の色合いを見て火床からだした小刀を一気に水槽に浸けた。シュンと湯煙が立ち、瞬時に鉄は冷えたようだ。 おやじは黒い鉄片を土間に投げた。 十分ほど立ってから、 「焼き戻ししとかんと刃こぼれするけん、もう一度火床に入れる」 その時間は短かった。こんどは真っ赤になるまで焼いてはいなかった。 「これでてきた。後は鞘に取り付け研ぐだけじゃ」 自然に冷めるのを待つらしく、また土間に投げた。 「ほーず、鍛冶屋の仕事が好きか?」 「おもしろそうじゃけん。焼いたり叩いたりしているの見てると。おっちゃんの器用さには感心させられる」 「えらそうなこといいよって!」 「むかしからあったんか、この鍛冶屋」 「昔はな、刀も打っとったそうな。爺さんの代に」 「じゃからおっちゃんうまいんじゃ」 そんな会話がひとしきり済んでから、おやじは刃を鞘に取り付け、足で踏む回る砥石で研ぎにかかった。 表を研ぎ、裏を研ぎしばらく砥石は回った。 待切れない私は、 「ちょつと見せて」 といって小刀を受け取ると、さっきまで黒かった刀身は白く輝いていた。私が望んだだれも持っていない厚味のあるものになっいた。 にっこり笑っている私の顔を見て、 「これでええか」 とにこやかにいった。 「うれしい。大事にする」 それから台付きの砥石で研いでくれた。はじめは荒目の砥石で研ぎ、順に目の細かい砥石で研いでくれた。 「ほい。仕上がったぞ」 おやじの差出した小刀を、私は両手で受け取った。 見るとさっきより輝きは増し、くっきりと鋼と胴の区切りが刃紋のように浮いていた。青みかかった刀身は、興奮していた私をゾクッとさせた。子供なりに妖艶ななにかを感じていたのかも知れない。 「竹を切ってみてええか」 そこにあった竹切れを見て私がいうと、 「切ってみい」という。 竹切れをつかんで小刀を入れると、巾二センチの竹がスパッと切れた。 「よう切れるわ」 私はぴょこんと無言で頭をさげた。 早く太一ちゃんや、常ちゃんにこのことを知らせたく、ポケットに小刀をしまい鍛冶屋をでた。 振り返ると、一本杉の下の鍛冶屋の煙突からもう夕餉の煙りが立っていた。 太一ちゃんの家に向って走った。太一ちゃんはいなかった。常ちゃんの家にゆくと、常ちゃんは竹とんぼを作っていた。 「どうじゃ、この小刀」 私は誇らしげに小刀を見せた。 「どないしたんじゃ、それ。見せてみい」 「鍛冶屋で作ってもろた日本に一つしかないもんじゃ」 手に取ってしげしげと見ていた常吉は、 「こりゃすごいもんじゃわ」 羨ましそうにいった。 女竹(おなごだけ) をつかんで切った常吉は、 「よう切れるなあ」 私が鍛冶屋のおやじにもいった同じことばを吐いた。 私は家に帰り、母親に小刀を鍛冶屋で作ってもらったことを話すと、 「そりゃあお礼にいっとかにゃならんわ」 といった。 日暮れに母親は礼にゆくといって鍛冶屋に行ったが、 「なにも受け取りなさらん」 といって帰ってきた。せめて手間代だけでも受け取って欲しいと頼んだらしいが、熱心なぼんにほだされて、といったという。 「お前、よっぽと気に入られているで」 「あのおっちゃんええ人じゃで。むかしは刀打っとんさったんだって」 私の話を聞いた常吉は、村長をしている父親を通して、私と同じ小刀を作ってくれと頼んでいた。ところがおやじは断わったそうだ。 「がんこ者じゃから気がむかにゃ頼まれもんもやらんそうな。金ならだすいうて頼んだそうじゃが、断わりよった」 常吉はあんな偏屈おやじに気に入られたんかと憎まれ口をついた。 それを期に私の工作の腕は上がり、工作展でいくつか入賞をした。 今も工作に使っている。障子張のときも欠かせない、濡れた紙でもよく切れる。日本刀に塗る丁子油 を塗り、私の生涯のなかで大切なものの一つになっている。なによりも肉厚の刃の掛け替えのないものとして気に入っている。(了)
by kuritaro5431
| 2012-08-13 18:17
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