2012年 04月 12日
私がそのあばら屋に引っ越した日は秋晴れで、中国山地の連なった山に陽が映えていた。 自転車で20kmの地道を登ってきて、県道から土橋を渡り、脇道に入ると急に農道は狭くなり、両側からなごりの夏草が自転車のスボークをさすった。 藁屋根が視界に入ると、古木の柿の木に、色づいた柿の実がたわわだった。 父が笑顔で迎えてくれ、母は、水場で米を研いでいた。私は、その翌週から、4km南にできた新制高校に転入し、自転車通学することになった。 秋の夕暮れどきに、父が石油ランプの火屋を磨き、ぽっと灯を入れるころ、草刈り山の稜線の向うに暮れ残る空と、もう暮れている山陰があった。祖母は、五右衛門風呂の炊き口に、長い櫟の丸太を3本突っ込み、煙があちこちから漏れるのを見張りながら丸太の燃え加減をときおり調整している。 竈は排煙が悪く、煮炊きはなんでも囲炉裏でやった。父が釣ってきたあまごも竹串に刺し囲炉裏端に立てて焼いた。軒下には、田植えごろ父が獲った蝮の白身と皮が別々の竹串に刺して干してある。もうすっかりカラカラになっている。白身は疲労回復に、皮はできものの吸い出しにしていたという。以前住んでいた人が作った一升瓶に焼酎漬けの蝮が有姿のまま3匹まるまっていた。この地では、どこの家でもつくる常備薬だったらしい、 私たち4人の生活はそんなぐわいのなかにあった。便利なものはなに一つなかったが、まあまあ食べるものもあり、戦時下とは違う平和があった。 そんなに話し合うこともなかったが、夕暮れどきはなんとなく至福な気分になれた。 稲穂が頭を垂れだすころ、群雀が一斉に田んぼに降りてくる。はじめのうちは竹の鳴子を紐で引きならすと逃げていたが、稲刈り間近にもなると、逃げようともしない。そのころになるとあちこちで空砲を鳴らす音がする。太い孟宗竹の片方の節を残し、節に錐で穴をあけ、竹筒にカーバイトの欠片を入れ、水滴を垂らす。カーバイトがガスになったところ、竹の節の穴にマッチの火を近づけると、すさまじい爆発音がでる。あちこちで鳴り響いていた。そのたびに一斉に雀が飛び立つ。そんな騒がしさが一時期黄金色の田んぼの上を風のように流れる。 河原の畑の薩摩芋畑を猪一家が狙いにくるのは、初秋だった。今夜はやってくるだろうと前から考えていたことを父と2人で実行した。 猪の通り道はふた通りあった。一方の道筋には、汗臭い野良着を置き、一方の道筋の脇にある柿の木の上に足場を組み、蚊帳を張った。父方に15も年上の従兄がいて、猪猟をやっていた。その兄に16番口径の単筒の散弾銃を借り、獅子玉を込めて柿の木の上で待つ。やってくる猪を狙い撃ちしようというものだ。素人が当てることはできないまでも、脅しにはなろう。万に一つ当たりでもすれば儲けもの、とある夜待った。 月が出ていた夜だった。 今夜は出ないだろうと2時間近く待ったころ、ドドドッという地鳴りのような音がして、山際を駆け下りてくる黒い一団があった。先頭に父親、つづいて2.3頭の子猪、最後に母親で出ると聞いていた。 今だ‼ と父がいい、私は引き金を引いた。 私は発砲の衝撃で柿の木から落ちるところだった。弾はどっちに飛んだかわからない。 猪の一団はそのまま走り去り、その夜畑は荒らされていなかった。 もうこりてこないだろうと、父はいっていたが、次の日の夜、すっかり攫われていた。 そのほか、貧しいなかにもあれやこれや楽しかった想い出がいっぱいあった。もうその父が亡くなって32年になる。母は101歳まで生き、一人残っていた姉も、5年前に亡くなった。 父は、あばら家の谷川で発電するといっていたが叶わず、晩年は私たち姉弟(きょうだい)が育った元の家に戻り、亡くなるずっーと前から、自分の葬儀のときの飾り物を自分で作り、式の手順から従兄たちの個人別役割表まで準備していた。 父が亡くなった日はお盆で、私も姉も帰っていた。 私は、父が書き残した通り葬儀を実行した。 父の亡くなった昭和55年には、大平首相が急死。同年の衆参両議院選挙で自民党が圧勝した。 今は、あばら家のあった敷地も、山田も、河原の畑もなくなって、谷川はコンクリートで固められ、工業団地が造成されかかったまま、放置されていた。 ただ一つ、父と一緒に猪を待った柿の木が、昔のまま残っていた。
by kuritaro5431
| 2012-04-12 12:07
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